試験すら受けられなかったはずなのに、第一志望に合格！？ママ友が激白したお受験への執念
「この子のためなら、何だってしてみせる…」
公園に集う港区の母たちは、そんな呪文を心の中で唱え続ける。
そして、子どもに最高の環境を求めた結果、気づき始めるのだ。
──港区は、小学校受験では遅すぎる…、と。
これは、知られざる幼稚園受験の世界。母…いや受験に取り憑かれた“魔女”たちが織りなす、恐ろしい愛の物語である。
◆これまでのあらすじ
お受験塾「ほうが会」に入会し、華（2）を名門幼稚園受験させた葉月。ママ友の家庭が子どもの発熱で受験できなかったことを知り、心を痛める。そんななか、華の合否が届き…。
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Vol.12 公園の魔女
主要な幼稚園の合否が出揃った、11月半ば。
試験本番の期間はお休みだったほうが会の、久々の保育日だ。
私は華のお迎え時間の少し前に宝川先生を訪ね、応接間へと向かった。
手には、帝国ホテルの『ホテルショップ ガルガンチュワ』のクッキー詰め合わせと、合格のお礼として10万円を包んだ封筒を携えて。
水面化で行われる、暗黙の了解。他のご家庭と比較する機会がないため、これが妥当な金額なのかどうかは結局、今になっても正解がわからない。
けれど私は、ほうが会に入会した去年とはまるで別人のように、堂々と自信を持って宝川先生にお礼を渡す。
「どうなることかと思ったけど、華ちゃんとご家庭のいいところを見てもらえたのね。第一志望園への合格、本当におめでとうございます」
「ありがとうございます。本当にお世話になりました」
およそ1週間前。震える手で開封した、園からの合否を告げる封筒──。
そこには、華の名前と共に「入園許可」と記された書類が入っていたのだ。
へたり込むほどの喜びを噛み締め、入学金を支払い、寄付金を納め…、こうして宝川先生に合格のお礼をお伝えしている、今。
どこか夢の出来事のように感じていた“第一志望園合格”は、徐々に実感を伴ってきている。
けれどその一方で、ずっと気掛かりだった小さな憂鬱もまた、私の中で存在感を増しつつあるのだった。
― 敦子さん…大丈夫かな…。
試験すら受けられなかった敦子さんの気持ちを思うと、手放しで合格を喜んでいいものかどうかわからなかった。
けれど、これが“ご縁”なのだ。そう自分に言い聞かせて、応接間を出たその時。
私は思わず息を呑んだ。
「あ、敦子さん…！」
私と入れ違いで応接間へと通されたのは、試験前に会って以来、久しく連絡を取り合っていなかった敦子さんだった。
「あら、葉月さん！お久しぶり」
敦子さんはニコニコと微笑む。その表情からは、第一志望のお試験すら受けられなかった絶望など、微塵も感じられない。
「敦子さん、あの…」
「ごめんなさい、私ちょっと先生にお話があって。そうだ、よかったらお迎えの後、少しだけ公園に行かない？」
「あ、うん…！」
なんと声をかけていいのかわからず口ごもる私を置いて、敦子さんは颯爽と応接間の中へと入っていく。
そして、閉まりつつあるドアの隙間から漏れ聞こえた宝川先生の声に、私は耳を疑った。
「あらあら、翔子ちゃんのお母様。この度は第一志望園への合格、本当におめでとうございます！
あ、田中先生。これ玄関ホールに貼ってきてちょうだい」
そう言いつけられた田中先生が手に持って出てきた画用紙には、「白百合学園幼稚園 1名」と書いてあるのだった。
◆
有栖川公園の木々は、すっかり紅葉して赤い。まるで炎のように燃え盛る中、屈託のない笑顔で敦子さんが話し始めた。
「葉月さん、華ちゃんの合格おめでとう！お互い第一志望に合格できて、本当に良かったわね」
「翔子ちゃん、白百合が第一志望だったんだね。すっかり同じ園が第一志望だと思ってた。熱を出してお試験受けられなかったって聞いて、心配してたんだよ」
戸惑いながらそう尋ねると、敦子さんはしばらくジッと私を見つめてから、プッと吹き出す。
「葉月さんたら…本当にお人好し。同じ園を受けるのに、心配してくれてたの？ありがとう。
でも私、あの園が第一志望だなんて一度も言ったことないわ。小学校受験を見据えて、最低ラインのあたりまえ…って言ったのよ」
そう言う敦子さんの瞳にも、真っ赤な紅葉が映り込んでいる。
「何度も言ったでしょ、小学校受験からじゃ遅いの。第一志望の私立小に付属幼稚園があるなら、落ちる前提でも受けておかないと説得力がないじゃない。
主人の姉ふたりが白百合卒で、義母から翔子も小学校までには絶対に入れるように言われていたから、本当にホッとしたわ」
赤く爛々と光る目で話し続ける敦子さんは、すっかり興奮した様子だった。
そして、信じられないことを言い放つ。
「それにしても、まさか3保でいきなり合格をいただけるとは思っていなかったから、すでにご挨拶に行ってしまっていたそちらの園への対応には苦労したわ。
角を立てないように辞退するのが大変で…」
「え…？」
私が怪訝な顔をした、その時。敦子さんはハッと我に返った様子で、口をつぐんだ。
「ママー！！」
