入山章栄氏は『M-1はじめました。』を「新規事業の王道を学べる本」と評します(写真は2022年6月。撮影:尾形文繁)

令和ロマンの優勝で昨年末大いに盛り上がった「M-1グランプリ2023」。今回で19回目を数えるこの大会は、下火になっていた漫才を立て直すべく、元吉本興業社員の谷良一氏がゼロから立ち上げたものでした。

谷氏がM-1創設の裏話をつづった『M-1はじめました。』は、一つの新規事業の立ち上げ物語として読むこともできます。経営学者の入山章栄氏に本書の読みどころを聞きました。

上司からの理不尽極まりない丸投げ

この本を知ったのは、書評の仕事で候補となる推薦図書に含まれていたときだ。たいていスルーするが、「M-1グランプリ」はもともと大好きだったので読んでみると、これが面白い! まるで「プロジェクトX」のようだった。


希望する仕事ができずにくすぶっていた社員が、上司から「不振事業をどうにかしろ」と丸投げされる。理不尽極まりないが、パワーのある人には逆らえない――企業では、いかにもありそうな状況だ。

この本の著者も吉本興業の木村政雄常務から急に呼び出され、「漫才を盛り上げろ」という漠然としたミッションを与えられる。

そこですごいのは、まず現場に行ったことだ。机上の空論でパワーポイントの企画書をつくるのではなく、劇場でひたすら漫才を見まくる。そのうちに、いいところや悪いところが見えてくる。

最初は1人で活動しているが、だんだんと仲間が増えてくる。これもよくあるパターンだ。とはいえ、優秀な人ばかりではないし、面倒くさい人もいたりする。

悪戦苦闘する中で、信頼する人(島田紳助さん)のところに相談に行くと、コンテストをやろうと提案される。今さら感のある企画だが、優勝賞金はなんと1000万円! そこには夢がくっついている。まさに島田さんの慧眼だ。

新規事業あるあるが満載

こうして方向性は見えてきたが、スポンサーやメディア探しで難航する。良い製品やサービスを思いついても営業で苦労するのは、新規事業あるあるだ。しかも、本当に斬新な試みであるほど、エスタブリッシュな企業はついてこられない。感度の高い社員がいくら提案しても、取締役会で却下されてしまうのだ。

逆に、手を差し伸べてくれるのは、理解あるワンマン経営者のいる企業だったりする。M-1の最初のスポンサーも、よく名前の挙がる大手広告主ではなく、漫才好きの経営者がいるオートバックスだった。

メディアについても最初から全国ネットとはいかない。動いてくれたのは地方の系列局(朝日放送テレビ)だった。

困難はあっても実現にこぎつけたのは、著者の情熱あってのことだ。もがいて失敗もするけれど、情熱と折れない心で仲間や支援者を巻き込み、良い巡り合わせを呼び込んでいく。

もうひとつ見逃せないのが、著者の漫才に対するこだわりだ。たとえば、ピンマイクではダメで、絶対にスタンドマイクでなければならない。カメラがドラマのように話し手を追いかけるのはNG。2人のバストショットで相方のリアクションも見せるべし。そういう漫才の世界観を大切にしたからこそ、社会現象にもなるM-1が誕生したのだ。

現場、仲間、相談、夢、苦労、情熱、巡り合わせ、世界観――いずれも新規事業やスタートアップのストーリーに頻出するキーワードだ。過去20年間にエンタメ界で最も大成功した新規事業は何かと聞かれれば、M-1を推す人が多数にのぼるだろう。

ところで、この本は新規事業だけでなく「お笑い論」という切り口から読むこともできる。お笑いの現場を熟知する人々が直感的に行ってきたことが見事に言語化されており、そこから漫才の本質が見えてくる。

私はラジオ番組でお笑い芸人を招いて、時事ネタを取り上げてもらったことがある。そのときに学んだのが、漫才には3つの要素が必要なこと――ボケ、ツッコミ、お客さんだ。常識とは違うことでボケて、それはおかしいとツッコミが入り、それを聞いて客席がどっと笑う。然るべきタイミングでみんなが一斉に笑えば、場が盛り上がり、面白みが倍増するのだ。

この三角関係を成立させる必要性があるため、漫才はユーチューブと相性が悪い。ボケとツッコミがあっても、リアルタイムで笑ってくれるお客さんが欠けているのだ。漫才は劇場でこそ生きてくる。実際に、M-1では劇場に強い芸人が勝ち残っているように感じる。

