“古くて鈍足”でもほぼ無敵? WW2英海軍が旧式艦上攻撃機「ソードフィッシュ」を使い続けたワケ
第2次世界大戦中、イギリス海軍では鈍足で防御力も低い旧式の複葉艦載機を戦争後期まで多用し続けていました。ただ、それが重用されたのは機体そのものの特性と、大西洋戦域ならではの事情があったのです。その理由をひも解きます。
日米英の艦上攻撃機事情
第2次世界大戦期にイギリス海軍が空母などで運用した代表的な艦載機に、フェアリー「ソードフィッシュ」があります。この機体は同時代に太平洋戦域で戦った日本、アメリカの艦上攻撃機とは異なり、一見すると旧式に思える複葉機でした。実際、最大速度は日米のものと比べ100km/h以上も遅かったほどです。それでも、なぜイギリスは複葉機を使い続けたのか、その理由を探ってみます。
1988(昭和63)年5月、イギリスで行われたNATOによる歴史的展示飛行でデモンストレーションする1943(昭和18)年製の「ソードフィッシュ」(画像:アメリカ国防総省)。
1936(昭和11)年12月に第2次ロンドン軍縮条約が失効すると、日米英を含む列強各国は軍拡に着手し、戦艦を始めとする大型艦の建造を開始しました。中でも空母は第1次世界大戦中から建造を進めていた日米英に実績があり、この3か国は他の国々より1歩も2歩も先を行っているような状況でした。
ただ、空母は他の軍艦と違い、船体だけでなく搭載する艦載機がないと戦力になりません。艦載機は各国とも試行錯誤を続けていましたが、時代を経る中で戦闘機、急降下爆撃機、水平爆撃と魚雷攻撃(雷撃)を兼ねる艦上攻撃機の3機種で構成されるようになっていきました。
この3機種の中で敵の大型艦に致命傷を与えられるのが艦上攻撃機です。同機は通称「艦攻」と呼ばれ、重量1t近くある魚雷を搭載可能なように、機体サイズが比較的大きいのが特徴です。
すでに日米英は多数の艦載機を運用していました。当時の艦攻はいずれも複葉機で、日本は九六式艦攻、アメリカはイギリス製のブラックバーン「バフィン」と「シャーク」、イギリスはフェアリー「シール」を採用していました。
3か国は、空母の発展とともに新しい艦攻の開発も推し進めました。こうして生まれたのが、日本の九七式艦攻、アメリカのTBD「デバステーター」で、イギリスで開発されたのが「シール」の後継機である「ソードフィッシュ」です。
この3機種を比べた場合、九七式艦攻と「デバステーター」は全金属性、単葉、引き込み脚という最新の設計なのに対して、「ソードフィッシュ」は複葉、固定脚、布張りにコックピットは開放型という第1次世界大戦のころと変わらない旧式なスタイルを保っていました。
しかも、第2次世界大戦中、日米はより高性能な後継機を開発し、逐次更新したのに対し、イギリスだけは「ソードフィッシュ」を大戦後期まで第一線で使い続けています。ただ、それには大西洋での戦い方が大きく影響したのです。
大西洋で「ソードフィッシュ」が多用されたワケ
ヨーロッパ戦線における海戦の舞台となったのは大西洋と地中海で、イギリスと火花を散らしたのはドイツとイタリアでした。ただ、この2国は空母を最後まで就役させられずに終わっています。ドイツに占領されたフランスは3隻の空母を保有していましたが、国が親ドイツのビシー政権と連合国側の自由フランス軍に分かれたことで、それらが直接、海戦で使用されることはありませんでした。
そのため大西洋における海戦は、連合国の海上輸送路を枢軸国が攻撃する通商破壊戦がほとんどでした。なお、日米が激突した太平洋戦域では、日本が占領した島々をアメリカ軍が攻略し、両国の海軍が戦艦や空母を投入しており、大西洋とは海戦の様相が大きく異なっていたといえるでしょう。