タイミング良く、たくさんの葉っぱを集めた翔子ちゃんが、敦子さんの元に駆け寄ってくる。キラキラとした笑顔で息を弾ませるその様子は、到底病み上がりには見えない。
私は、ゴクリと唾を飲み下し、小さな声で翔子ちゃんに尋ねる。
「翔子ちゃん、もうお病気大丈夫？」
翔子ちゃんは、何のことかわからないというように小首をかしげ、すぐにまた遊具の方へと駆け出してしまった。
恐る恐る、私は敦子さんに問いかける。
「まさか、翔子ちゃんが体調崩して園を受けられなかったっていう話…。仮病だったの？」
先ほどまでの興奮した様子が嘘のように、敦子さんは静かに、静かに、冷たい微笑みを口元にたたえている。
「葉月さん、意地悪ね。そんなハッキリ聞かなくてもいいじゃない」
理解ができず困惑する私を、敦子さんはしばらくの間、ジッと見つめていた。
そして、諦めるように…いや、どこか見下すように、説明を始めるのだった。
「主人の姉の子が、1歳の男の子で。再来年には幼稚園受験なの。男の子は幼稚舎志望だから、必然的に華ちゃんの幼稚園を目指すことになるわ。けどね…。
葉月さんは知らないかもしれないけれど、一度ご挨拶に行った園の合格を蹴るのは、園長先生の顔に泥を塗る大変失礼なことなの。今後、一族そろって受け入れてもらえなくなるかもしれない、一番やってはいけないことなのよ」
またしても、敦子さんの瞳が輝き始める。
そして発する言葉には、まるで強い魔力が込められているような力強さと恐ろしさがにじんでいた。
「白百合の合否がわかるのは、どこよりも早い10月末。けど、ものすごい倍率なんだもの。第一志望の単願なんて無防備すぎる。
小受のための現実的な園への合格を確約するために、あの園へご挨拶に行くことは必須だったのよ。
“ご縁”がなかった、なんてあいまいな言い訳、してられない。たとえ仮病を使っても、道で泣き崩れるなんて馬鹿げた演技が必要でも…私、この子のためならなんだってできるの」
地獄の炎のように真っ赤な紅葉の中、狂気じみた微笑みを浮かべて語る敦子さんの姿は、異様で、恐ろしくて──まるで、魔女のようだった。
けれど同時に、私は真逆の印象も抱いていた。
― 敦子さん、マリア様みたいに綺麗…。
母親を、ここまで駆り立てる狂気。その根源は紛れもなく、ただ純粋な我が子への愛だ。
「子どものためなら、どんなことでもしてみせる」という決意を貫く母たちの姿は、魔女のごとく恐ろしい一方で、美しい聖母のような姿でもあるように思えた。
そう考えてみると、港区にはなんと多くの魔女が、聖母がいることだろう。
私はふと目線を上げて、公園に集う母親たちを改めてまじまじと見つめた。
ジーンズで泥だらけになって駆け回る、あのママ。
美しいワンピース姿で、外国人シッターに子どもを受け渡すあのママ。
拙いながらも徹底して英語のみで会話する、あのママ。
お受験ワンピースに身を包み、我が子を睨みつけているあのママ…。
皆それぞれの信念に従い、それぞれの狂気に身を投じた、魔女であり聖母なのかもしれなかった。
「それでね、園へのアクセスも考えて来年、白金から番町のあたりに引っ越すことにしたの。有栖川公園にはなかなか来られなくなるかもしれないけど…千鳥ヶ淵公園でも遊びましょ」
ひと通りの話を終えた敦子さんに、私はふと気になったことを尋ねた。
「そういえば敦子さん、『港区は小受では遅すぎる』…って言ってたけど、千代田区の園を受けてたってことだね」
敦子さんは、意地の悪い微笑みを浮かべて言った。
「だって、そうでも言っておかないと、葉月さんたちの第一志望が白百合になったら困るもん。あそこ、医師家庭が強いから」
徹底した敦子さんの魔女ぶりは、もはやいっそ清々しい。
私はいつのまにか、敦子さんと同じ微笑みを浮かべていた。
◆
敦子さんと別れた後、私と華は制服採寸へと向かった。
合格者として足を踏み入れる園は、志願者として面接を受けにきた時よりも一層魅力的に見えて、素晴らしい園で華の幼少期を過ごせることを本当にありがたく感じた。
採寸の順番を待っていると、隣の席の親子がにこやかに声をかけてくる。
「春からよろしくお願いいたします。早生まれちゃんですか？」
「あ、はい。2月生まれです。そちらは？」
「あ、うちも早生まれなんです〜」
そうですか、と微笑み合いながら、当たり障りのない会話を交わした。
とても感じのいいお母様と、利発そうなお嬢さん…。
けれど、この園にいる誰も彼もが、華にとっては素晴らしいお友達でありながらライバルであるということを、私はもう知っていた。
― 華は早生まれだけど、なんのコネもないけど、こうして「名門幼稚園出身」という武器だけは与えてあげられた。ようやく、スタートラインに立てたんだ。敦子さんのような人たちと戦うための、スタートラインに…。
そんなふうに考えてしまう私の顔は今、魔女のように恐ろしいだろうか？それとも、聖母のように美しいだろうか？
どちらでもいい。けれど、これだけは分かっている。
港区は…いや、東京は、小学校受験では遅すぎるのだ。
だから私は──。
─ この子のために、なんだってしてみせる。
Fin.
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