文武両道の裏側 第15回 
池田駿(プロ野球選手→公認会計士)前編(全2回)

 巨人や楽天で投手としてプレーした元プロ野球選手で、難関国家資格の公認会計士試験に合格した池田駿さん(31歳)にインタビュー。前編では、合格の喜びやプロ入り前の学生時代の文武両道について話を聞いた。


公認会計士試験に合格した元プロ野球選手の池田駿さん

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【ドラフト指名よりうれしかった】

ーー公認会計士試験合格、おめでとうございます。合格を知った時の感想は?

池田駿(以下同) 正直、(プロ野球の)ドラフトで選ばれた時よりうれしかったですね(笑)。というのも、ドラフトって基本的に指名されない可能性が高いじゃないですか。僕は(巨人)4位指名でしたが、一応、スーツを着て準備はしていたものの、「絶対ないな」と思っていました。

 だから、ドラフトではいざ名前が呼ばれた時は、うれしいというより、「本当?」という感じが強くて。公認会計士の試験のほうが、もしかしたら受かっているかもしれないという期待もあったので、すごくうれしい気持ちと、ホッとした気持ちの両方がありました。

 発表は自分の部屋で、まずひとりでネットを見て、小さくガッツポーズしましたね。そのあと、別の部屋で待っていた奥さんのほうへ行って、大きくガッツポーズしました。

ーープロ野球選手を引退後は公認会計士試験に合格。まさに文武両道を体現していると思いますが、子どもの頃から文武両道?

 僕自身は全然、文武両道だとは思っていなくて。別にすごく運動神経がいいわけではなく、ただ足が速いだけの子どもだったんですよ。一方、勉強では数字は好きだったので、算数の授業中にプリントの余白を使って自分でつくった問題を解いたりしていましたね。

ーー夏休みの宿題は早めに終わらせていましたか? それともギリギリで?

 小学校の夏休みの宿題は8月に入る前には終わらせていたかなと。やるべきことを先に終わらせて、そのあとで思いっきりやりたいことやろうという感じの子どもでした。宿題とか勉強が頭にちらつくと、やっぱり思いきり遊べないじゃないですか。

【ゲームし放題? 自由な池田家】

ーーきちんとした「文」と「武」の切り替えは、中学生の時も?

 小学3年で野球を始めて、中学生でも軟式野球をやっていましたが、数人風邪を引いたら試合ができないような少人数チームでした。全然試合に勝てませんでしたし、僕自身も全然すごい選手じゃなくて、スポーツ推薦で高校へ行くという話もなかったので、勉強も一生懸命にやっていました。もともと勉強は嫌いなほうではなかったので、両親からも「勉強しなさい」と言われたこともなかったですし、気づいたら自分でやっている感じでしたね。

ーー池田家は放任主義だったんですか?

 基本的には自由でした。たとえば、ゲームをしていたら、普通は「そろそろやめなさい」とか「ゲームは1日○時間まで」とか言われたりするじゃないですか。だけど、夜遅くまでゲームをしていても、何も言われなかったです。勉強も野球もちゃんとしていたから、任せてもらえていたというのはあると思いますが。

ーー小さい頃からずっとゲームが趣味だそうですね。

『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』とか『ファイナルファンタジー』とか王道のRPGが好きで今もやっています。だんだんレベルを上げてボスキャラを倒すのがめちゃくちゃ好きでやめられないです。

『ドラクエ』っていろんな職業があるんですよ。途中で「転職」というシステムもあって、転職するといったんレベルは下がるんですが、職業ごとのレベルを上げていくとステータスやスキルをアップできるんです。僕の人生に当てはめると、イメージ的には野球は戦士っぽいですし、公認会計士は魔法使いですかね(笑)。

【甲子園で3試合登板の活躍】

ーーさて新潟明訓高では夏の甲子園に出場しベスト8に進出しました。高校入学当時から甲子園、さらにはプロを目指していたんですか?

 僕の兄も野球をやっていて、新潟明訓で4番を打っていました。何をやってもセンスがいい、運動神経バツグンの選手だったんです。そんな兄に憧れて同じ高校に入ったんですけど、僕は入学当初、全然すごい選手じゃなくて。その頃、将来は学校の先生になりたいと思っていたので、筑波大学の教育学部を目指していました。

ーーでは高校でも野球とともに勉強も頑張っていたんですね。

 新潟明訓では理数コースにいて、勉強は頑張りました。学年に540人くらい生徒がいたんですけど、模試で一度5位をとったことがあって。その時は正直、よくできたなと思いました。

ーーいつ頃、勉強から野球へ切り替わっていったんですか?

 高校2年の秋頃から、いい感じに投げられているな、と。

ーーそして、甲子園へ。

 高校3年の夏は2枚看板で、左投げの僕ともうひとりの右投げの投手がいました。新潟県大会ではもうひとりの投手が活躍して、野手たちもすごくうまかったのもあって、甲子園へ行けたんです。

 僕は、甲子園で3試合を投げさせてもらって、それが大きな自信になりました。そのあと、国体や高校の日本代表にも選抜してもらって、野球がさらに楽しいと思えるきっかけになりました。

【寮で得意のピアノリサイタル】

ーー高校卒業後は当初目指していた筑波大学ではなく、専修大学へ進学されました。

 新潟明訓の野球部の監督から「せっかく甲子園に出たんだから、野球で専修大に話をつけておいたから」って言われて(笑)。専修大でも教職課程をとっておこうと申し込みをしたんですが、野球の関係で授業がどうしても受けられなくて、単位がとれませんでした。その分、野球で頑張ってみようかなというふうに思いましたね。

ーー大学時代の野球はどうでしたか?

