大学を卒業後、一度就職してから、大学院に進んだ山口さん。大学院に進学して感じた学ぶ意義とは(※写真はイメージです)(写真:symmyy / PIXTA)

日本の研究力向上のため、重要な担い手になる若手研究者を育てるのが大学院の博士課程だ。しかし、修士課程から博士課程への進学者は減少傾向にあり、最近は1割程度の進学率しかない。経済的な事情や卒業後の大学におけるポスト不足など、将来への不安から進学しない選択をしている院生が多いと考えられる。

それでも、「博士課程で学ぶ意義は大きく、メリットもある」と現役の大学院生は語る。この連載では、人文系、社会科学系、理工系など、さまざまな分野の修士課程や博士課程で学ぶ大学院生に取材し、現状をひもといている。4回目は、博士前期課程で国文学について研究している大学院生に、学ぶ意義について聞いた。

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大学院で国文学を専攻


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「将来たくさんお金を稼げるようになりたいと考えている人にとっては、文系の大学院はあまり進学する意味がないのかもしれません。専門性を生かして就職することは難しいのが現状です。

けれども、大学院でしかできない研究はたくさんあります。研究を通して自分の考え方を確立するとともに、研究の成果を社会に生かしていくこともできます。文系大学院は、もっと社会に理解されてもいいのではないでしょうか」

「文系大学院で学ぶ意義を感じている」と話すのは、金城学院大学大学院博士前期課程2年生の山口朝香さん。文学研究科で国文学を専攻している。

金城学院大学文学部の日本語日本文化学科を卒業後、就職して1年間働いてから大学院に進学した。研究しているのは鎌倉時代に成立した歴史書の『吾妻鏡』だ。

「平安時代の軍記物の文学作品では、貴族たちが夢で神のお告げを受けたり、吉凶を占ったりするのに対して、武士たちは夢を信じない態度を取るとか、夢を信じるのは恥ずかしいと考える人たちとして描かれています。これが文学研究における平安時代の武士像です。

私は文学研究で言われてきたことから少し視点を変えて、歴史書の中では武士はどのように扱われていたのか、同じことが言えるのかというところに注目しています。実際は夢を信じないわけではなかった、と考えて研究を進めているところです」

山口さんは大学に入学した当初は『枕草子』に興味を持っていた。そこから、平安時代の文学に描かれている「夢」に興味を持つようになる。

社会に出たことで研究の意義を感じる

学部生の時は大学院への進学を考えていなかったが、いったん社会に出て働いてみたことで、日本文学の古典を研究することの意義を改めて感じた。

「社会に出てみると、いろいろな人たちが関わり合って成立していると感じます。一緒に関わっている人たちが、どのような気持ちで、どんな考えを持って日々生活しているのだろうと考えたときに、どのようなイメージを共有しているのかが気になるようになりました。

そのなかで、日本らしさとは何かについて興味をもちはじめました。日本らしさだと言われていることの中には、昔からそう思われていたのではなくて、昭和に入ってから文学研究者によって見いだされたものが少なくありません。

その一例が『言葉に魂が宿る』という考え方です。万葉集には数例しかなかった表現から、研究者が発見して、日本人らしさとして指摘しました。

また、四季も日本の気候の特徴と昔から捉えられていたわけではなく、日本の特徴を対外的に主張する際に和歌の文化の中で醸成された四季が強調されたとも言われており、現在でも季節のイメージには和歌で作られたものの影響が濃く残っていると考えられています。

文学を通して、日本を再解釈するのが研究の醍醐味です。その成果は、クールジャパンなどで日本の文化を海外に売り出す際にも、寄与できるのではないかと思っています」

文部科学省は2023年度の学校基本調査の確定値を、2023年12月20日に公表した。大学の学部卒業生の進路では、大学院などへの進学を選んだ人の割合は12.5%で、前年度よりも0.1ポイント上昇した。大学院研究科に進学した人数も前年度よりも989人増加し、6万5998人となった。

学科別に見ると、理学や工学、農業など、理系の学科はすべて進学者が前年度より増えている。工学系は393人増えて3万3792人。それに対して、減っていたのは11人の微減だった芸術系と、人文科学系だった。人文科学系は前年よりも118人少ない3442人で、人文科学系離れだけが目立った。

