みんな大好き「ココア」。発明までの意外な経緯とは(写真:CORA/PIXTA)

もうすぐバレンタインデー。今では我々の生活に欠かせない存在となった「チョコ」ですが、さまざまな歴史や偶然の積み重ねのうえに、今の姿があります。

増田ユリヤさんの新著『チョコレートで読み解く世界史』より一部抜粋、再構成してお届けします。

チョコレートパウダー「ココア」の発明

カカオをチョコレートにするための最初の工程は、焙煎したカカオの実をすりつぶすこと。マヤ文明やアステカ文明の時代から「メターテ」という弓なりの形をした石のまな板の上に煎ったカカオをのせ、石の棒を弓の形に沿わせるように置いて転がしてすりつぶしていました。

ちなみにフランスのバスク地方では、各家庭でこのメターテを使ってチョコレートを作っていた時代があり、今でも納屋などから見つかることがあるそうです。

オランダの風車は、干拓のために水をかき出すためだけでなく、風車の動力で石臼を使って小麦をひいて粉にすることなどにも利用していました。その技術と発想から、粉末のココアを発明したのが、オランダ人のバン・ホーテン父子です。

18世紀から19世紀にかけて、世界各地との貿易が盛んになった結果、オランダに入荷するカカオの量も増え、一般の市民にチョコレートを提供するカフェも増えました。需要が増えたので、手早くチョコレートを提供する必要が出てきたのです。

そこで、アムステルダムに、カカオを加工して売る業者が現れはじめました。そのひとりが、カスパルス・バン・ホーテンです。カスパルスは、アムステルダムの運河沿いに小さな工場を構え、ライセンスを取ってココアの製造・販売を始めました。工場を始めた当初はまだ手作業でしたが、カカオ豆を焙煎して石臼で挽き、それを固めて売ったのです。カカオをお湯で溶かす前の状態にまで加工したのですね。

豆を挽いた状態のものをカカオマスと言います。カカオマスには油脂分が多く含まれていて飲みにくかったので、お湯に浮いた油脂分を取り除いたり、砂糖やシナモンなどの香辛料とともにトウモロコシの粉や卵などを混ぜたりして飲んでいました。想像しただけでも、まだまだ飲みにくそうですよね。

この油脂分を大幅に取り除くことに成功したのが、カスパルスの息子コンラート・バン・ホーテンでした。コンラートは、カカオマスをプレス機にかけて油脂分(ココアバター)を搾り出して半減させることに成功しました。油脂分が少なくなったカカオマスのかたまりを砕くと、粒子の細かいココアパウダーになります。バンホーテン社はこの製法の特許を取りました。

油脂分を取り除くことはできましたが、さらなる問題は、カカオに含まれるポリフェノール分が引き起こす渋みや苦味でした。これを軽減させるにはどうしたらいいのか。コンラートは、ポリフェノールの成分が酸性であることに着目し、これを中和させるために炭酸ナトリウムや炭酸カリウムといったアルカリ性の物質をココアパウダーに加えました。化学変化を利用した結果、水に溶けやすく、渋みや酸味なども軽減されてまろやかな味わいのココアパウダーを作ることに成功したのです。今も私たちがスーパーで見るバンホーテンのココアは、こうして生まれたのですね。

飲みやすく美味しくなったココアの需要は高まり、バンホーテン社は順調に売り上げを伸ばしていきました。運河沿いの小さな工場では対応しきれなくなったため、郊外に移転し、近代技術を取り入れた本格的な工場の運営に乗り出しました。

産業革命とココアの大量生産

ここで登場するのが、蒸気機関を利用した動力です。石臼でカカオ豆を挽く発想は、風車からきたものですが、小さな工場の中では手作業で石臼を動かしていたため、大量生産はできませんでした。しかし、イギリスの産業革命によって生み出された蒸気機関を動力とする技術は、工場の機械化を加速させ、ココアの大量生産を可能にしていったのです。


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大量生産が可能になれば、売り上げを伸ばすことも目標となります。バンホーテン社は、トラム(路面電車)に広告を出したり、自社のロゴマークを作ったりといったマーケティング戦略をとり、時代の先端をいく企業へと成長していきました。

19世紀の終わりには、パリ万国博覧会やシカゴ万国博覧会に自社の機械と製品を出品する機会を得ました。新しい技術開発が求められていたこの時代は、万国博覧会を開催する意義が非常に大きかったのですね。

さらに、工場の近くに住宅地を整備するなど、労働者のために働く環境を整えることにも着手しました。このような形で都市もチョコレート産業も発展を遂げていくことができたのは、ひとえにカトリックの支配から脱却して、カルヴァン派の思想が流入、浸透していったからにほかなりません。キリスト教の宗教改革は社会の変革にも大きな影響を与えたのです。

(増田 ユリヤ : ジャーナリスト)