 大学4年間では、大した成績を残していないんです。手術もして、正直、なんでこんな痛い思いをしてまで野球をやっているんだろうと思った時期もあって......。でも、大学でいろんな方々とつながれたのは本当によかったです。

ーーどんな人間関係だったんでしょう?

 大学入学時は、4年生が大人に見えて、すごく怖かったんですよ(笑)。でも、人間的にもすごいなと思う方々がいて、こういう大人になりたいなと思えました。

ーー寮生活はいかがでしたか?

 寮の部屋にピアノを置いていたんですよ。ピアノは中学の時に独学で始めて、合唱コンクールや卒業式で歌ったことはなくて、ずっとピアノでした。

ーーちなみに、プライベートではどんな曲を弾くんですか?

 クラシックだとショパンやベートーヴェンが好きです。自分で曲もつくったりもしましたね。大学の時は、先輩や同級生が「ピアノ、聞かせてくれない?」と、自分の部屋でリサイタルみたいなこともやりました(笑)。独学だから、完全に自己満足の世界なんですけどね。

ーーなんだか野球部っぽくない光景ですね(笑)。

 大学卒業後、ヤマハに野球で入社しましたが、その面接の時に社長の前でピアノを弾いたんですよ。その時は、ピアノをやっていたことにちょっと運命を感じましたね(笑)。

【巨人で本当にやっていけるのか...】

ーープロ野球を意識し始めたのはヤマハに入ってからですか?

 そうですね。社会人になってからプロへの気持ちが出てきました。ヤマハからは、僕が大学1年とか2年生くらいの早い段階で「卒業後はうちで野球しないか」と、声をかけてもらっていたんです。

ーーそして、ヤマハ2年目に社会人野球日本選手権で優勝。池田さんはMVPを獲得し、プロ入りが現実味を帯びてきました。

 ヤマハに入っていなかったら、プロ野球どころか、大学で野球をやめていたかもしれません。大学時代は、本当につらいと思ったことが何回もありますが、ヤマハから声をかけてもらって、僕のことを見てくれている人がいるんだ、と。もうちょっと頑張ろうかなと思えました。

ーー2016年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受けました。指名時はどんな気持ちでしたか?

 ドラフト前に、ヤマハからは「プロに行ってほしいけど、ドラフト5位以下だったら、大事な戦力なので残ってもらいたい」と言っていただいていました。僕自身、4位以上は難しいだろうと思っていたんです。

 そこでいざ、巨人から4位指名で呼ばれて......なんかもう大丈夫かなという気持ちになっちゃって、いろんな感情が出てきました。もちろんうれしいんですけど、それより巨人で本当にやっていけるのかという心配のほうがありました。

ーー巨人では1年目から、中継ぎ投手として33試合に登板の活躍! 振り返ると、どんなシーズンでしたか?

 正直、プロ野球は今、データ野球になっているので、たぶん、1年目であれだけ投げられたのは、ただ相手のデータ不足だと僕は思っています。2年目は同じことやってもやっぱりすごく打たれるわけで。そのデータを超える自分の成長があればよかっただけの話ですけど、その成長はできなかった。1年目はビギナーズラック的なところが多々あったのかなと。

ーー2020年のプロ4年目のシーズン途中で、巨人から楽天へトレードとなりました。どう受け取りましたか?

 前年のプロ3年目のシーズンから、自分をドラフトでとってくれた高橋由伸監督から原辰徳監督に代わって、使ってもらえなくなってきていて、そろそろ危ないんじゃないかなと思っていました。そんな矢先でのトレードだったので、ある意味、環境も変えられますし、気持ちもコロッと変わって、いいタイミングで出してもらえたなと思いました。

ーー巨人と楽天の雰囲気は違いましたか?

 巨人は1回負けると、チームの雰囲気がお葬式になるんですよ。それがいいとか悪いとかじゃなくて、やっぱり常勝軍団じゃなければいけない感じがすごくありました。一方、楽天は全然そんなことはなくて。同じプロ野球でも、カラーが全然違いました。僕は、楽天のほうが合っていたかな、と。

ーー後編では、プロ野球選手から公認会計士を目指していく経緯を詳しく伺います。

後編<元プロ野球・池田駿はシーズン中ロッカーでも試験勉強 公認会計士合格後のキャリアを語る>を読む

撮影協力/CPA会計学院

【プロフィール】
池田 駿 いけだ・しゅん 
1992年、新潟県生まれ。新潟明訓高では投手として夏の甲子園8強進出し、日米親善高校野球の全日本選抜チームに選出される。その後、専修大を経て、2015年にヤマハ入社。2016年の社会人日本選手権で優勝。2016年ドラフト4位で巨人入り。1年目に33試合に登板。2020年途中に楽天へ移籍し、2021年シーズン後に現役引退。2023年、公認会計士試験に合格。現在は、公認会計士資格スクール「CPA会計学院」で講師を務めている。