SFコメディー『エブエブ』7冠、アカデミー賞の変化を反映
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、文字通り、今年のオスカーで、ここにも、あそこにもやってきた。年明けから一気に勢いをつけ、フロントランナーと考えられていた今作は、作品部門を含む7部門で受賞。昔で言うところの“オスカー好みのする”映画とはほど遠い今作の受賞は、アカデミーの変化を反映していると言えそうだ。(文:猿渡由紀)
アワードシーズンにおいて、オスカー予想上最も重視されるのは、投票者が重なる全米製作者組合賞(PGA)、全米監督組合賞(DGA)、全米映画俳優組合賞(SAG)。これら全てを制覇した上、資格条件の違いから必ずしもオスカーの指針とはならない全米脚本家組合賞(WGA)までをも獲得するという稀な快挙を成し遂げていた『エブエブ』が受賞したのは、順当なところだ。
それでも、SFコメディーの今作がオスカーでここまで大勝利を収めたのは、画期的である。伝統的にオスカーはSFに冷たく、『時計じかけのオレンジ』『スター・ウォーズ』、1作目の『アバター』、ギリギリまで最有力と思われていた『ゼロ・グラビティ』などが、ことごとく受賞を逃してきた。コメディーに関しては、そのジャンル内でも幅広く、実話に基づく『グリーンブック』や、家族愛を描く『コーダ あいのうた』もそうだ。だが、『エブエブ』は極端。手がホットドッグになったり、岩同士がしゃべったりなど、かなりぶっ飛んだユーモアが登場する。こういう映画がオスカーを受賞するとはフィルムメーカーやスタジオですら思っていなかったのは明白。この映画は、賞狙いとはほど遠い昨年3月にアメリカ公開されているのだ。
さらに、今作はアジア系キャストが中心。もちろん、2020年には韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞を獲得し、オスカーの歴史を変えた。2016年以降、アカデミーは会員の多様化に本腰を入れ、有色人種、女性、若者、外国人を積極的に招待してきている。『パラサイト〜』の受賞は、まさにその努力の表れと思われた。しかし、たった3年後にまたアジア系の映画が受賞したことで、変化が本物であることが証明されたのである。実際、どんでん返しで『西部戦線異状なし』が勝つのではという声もちらほらあったのだ。『西部戦線〜』は英国アカデミー賞(BAFTA)で圧勝したし、オスカーにも作品部門を含む9部門で候補入りし、『エブエブ』に次ぐ4部門で受賞した。ドイツ語映画とは言え、タイプとしては“オスカー好みのする”映画だ。だが、勝ったのは『エブエブ』だったのである。
一方で、主演男優部門と主演女優部門は激戦だった。男優部門はオースティン・バトラー(『エルヴィス』)、ブレンダン・フレイザー(『ザ・ホエール』)、コリン・ファレル(『イニシェリン島の精霊』)の争い。女優部門はケイト・ブランシェット(『TAR/ター』)、ミシェル・ヨー(『エブエブ』)の接戦だ。結果は、フレイザーとヨーの勝利。ヨーは、長いキャリアを誇りながらも60歳にして初の候補入りの末、受賞。かつて娯楽大作の主演を務めたフレイザーは、ゴールデン・グローブ賞の投票団体であるハリウッド外国人記者協会(HFPA)の元プレジデントにセクハラを受け、勇気を出して抗議をするも適当にあしらわれるという屈辱を受けたことで鬱になり(#MeTooよりずっと前のことだ)、キャリアが低迷してしまっていた。そこへ来ての大カムバックである。実は彼、子役時代に活躍したがその後仕事がなくて演技から遠ざかっていた『エブエブ』のキー・ホン・クァンと、1992年の『原始のマン』で共演している。クァンは助演男優部門で受賞。そのつながりについては授賞式でも触れられただけに、二人ともが受賞したことは、感動をより強くした。
授賞式全体は、可もなく不可もなくといったところ。何度も司会を務めてきたジミー・キンメルは安心安全ながら、今回の授賞式もまた長くなるであろうこと、退屈であろうことなど、自虐的なジョークも取り入れて、会場を笑わせている。昨年のウィル・スミスの平手打ち事件についても、「この授賞式の途中、暴力行為をする人が出たら、その人は主演男優賞をもらえて、19分も受賞スピーチをさせてもらえます」「予想もしなかったことが起きたら、静かに座っていてください。暴力行為をした人をハグしてあげてもいいです」と、昨年事件が起きた時のアカデミーと観客の対応をダークな形でネタにした。
しかし、驚くようなことは、受賞結果にも、それ以外にも起こらないまま。無難に終わったのは良いが、視聴者にとってそれは面白かったのだろうか。視聴率が出てくる現地時間明日、その答えは出る。授賞式が成功だったのかどうかがわかるのは、その時だ。