もちろん「完璧な親」はいない。しかし、これでいいのか…(写真:tomcat/PIXTA)

言うことを聞かない、何度注意しても同じことを繰り返す、思うように動いてくれない子にイラつき感情的になってしまう……。子育て中の親なら誰もが一度は思い悩んだことがあるでしょう。イラストエッセイスト・コラムニストの犬山紙子さんも6歳の子の母として、「自分の行動や気持ちを振り返りながら悩みつつ子育てにあたっている」と話します。

アメリカでロングベストセラーとなっている『親といるとなぜか苦しい』(リンジー・C・ギブソン著)は、「親としての自分、子としての自分を客観視するのに役立つ」という犬山さんに、どうやって子育てに向き合っているのか聞きました。

冷静になれなかったことを子に謝る


『親といるとなぜか苦しい』には、「親はできた人間ではない」という言葉が出てきます。完璧な親というと、「親が望むのは子どもにとっていちばんいいことだけ」「親は、子どもよりも子どものことをよくわかっている」「親の行動はすべて、子どものためを思ってのもの」……こんなイメージでしょうか。自分が親として「本当にこのように考えられているかな? 行動できているかな?」と考えると自信がない。未熟な親なのかもしれないと考えさせられます。

完璧な人間がいないように、完璧な親なんていない。精神的に成熟した親になるのはとても難しいことです。自制できず子にイライラをぶつけてしまうことはあると思います。ただ大事なのは、どうして自分がイラついているのか客観視できる知識を持つことですよね。なぜキツい言い方をしてしまったのか、冷静に伝えられなかった自分の状況を伝え、その後謝ること。これが必要だと思います。

『親といるとなぜか苦しい』を読んでいて、親としていちばんドキッとしたのは、精神的に未熟な親の4タイプのうちの1つ、「がむしゃらな親」の部分を読んだときです。

子どもの人生への投資も並外れて熱心ですらある。猪突猛進で、物事を成し遂げることだけを考える。感情的な未熟さは一目瞭然だが、このタイプは子どもが成功するよう力を尽くしているかに見えるので、自己中心性を見抜きにくく、たいていの場合、周囲に害をおよぼすようには思えない。(中略)

他者を憶測で決めつけ、自分と同じようにしたいはず、同じことに重きを置いているはずと考える。こうした過度な自己中心性が、自分は他者の「ためになっている」という思いこみへとつながる。(中略)

子どもの興味や人生への夢を受け入れるより、自分がみたいものを選んで言葉たくみに押しつけ、子どもの人生にやたらと口出しする。加えて、じゅうぶんなことをしなければ、という不安が彼らを駆り立てる。子どもを含めた他者の感情よりも、自分の目標を達成することが何より大事なのだ。

自分の後悔が子の教育に紛れ込む

資本主義のなかで困ることなくちゃんと生きていけるよう、レールを敷いてはみ出さずに進めと子どもには言ってしまいがちです。「絶対にこれがいいこと!」と決めつける気持ちの半分には、自分がこうしたかった、こうしておけばよかったという後悔が紛れ込んでいる。レールに載せてしまうのは子どもを自分の所有物だと思っているからで、本当に子どものためを思うなら、自発的に選んでいける選択肢を増やしてあげることのほうが大切なんですよね。

ただつい、自発的に宿題をやらない子どもに対して「宿題させなきゃ!」とがむしゃらに向かってしまうのですが……。精神的に未熟な親のなかで、がむしゃらな親はもっともふつうに見えがちなタイプなのだけれど一歩間違えば教育虐待につながることもありそうです。

生まれたばかりのころは「健康であればいい」と思っているのに、さまざまな社会のニュースや情報に翻弄されるなかでがむしゃらになっていくのだと思います。「子どものため」と枕詞に付ければ何でも正当化できてしまうから。だから私はいつも、自分に問いかけるようにしています。「これは本当に、子どものためだと思って言っているのか、私が安心したいから子どもにやるように言っているのではないか?」と。

『親といるとなぜか苦しい』にある親の精神的な成熟度を見るためのチェックリストは、自分自身の親がどうだったか子ども時代を振り返るとともに、もし当てはまっている項目があったら「再生産しないため」のチェックリストにもなると感じました。たとえば次のような項目です。

自分の親はどうだったのだろうか

◻︎些細なことにも過剰に反応することがある
◻︎言動や考え方が自分とちがう相手を前にすると、よくイライラしていた
◻︎自分が成長するにつれて、親は自分を相談相手として利用したが、自分の相談相手にはなってくれなかった
◻︎会話の内容はたいてい、親の興味があることばかりだった
◻︎親は、自分を省みることもなかったし、問題が起こってもそれを自分のせいだと考えることもまずなかった
◻︎両極端な考えをしがちで、新しいアイデアを受け入れようとしない

どうでしょうか? 子ども時代、精神的に未熟な対応をされていたのだという気づきはありませんでしたか? もし振り返って「自分はあのときつらかったのだ」と認識したのなら、今度は親として子どもに同じように接していないかどうか考えてみてください。そして、親自身も心理士などに頼って癒されてほしい。

私は親としての未熟さを子どもにオープンにしてもいいのではないかと思っています。子どもの立場で考えると理不尽な怒り方をしたなと気づいたら「ごめんね。ママいま余裕がなくてこんな伝え方になってしまった」と伝える。自分のクセや偏った考え方にまず気づき、親から子への負の連鎖を断ち切ることが重要です。

(構成:中原美絵子)

(犬山 紙子 : イラストエッセイスト)