29歳ハイスペ男が“収入と肩書”を捨てて…！？どうしても諦めきれない夢とは
29歳―。
それは、節目の30歳を目前に控え、誰もが焦りや葛藤を抱く年齢だ。
仕事や恋愛、結婚など、決断しなければならない場面が増えるにもかかわらず、考えれば考えるほど正解がわからなくなる。
白黒つけられず、グレーの中を彷徨っている彼らが、覚悟を決めて1歩を踏み出すとき、一体何が起こるのか…。
▶前回：元カレから半年ぶりに誘われ食事に…。男の最低な言動に女が愕然としたワケ
エリートサラリーマンの憂い【前編】
「圭太！この蕎麦、マジで美味いわ！」
「飲んだあとのシメに最高だろう？」
和樹の食べっぷりを眺めながら、圭太は得意気に頷く。
和樹は地元の幼馴染み。今は汐留のテレビ制作会社に勤めていて、職場から圭太のマンションが近いため、たまに仕事帰りに酒を持って遊びに来る。
「これ本当にお前が作ったの？趣味で蕎麦を打ってるとは聞いていたけど…」
「いろんな店を回って研究したよ。年間200杯ぐらい食ってたな。最近、ようやく納得できる味になってきてさ」
圭太は大の蕎麦好きで、大手広告代理店に勤めながらも時間があれば蕎麦屋をひとりで巡り、食べ歩いていた。
「お前が蕎麦を好きになったのって、親父さんがキッカケだったって言ってたよな？」
「ああ…」
幼いころ、圭太はよく父親に連れられ、近所にあった日本蕎麦屋を訪れた。
正直、父親は寡黙で厳しく、子ども心に苦手意識があったが、店に連れて行ってもらえるときは喜んでついて行った。
「お前の作った蕎麦って、親父さんは食べたのか？」
圭太は首を横に振る。
父親は、3ヶ月前に亡くなった。
圭太は中学にあがったころから、父親の誘いを断るようになった。
だから、しばらく店に足を運ぶこともなかった。
すると、いつの間にか店はなくなっていた。
― あの味が、忘れられなかったんだよな…。
今でも、人生史上一番美味しい蕎麦だと思っている。
圭太は自分で蕎麦を打つようになり、味の再現を試みるようになった。
記憶をたどり、試行錯誤を重ね、ようやくその味に近いものが作れるようになったと思えたころ、父親が亡くなった。
― 食べてほしかったけど…。
会話すらままならなかった父親に、せめてもの親孝行と抱いていた思いは、叶わずに終わった。
「小学校の裏あたり？そんな店あったっけな…」
子どものころ近所に住んでいた和樹に蕎麦屋の場所を説明しても、覚えていないと言う。
「マボロシじゃね？」
「違うよ。思い出の味なんだから…」
味を再現できているかどうか、和樹からは参考になる意見は聞けそうにもない。
「でもさ、こんなに美味い蕎麦が作れるのに、趣味で終わらせるのはもったいないよな。店とか出したら？」
「気軽に言うなよ…」
― まあ、考えてなくはないんだけど…。
実は、以前から圭太には蕎麦屋を開きたいという願望があった。
父親が亡くなったことでその思いも一時的に強まっている。
ただ、飲食業界の厳しさはよくわかっているだけに、腰をあげるまでには至らない。
「だよな。せっかくいい会社に入ってるんだし、リスクを負ってまで勝負する必要はないよな」
圭太としても、同感だった。
だが、現在29歳。
まだ勝負をかけてもいい年齢であり、可能性を見いだせる年齢でもある。実際、同期も何人かは起業して独立していった。
それだけに、一歩踏み出せないもどかしさが圭太にはある。
― いっそのこと、不味いって言ってくれたほうが楽なんだよな…。
心のどこかで、未練を断ち切ってくれるような相手を探している…。
◆
日曜日。
圭太は自宅にカメラマンを招いて、蕎麦打ちの風景や、調理し終えた品の撮影をおこなっていた。
「いやあ、奈緒さんゴメンね。こんなこと手伝わせちゃって」
奈緒は、仕事で付き合いのあるフォトグラファーで、『nao』名義でモデルとしても活動している。
「いえいえ。お店を開くためのクラウドファンディング、お手伝いできて嬉しいです。しかも、お父さんとの思い出の味を再現なんて、素敵じゃないですか」
圭太は、蕎麦屋のオープンに向け、クラウドファンディングサイトでプロジェクトを立ち上げることにした。
表向きは、開店資金を集めるのを目的としている。しかし、実際は少々異なる目論見を立てての行動だった。
圭太には、開店資金をまかなえるぐらいの貯金はある。
それでもあえてクラウドファンディングを利用するのは、現実と向き合う状況に自分を追い込みたかったからだ。
賛同者など得られず、支援金など集まるはずがないのは目に見えている。
プロジェクトが失敗に終わることで現実を突きつけられ、やるだけのことはやったと自分に言い聞かせ、未練を断ち切るのが真の目的だった。
「箸上げ、お願いしていいですか？」
「あ、はいはい…」
奈緒の指示に従い、圭太は箸で蕎麦をすくい上げる。
― こんな本格的に撮影してもらって、申し訳ないな…。
達成できるはずのない企画の準備に付き合わせてしまい、心苦しく感じる。
プロジェクトページを作成するにあたり、写真はスマートフォンでの撮影で済ませるつもりだった。