M-1の芸人は球児の姿と重なる

M-1の面白さをひもといていくと、スポーツとの共通点にも思い当たる。実はM-1を見るたびに、スポーツ観戦をしている気分になる。それもプロスポーツではない。若者がフラットに真剣勝負をする場――甲子園の高校野球が思い浮かんでくる。M-1では芸人の裏側のストーリーが紹介されるが、そこで努力する様子は、ひたむきに練習してガチンコ勝負に挑む球児の姿と重なる。

M-1には「結成15年以内のコンビ」という出場資格が定められているが、若手が参加するところも重要だ。甲子園には若い人たちのトーナメントだからこその面白さがある。

これは洋の東西を問わない。たとえば、アメリカでは毎年3月に「マーチ・マッドネス」というバスケットボールの大学ナンバーワンを決める大会が開かれる。64チームが勝ち抜き戦を繰り広げ、まさに全米が熱狂する。

その背景として、情熱や夢を追いかける姿に心打たれるだけでなく、若い人特有の揺らぎや不安定さがあるからだと思う。試合を通じて驚くほど成長するチームもあれば、有力視されていたチームがあっさりと敗退することもある。こうした危うさから来るハラハラドキドキは、安定的に実力を発揮するベテランが競い合うスポーツではあまり起こらないことだ。

M-1の場合、若手のパフォーマンスは安定しないときもある一方で、新しさやオリジナリティーを持ち込んで、芸歴の長い人に一発逆転で勝ったりする。2023年のM-1で優勝した令和ロマンなどがそうだ。

M-1は勝敗において忖度が一切ないところもいい。所属事務所は関係なく、吉本の芸人が優勝するとは限らない。純粋にその日のパフォーマンスだけで評価される。そういうシンプルで、きわめて透明性の高い競争の仕組みをつくったところは、著者の功績だ。予定調和ではなく、結果がどう転ぶかわからないから、聴衆は魅了される。

シリコンバレーのスタートアップとの共通点

甲子園の高校野球もマーチ・マッドネスも、ほとんどのチームは1回戦で去って行く。M-1で優勝するのは1組だが、漫才師の予備軍は何万人もいて、そのほとんどが漫才では食べていけない。そういうシビアな世界がそこにはある。

これはシリコンバレーのスタートアップにも共通する点だ。成功するスタートアップの背後には、失敗した企業が何万と存在する。その一方で、シリコンバレーには、シビアだが透明性の高い仕組みがある。そうした環境の中で、若者たちがひたむきに、揺らぎも見せながら、真剣勝負をして、本質を突いた人が成功する。だから、イノベーションが次々と創出されるのだ。

ところで、新規事業が成功すると、自分の手柄にする人が山ほど出てくる。実はこの私でさえ、「俺が入山を育てた」とおっしゃる方が出てくる。決まって、数回お会いしただけだったりするのだが。M-1ほど成功すれば、「これは俺が作ったものだ」と言い出す人が現れるのは無理もないことかもしれない。そういうエピソードも入っていて、新規事業のリアルを捉えているなと感じる。

それもあって個人的に素晴らしいと思ったのが、本の最後に、島田紳助さんの寄稿が載っていたことだ。

世間ではほとんどの人が、M-1は島田さん1人の発案でできたと思っているだろう。しかし現実には、著者がもがく中で島田さんに相談を持ちかけて生み出された果実だったのだ。

島田紳助さんの証言がもたらす価値

表の世界でみこしに乗る人の背後には、それを動かす裏方が存在し、陰のキーパーソンだったという話は少なくない。しかし、裏方が当事者目線でいくら頑張ったんだと主張しても、説得力はない。

そこに、芸能界を引退してからメディアに出ていなかった島田さんが「谷と一緒に作ったM-1」だと証言する。それで裏がとれて本当の話だとわかるところは、この本の価値を高めているポイントだと思う。

欲を言えば、著者をプロジェクトに抜擢した木村常務にもあとがきに登場してもらいたかった。プロジェクトでは、誰がやるかは非常に重要だ。思いつきで著者を指名したのではなく、おそらく何らかの意図や感覚があったはずだ。その意味で言うと、木村常務こそがM-1誕生の最大の功労者かもしれない。

それはさておき、難解な技術や馴染みのない新製品のプロジェクトではなく、多くの人が親しんでいるM-1のストーリーなので、誰にでも読みやすいはずだ。新規事業の王道を学べる本として、また、イノベーション創出のヒントが詰まった一冊として、ビジネスパーソンの方々にぜひ読んでいただきたい。

(構成:渡部典子)

(入山 章栄 : 早稲田大学ビジネススクール教授)