悲しすぎる、交際記念日の贈り物。秘密の芸能人カップルが、報道陣から逃げてプレゼントしたのは…
プレゼント。
その包み紙を開けたとき、送り主から相手への想いが明らかになる。
ずっと言えなかった気持ち。意外な想い。黒い感情…。
ラッピングで隠された、誰かの想い。
そこにあるのは、プレゼントなのか。それとも、パンドラの箱なのか──。
▶前回：「これをプレゼントしたら、私のことを好きになるはず…」女が準備した大胆すぎるモノとは
スモークの窓ガラス越しに、流れていく六本木のけやき坂を見つめる。
この景色を見ると、沙耶はいつもドキドキしてしまう。景色がキレイだからじゃない。
けやき坂を抜け、細い小道に入ると、車はゆっくりと高級マンションの駐車場へと吸い込まれて行く。
そして、扉は無言で開く。
タクシー運転手も信用できなくて、最近ドライバーを雇った。秘密を厳守してくれる。
「また、帰り連絡します」
最低限の言葉だけ交わし、歩き出す。バタンと閉まる扉の音を後ろに感じ、気分はさらに高まる。
ホールにかつかつと鳴り響く、ヒール音。
聞き慣れているけれど、その音が耳に響くと、もうすぐ彼に会えるのだと心臓がドキドキする。
向かいから歩いてくる住人の気配を察知すると、決まって真下を向く。顔を見られてはいけない。
早く彼に会いたいと焦れるような気持ちの中、いちいち面倒な作業。
けれど、絶対に顔を見られてはいけないのだ。
だって、沙耶は今をときめく女優だから。
彼は、人気絶頂のアイドルだから──。
「たくま、会いたかった〜！」
玄関に入り、鍵を閉めたことを2人で確認するとすぐ、2人だけの世界に没入する。
「俺もだよ、沙耶。誰にも見られてない？」
「会って最初に聞くのがそれ？」
「ごめんごめん、だって大事なことじゃん」
可愛く拗ねる沙耶に、たくまは優しくキスをした。
◆
「沙耶、これ。プレゼント」
「え、これって…」
沙耶は、たくまから手渡されたキャップを見つめる。それは最近、たくまのファンの間で話題の逸品。
たくまが出演するPVで、彼が身に着けていたハイブランドの特注キャップ。帽子にキスをする仕草が話題となり、「あの帽子が欲しい！」という声がSNSで殺到中なのだ。
「これ…めっちゃ話題になってるやつじゃん」
「そうそう、俺が被ったってだけなのにね…」
たくまは自分が絶大な人気を集めていることに、どこかまだ現実味を感じていないようだ。
「これ、ファンの子たちみんな欲しがってるよ」
「らしいね…。でも、俺はファンじゃなくて沙耶にあげたいの。あ、でも外では絶対被っちゃだめだよ」
「嬉しい…！」
満面の笑みを浮かべて、今度は沙耶がたくまにキスをした。
「ねぇ、2人が付き合った記念日。2月17日、一緒に過ごせる？仕事？」
「夜なら空けられると思う。沙耶は？」
「私もその日なら！プレゼント、楽しみにしててね！」
「うん、沙耶も楽しみにしてて」
2人の視線は、甘く絡む。
まさに、蜜月のときだった。
◆
沙耶とたくまが交際していることは、誰も知らない。
近しい友人にも、親にも、絶対に言わないと2人で約束した。
どこから情報がもれだすかなんてわからない。それに、2人とも今は大事なとき。この関係を続かせるために、お互い合意したことだった。
本当は、沙耶だってみんなに見せびらかしたかった。SNSにアップしたり、手を繋いで歩いたり、友達に自慢の彼氏だと言って紹介したかった。
彼を一目みるだけで絶叫する女の子たちを見ると、何とも言えないもどかしい高揚感を覚える。
沙耶は、必死にそんな気持ちを抑えていたのだが…。どこかで気持ちのゆるみがあったのだろうか。
その日の帰り道、たくまからもらったキャップをつい手に持ったまま帰宅してしまった。
そして運悪く、通行人に激写されてしまったのだ。
パパラッチより、今はSNSのほうが力を持っているのかもしれない。Twitterに上げられたたった1枚の写真は、瞬く間に拡散。
『女優・沙耶、アイドル・たくまと密会か！？』
翌日には、スポーツ新聞が一面をぶち抜いた。
その記事を見た時、沙耶は焦った。やってしまったと思った。
その一方で、どこかでこの日を待っていたような気もした。だって、彼との関係をオープンにできるのだから。
しかし…現実は決して甘くはなかった。
◆
「今すぐ、別れなさい」
事務所の社長、マネージャー、誰しもが、口を揃えて同じことを言った。
自分は1人の人間である前に、商品なのだ。そう言われているような気がした。いや、実際にそうなんだと思い知らされた。
沙耶とたくまは26歳。人気とはいえ、まだまだ売り出し中の身。事務所に育てもらった恩もある。逆らうことは、現実的に難しい。
「わかりました」
一旦、表面上そう取り繕った。
けれど、もちろん別れる気なんてさらさらない。今まで以上に世間は目を光らせて2人を監視するだろうけど、こっそり会えば問題ない。
ほとぼりはいつか冷める。だけど、私たちの愛は絶対に変わらない。冷めることなんてない。
沙耶はそう信じていた。
◆
『しばらくは会うのは控えよう』
『うん…。でも、でもまた会えるよね？すぐに会えるよね？私たち終わったわけじゃないよね？』
『もちろん、またすぐ会えるよ』
電話越しにたくまの声を聞くと、沙耶は安心する。
― きっと、きっと私たちは大丈夫だ。