だが、タイミングよく奈緒と仕事が一緒になり、話題に出してみたところ関心を示したため、依頼をした。
「このぶんの謝礼は、あとでちゃんと支払うので…」
「いいんですよ。いつもお仕事でお世話になってますから。それよりも…」
奈緒がカメラを構えながら、視線を圭太に向ける。
「お蕎麦、食べさせてもらえませんか？」
「あ、ああっ！もちろん！」
撮影が終わり、奈緒が機材を片付ける傍らで、圭太は蕎麦を振る舞う準備を手際よく進める。
「んんっ！美味しい！」
奈緒が目を大きく見開いて、賞賛の声をあげる。
「蕎麦自体にコシがあるのもそうだけど、口のなかに広がる風味がいいですね」
「いろいろ試して、香りのいい北海道産の石臼挽きそば粉を取り寄せて使っているんです」
「この麺つゆも絶妙ですね。すっきりしているのに、出汁に厚みがあるというか…」
「そう。昆布といりこ、2種類の鰹節から出汁を取っていて…」
― さすが、感受性が豊かなだけあって舌も敏感だな…。
奈緒の鋭い味覚に、圭太も感心する。
「クラファン、絶対に成功してほしいな…。もしお店ができたら、私、通っちゃうかも！」
「本当に？いやあ、嬉しいなぁ。奈緒さんにそこまで言ってもらえたら、もう満足だな…」
「なに言ってるんですか。期待してますよ」
芸術に携わる人から褒められるのは、また格別なものがあった。
「クラファンのプロジェクトページって、どれぐらいできてるんですか？」
「いや、これから作る感じだけど…」
「よかったら、ライターさん紹介しましょうか？真島さんっていうグルメライターの方で、クラファンのページの作成代行などもやっていて、その方面には強いはずなので」
― そういえば、ページの内容のことまでは具体的に考えてなかったな…。
「あ、そう…。じゃあ、お願いしようかな…？」
ここまでマイペースに進めてきたが、自分よりも周りが動き始めたような印象を受け、悠長には構えていられないような気がしてきた。
◆
圭太はパソコンの前に座り、プロジェクトページの公開に向けて最終チェックをおこなう。
奈緒に紹介してもらったライターの真島のアドバイスを受け、作成したページは審査を通過し、あとは公開ボタンを押すだけの状態となっていた。
― いよいよだな…。やっぱりちょっと緊張するわ…。
目標金額は『200万円』と設定した。
募集方式は、『All-or-Nothing方式』。目標金額を達成した場合のみ支援金を受け取れる形にした。
実際、蕎麦屋をオープンするにあたっては1,000万円ほどかかる。
物件取得費や工事費に関しては貯金でまかない、そのほかの厨房機器や備品などの費用に支援金をあてると用途を明示している。
そのほか、各世代の蕎麦店の利用状況や頻度、理想の価格帯なども調査をおこない、内容に盛り込んだ。
テキストの作成は、圭太がおこなった。
「成功率をあげるには、起案者の熱意が伝わるのが1番大事です」
真島にそう言われ、圭太は蕎麦に対する思いを書き綴った。
父親との思い出や、蕎麦屋をひとり巡り歩いた日々、自分なりに研究を積み重ねた様子などを思い返し、感情を文字にすると、胸に込み上げてくるものがあった。
ここまで関わってきてくれた人たちの顔も浮かび、曖昧だった覚悟に、成功してほしいという願望が加わる。
― どうだろう…。う〜ん…あとは天に任せて！
圭太は逡巡しつつも、公開ボタンをクリックした。
◆
公開から1週間後。
夜、圭太が仕事から帰ったところで、和樹から電話がかかってきた。
「クラファン、見たか？すげえ伸びてるぞ」
ページを作成するにあたり、和樹にも協力をしてもらっていた。
真島から、「動画をのせたほうが成功率が上がる」とのアドバイスを受け、和樹に依頼して蕎麦打ちの手順を撮影してもらったのだ。
圭太はパソコンを立ち上げてページを開くと、唖然とする。なんと、目標金額の80％近くまで達成している。
「ええっ！なんでいきなり…。昨日まで全然だったのに…」
公開直後は知り合いなどからの支援が集まり調子が良かったものの、勢いはすぐにおさまり、推移は横ばいとなっていた。
「たぶん、奈緒さんだよ。SNSにあげてくれたから」
「あっ！そういえば、紹介してくれるって言ってたな…」
― フォロワーが多いことは知ってたけど…。
奈緒の発信力と影響力を侮っていた。
募集終了まで、まだ残り20日間ほどある。この調子であれば、目標を達成するのは間違いない。
望んでいた状況ではあるが、まさか現実になるとは思わず、俄かに動揺が走る。
蕎麦屋を開きたいという願望が、開かなければいけないという義務に変わろうとしている。
開業にあたり、これからこなさなければならない課題が次々と思い浮かび、気後れしてしまう。
― 大丈夫なのか、俺…。
圭太はしばらく、自問自答を繰り返す。
▶前回：元カレから半年ぶりに誘われ食事に…。男の最低な言動に女が愕然としたワケ
▶1話目はこちら：「30歳になったら結婚しよう」かつて約束していた女が、目の前に現れて…
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