10年前の2013年度の調査結果と比べてみても、理系はすべて進学者が増えているのに対し、文系である人文科学系は566人減少している。長期的に見ても、人文科学系への進学者は減り続けているのだ。

大学院で国文学専攻の同級生はいない

山口さんによると、大学院で国文学専攻をしている同級生はいない。山口さんは高校時代にオープンキャンパスで講義を受講し、担当していた教授に学びたいと考えて進学した。ただ、後輩らと話す中で、みんな必ずしも学びたいことがあって入学したわけでもないと感じている。

「できるだけいい会社に就職したいから進学したと話す学生もいれば、違う大学に行きたかったけれども、合格しなかったのでこの大学に入ったという学生もいます。多くの人が就職先や大学名を考えて進学している感じですね。

就職先や大学名はもちろん大事だと思います。その一方で、私自身は大学で学びたいことを考えて、進学先を決めるのがいいのではないかなと思っています。大学での学びや、大学院での専門的な研究を通して、自分のアイデンティティや支えになるものを見つけることで、結果的に充実した時間を過ごすことができます」

山口さんは博士前期課程を卒業後、大学生協への就職が決まっている。学生や教授を支える仕事をしたいと思った理由から志望した。

一方で、博士後期課程への進学や、大学院での学びを直接的に生かせる仕事に進みたいという思いもあったが、「非常に険しい道」だと感じて断念していた。

「博士後期課程への進学に興味を持っていました。しかし、卒業後に教授を目指すといっても、研究者として就職できるポストも少なく、文学部自体も減ってきています。

教授自身も、今は博士号を取ったとしても、大学に就職できるまで何年かかるのかわからないと話していました。かなり険しい道で、興味があるくらいでは進めない道だと思い尻込みをしました。

また、博士前期課程を卒業した後の就職では、専門性を生かせる点で博物館の学芸員も選択肢として考えて、実際に資格も取得しました。けれども、採用がほとんどなく、あったとしても給与は家賃を払うとほとんど残らないような待遇でした。お金を稼ぎたいから働きたいというわけではないですが、専門性があっても生活できないような仕事しかないことに、高い壁を感じました」

学費の負担も進学を諦める要因に

もちろん、大学院で学ぶうえでは学費も必要になる。山口さんは実家から通っていて、給付型の奨学金を受給することで、学費の半分ほどを賄うことができた。そのうえで就職した1年間の貯金を切り崩している。しかし、それでも足りずにアルバイトもしてきた。学費をはじめとする負担も、博士後期課程への進学を諦めた要因の1つだった。

「やはり1年間の蓄えだけでは足りませんし、博士後期課程に進学するのは難しいです。アルバイトをしようと思っても、学会を控えた時期などは忙しくてできません。なかなか思うようにはいかないのが現実です」

前述の学校基本調査によると、2023年3月に博士前期課程を修了した7万4258人の進路状況は、就職した人が5万7483人。全体に占める割合は77.4%で、前年度よりも1.3ポイント上昇した。

一方で、博士後期課程に進学した人はわずか7504人で、10.1%にすぎない。これはすべての学科を合わせた数字なので、人文学系、さらには文学研究で進学したのはわずかな人数しかいないと推察される。文学研究の未来は、もはや危機的状況にあるのかもしれない。

大学院で文学を研究をするのは、就職やその先の進学を考えると確かに厳しい面がある。

それでも山口さんは「大学院で研究してよかった」と感じている。

文系・院・進学はやめたほうがいいのか?

「社会の中にはいろいろな人たちがいて、技術的に発展していくことで生活をよくしていこうと考える人は多いと思います。でも、それだけではなくて、自分の心の中をどうすればよくすることができるのか、どういう心持ちであればよい生活を送ることができるのか、といったことを考えることも大事です。

私自身は文学を研究し、教授や先輩、後輩とディスカッションする中で、自分の考え方が定まってきました。先日研究発表をした際にも苦戦はしましたけど、自分は大事な研究をしていると改めて感じました。人生は長いので、そういうことを考えたうえで社会に出られるのはよかったと思っています。

インターネットで『文系 院 進学』と検索すると、だいたい『やめたほうがいい』という言葉が出てきます。就職を考えれば厳しいのは事実なので、無責任なことは言えません。それでも、研究をしたいと思って、文系の大学院への進学を検討している人がいれば、私は『おいでよ』と言いたいですね」

(田中 圭太郎 : ジャーナリスト・ライター)