「ソードフィッシュ」と同じ3人乗りながら先進的な設計だった九七式艦上攻撃機。写真は大戦で実戦に使われた一二型(画像:アメリカ海軍)。
ドイツとイタリアは戦艦すら通商破壊戦に投入しており、日米のような機動部隊同士の激突は起こらなかったのです。また戦争が進むにつれ、英米海軍より弱体で戦力がじり貧になっていったドイツ海軍は、短期間で多数を建造できる潜水艦の量産に走るようになり、海軍の作戦もそれらを多用したものへと移行します。
一方、多数の空母を持つイギリス海軍は、艦載機をドイツ潜水艦(通称Uボート)の哨戒や攻撃に使用し、ドイツ艦隊に対しては主に雷撃で主力艦へダメージを与え、戦艦でとどめを刺すという形を取るようになりました。
大西洋でも、陸地から遠く離れた外洋域では、空母のないドイツ軍は戦闘機による攻撃を行えません。そのため、イギリスの艦載機は敵艦艇の対空砲火を警戒すればよかったのです。これが第2次世界大戦中盤を過ぎても「ソードフィッシュ」が使い続けられた主な理由でした。
実際、1940(昭和15)年11月にイギリス海軍が多数の空母艦載機を用いて行ったイタリア南部への攻撃、いわゆるタラント空襲では、「ソードフィッシュ」が戦闘機の護衛もなくタラント軍港まで辿り着き、イタリア海軍の戦艦に大打撃を与えています。しかも撃墜されたのは出撃した21機のうちわずか2機で、これらは対空砲火によるものでした。
また、1941(昭和16)年5月に起こったドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦では、「ソードフィッシュ」の雷撃で同戦艦の舵が損傷し、航行不能になったところをイギリス艦隊が砲撃で沈めています。
「ソードフィッシュ」は太平洋で活躍できたか
「ソードフィッシュ」は複葉機ならではの優れた旋回性能を持ち、機体が布張りのため被弾しても乗組員やエンジンに当たらなければ容易には墜ちませんでした。
加えて操縦性も良いことからパイロットのあいだで評判が高く、戦争後期にはレーダーやロケット弾まで搭載されています。
なお、イギリス海軍も「ソードフィッシュ」の後継機を導入しようとしました。新型艦攻として開発されたのは、同機と同じフェアリー社製の「アルバコア」や「バラクーダ」でしたが、いずれも失敗作といえる代物でした。結局、イギリス海軍はアメリカ製の機体を採用します。それは前述した「デバステーター」の後継機であるTBF「アヴェンジャー」で、主に護衛空母でドイツ潜水艦の哨戒や攻撃に使われました。
1945(昭和20)年5月、空母「ヴェネラブル」の上空を飛ぶフェアリー「バラクーダ」(画像:帝国戦争博物館)。
ちなみに1941(昭和16)年12月の日米開戦時、シンガポールには少数の「ソードフィッシュ」が配備されていました。1942(昭和17)年4月にセイロン沖海戦が起こり、日本の空母機動部隊はイギリス空母1隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦2隻を沈めています。
この戦いの前哨戦として4月5日に日本の空母艦載機がセイロン島のコロンボを空襲、イギリス軍も日本の機動部隊に向けて陸上機の双発爆撃機14機と「ソードフィッシュ」8機を出撃させています。この時、コロンボに向かう日本の攻撃隊と「ソードフィッシュ」が遭遇し、全機が零戦に撃墜されました。
日米が激突した太平洋では、開戦初期から空母艦載機どうしが激しい空中戦を行っており、より高性能な新鋭機の実用化が急がれました。日米の艦載機開発のピッチの早さを鑑みると、イギリスの「ソードフィッシュ」は強敵のいない大西洋が活動の舞台だったからこそ、その名を残せたといえるでしょう。