恋愛中特有の、根拠のない自信が沙耶の体中を満たす。それだけ沙耶は、心からたくまのことが大好きだった。
彼の声だけじゃ満たされないときは、彼の更新するYouTubeチャンネルをひたすらに見続けた。
いつもは1.5倍速でみるのに、それだけは再生速度を標準に戻す。彼が発する空気感を、よりリアルに感じたかった。機械的なモーションを加えたくなかった。
― また、またすぐ会える。
そう、自分に言い聞かせていた。
けれど、忙しさで会えない日が続いた2人は、徐々にすれ違うようになっていった。
喧嘩は増えるのに、直接話し合いすらできない。少しずつ小さなズレが積み重なる。
そして、ズレが大きくなるごとに、沙耶の心は少しずつすり減っていき、いつのまにか仕事にまで支障をきたすようになっていった。
「沙耶、その目の下のクマはなんだ？お前もしかして、まだ別れてないとかないよな？自分が今大事な時期にいるって、わかってるよなっ！？」
たくまと電話で大喧嘩した日、一睡もできずクマを作って現場に向かったら、マネージャーに本気で怒られた。
何も言い返せなかったし、図星なあまり、本気で反省した。けれど、苦しみを感じてしまうことはどうしようもない。
八方塞がりの気分だった。
◆
パパラッチされてから2ヶ月。
少しずつ、世間のほとぼりが冷めていることを肌で感じる。しかし同時に、たくまとの熱も冷めているようにも感じた。
― でも、これで終わりなんて絶対に嫌だ。
沙耶は、思い切ってたくまの元を訪れることにした。
ずっと前に約束した、2月17日。付き合った記念日。
たくまは夜なら空けられると言っていた。その一言を、沙耶は覚えていたのだ。
いつも通り細心の注意を払って、彼のマンションを訪れる。
手にはプレゼント。ガジェット好きなたくまのために、彼が好みそうな家電をいくつか綺麗にラッピングした。
― いきなり会いに来て、怒られるかな…。それとも、喜んでくれるかな…。
期待と不安が交互に押し寄せ、感情が不思議なグラデーションを描く。
震える手でインターフォンを押す。
しかし、反応がない─。
インターフォンを押しても、なんのリアクションも返ってこなかった。
「なんでだろう…」
首をかしげる沙耶のもとに、一通のLINEが届く。
＜たくま：別れよう。もう好きじゃない。あの家も引っ越した、ごめん。今までありがとう＞
「…」
いつもの淡泊なメッセージが、これまでにないほど沙耶の心に突き刺さる。
抱いていた淡い期待が、木っ端みじんに打ち砕かれる。まるで、高いところから突き落とされるような感覚だ。
がたっと、鈍い音がする。
いつの間にか、手に持っていたプレゼントが地面に落ちている。
無意識のうちに全身の力が抜け、沙耶は、そのまま泣き崩れるしかなかった。
たくま：「ごめん…」
マンションのエントランスで引っ越しのトラックを見送った、直後のことだった。
たくまは、インターフォンの前で立ち尽くす沙耶の姿を見つけて、慌ててエントランスの死角へと隠れた。
プレゼントを抱え、緊張で体をこわばらせた沙耶。
その切ない後ろ姿を見ると、決意が揺らぐ。
彼女のそばに寄って抱き寄せたいという衝動を必死に押さえつけると、たくまは意を決して、メッセージを送った。
＜たくま：別れよう。もう好きじゃない。あの家も引っ越した、ごめん。今までありがとう＞
― …嘘だ。
気持ちがすれ違おうと、必死で想いを伝えてくれる沙耶を、たくまも本気で愛していた。
既読になったメッセージ。部屋の前で泣き崩れる沙耶。
たくまの胸は、これでもかというほどに締め付けられる。
2人の関係が順調だった頃。付き合った記念日には沙耶にどんな記念日のプレゼントをあげようか、あれこれと悩んでいた。そんな時間すら愛おしかった。
それなのに、迎えた今日という記念日に…結局は一方的に別れ話をするだけで終ってしまった。
けれど、これはたくまなりの、沙耶に送った最後のプレゼントだった。
関係がぎくしゃくしはじめてから、沙耶が仕事に支障をきたしているのは明らか。
このままではお互いのためにならない。別れたほうがいい。そんなこと、ずっと前からお互いにわかっていた。
幸か不幸か、仕事が順調な2人にはこれからも会える時間はほとんどない。時間が合っても、会うのにはいちいち骨が折れる。
うまくいくわけがない。
だったら自分が悪役に徹するしかないと、たくまはそう腹を決めたのだ。
タクシーに乗りこみ、新居へと向かう。
窓の外を流れゆく、けやき坂の景色。イルミネーションが撤去されたばかりのその光景は、たくまの瞳に冷たく映る。
そんな景色の中に、沙耶がイメージモデルをつとめる化粧品の広告もあった。
皮肉にも、幸せそうな沙耶の笑顔がこちらを向いている。
込み上げる何かを必死に押さえ込みながら、たくまは沙耶の笑顔を見つめた。
きっと、お互いがお互いの情報をシャットアウトすることはできない。職業柄、しかたない。
それが今はとてつもなく辛い。辛いけれど…。
それでも、いつか幸せになった沙耶の姿が見られるなら、それも悪くないかもしれないと、たくまは思った。
― 沙耶が、幸せになりますように。
そう祈りながら、たくまはそっと沙耶の連絡先を消す。
寒々しい冬の夜。
誰も知らない、沙耶とたくまの物語が、終わりを告げた。
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