20歳の大武さんはコロナ禍で奪われた2020年“幻の甲子園”の実現を目指す【写真:本人提供】

写真拡大 (全2枚)

2020年夏の甲子園中止、当時の球児たちを集めた大会開催を目指す

“幻”となった甲子園球児の戦いを、2年越しに実現させるプロジェクトが動き始めている。武蔵野大に通う2年生・大武優斗さんは、新型コロナウイルスの影響で最後の夏を奪われた1人。2020年に各都道府県で行われた独自大会の優勝チームを集め、甲子園で試合を開催するべく奮闘している。

 既に46チームから参加の意思を伝えられており、今後は甲子園球場側との交渉、クラウドファウンディングによる資金調達を行う予定。卒業後の今もある高校野球への心残り、プロジェクトを始めるに至った経緯など、発起人が抱く熱い思いを聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 人生の目標を奪われたあの日。今でも日付まで鮮明に覚えている。

「2020年5月20日。自分の心が折れて、野球への熱がなくなってしまいました。正直、ニュースが本当なのか疑いがあったし、信じ切れていない状態で学校に行って……監督さんの話を聞いて、そこで本当に甲子園がないんだと理解しました」

 東京・城西大城西高3年生だった大武さんは、自宅待機中に見たテレビのニュース報道に愕然とした。戦後初、夏の甲子園中止。信じたくない気持ちで開いたツイッターでも、トレンドに上がるなど大きな話題になっていた。

 中学時代はクラブチームで全国16強入り。高校では膝の怪我でなかなか試合に出られずにいたが、高2の秋が終わってようやくセンターのポジションを掴んだ。しかし、年明けから日本列島にも容赦なく影を落としたコロナ禍により、最後の夏は挑むチャンスすら用意されなかった。

「自分は何のために高校野球をやってきたんだろう」。各都道府県で独自大会の開催は決まったが、どうしても普段の熱量では練習に打ち込めない。チームは東東京ベスト16まで勝ち進んだが、引退してもモヤモヤは晴れなかった。甲子園出場は育ててくれた両親の悲願でもあり、親孝行できなかったのは大きな心残りになった。

 当初は大学でも野球を続けるつもりだったが、思わぬ形で高校野球を終えたことで将来に対する考えも変わった。

「甲子園中止で、何もできない不甲斐なさを自分自身に感じました。だから、何かしら影響力を持った人間になりたいと考えたんです」

 進路を考える中で起業・経営に興味を抱き、武蔵野大が2021年からアントレプレナーシップ学部を新設することを知った。「自分の思考と行動で、世界をより良い場所にできると本気で信じる人を増やす」ことをミッションに、教員陣は全員が起業家などの実務家教員。座学はほとんどなく、実践を重視した学部だ。

「野球でもプロ野球選手に教わってみたいって思うのと同じで、教わるならプロの起業家に教えてもらいたいと思いました」

甲子園プロジェクトのきっかけ「本当にやりたいことは何?」

 入学後の今年2月には早速起業。合同会社「VEL」を立ち上げ、就活支援などを行っていた。経験を積む中で「本当に自分がやりたいことは何か?」もより深く考えるようになった。高校卒業から1年が経過しようとしている時期でも、未だに甲子園への道を閉ざされたモヤモヤ感が心に残っていることに気付いた。

 やりきれなかった高校野球への悔しさを持ち、経営を学んでいる自分だからこそできることがあるのではないか。その思いから、コロナ禍で甲子園を奪われた当時の高校球児による野球大会を企画するに至った。

 2020年の各都道府県・独自大会優勝チームを集め、甲子園で試合をしてもらうプロジェクト。大武さんは趣旨に賛同してくれる若手起業家らと実行委員会を組織した。最初はツイッターで地道な発信を続けながら、当時の3年生に連絡する日々が続いた。

「野球関係の友達に、いろんな高校の人に繋いでもらって、電話でプロジェクトのことを伝えて『一緒にやろう』とお願いしていきました。最初はやっぱり信頼性がなく『大学生の若造が何を言ってるんだ』という目で見られていたり、そういうメッセージが来たり。最初の10チームくらいを集めるまでは不安がありましたが、少しずつ信頼度が上がってきて、今は多くのチームに賛同してもらっています」

 現時点で参加の意思を伝えられているのは46チームにまで増えた。参加資格がないチームからも「何か運営で携わらせて欲しい」と申し出る人もいるという。現在は週1度、代表者会議で各チームとオンライン協議。試合形式や着用するユニホーム、ベンチ入りメンバーの人数など、大会規定なども詰めている段階だ。

 形になりつつあるプロジェクトで、最大の課題となるのは甲子園球場が使用できるかどうか。現在は12月〜来年2月の開催を目指し、交渉中だ。参加予定の選手356人から集めた「なぜ甲子園でプレーしたいか」のメッセージも甲子園球場側には渡した。以下、一礼を紹介する。

「関係者の皆様も忙しい中、甲子園で試合するというのは厳しいかもしれません。ですが、僕たちもいろいろな思いがあり、このような素晴らしいプロジェクトには感謝しかないです。高校に入ってから甲子園の舞台しか見てませんでしたし、本当に人生を懸けていました。今もまだ悔しい気持ちや悲しい気持ちがあり、未だにテレビで母校の試合を見たり、他の高校野球を見ることすらできません。甲子園球場は僕たちの夢であり、憧れであり、素晴らしい場所です。どうかご協力いただきたいです」

「自分達の代はコロナが重なってしまい、小さい頃からの夢であった夏の甲子園への挑戦権も得られないまま、不完全燃焼で終わってしまいました。あれから2年経った今も甲子園への憧れは変わりませんし、今年の甲子園を見ていて嬉しい思いもあれば、あの頃を思い出し、悲しい思いも溢れて来ます。甲子園で野球をやらせてください。お願いします」

「僕達の代は甲子園が中止となり、とても悔しい思いをしました。県大会を優勝しても、甲子園でプレーが出来なかった悔しさが今でも残っています。2年経った今でも甲子園でプレーしたい思いは変わりません。是非、甲子園でプレーさせてください」

クラウドファウンディング実施へ「思い出残してもらうことが自分の役割」

 熱い想いを伝えるとともに、利用料金を賄うための準備も進めている。早ければ10月後半からクラウドファウンディングを行う予定で、最低でも5000〜6000万円を集めたい考えだ。選手の交通費、観客を入れるのであれば警備にかかる費用など、大きな金額が必要となるが、余剰金が発生した場合は「各チームにボールなどを寄付する形で、高校野球に還元したい」と大武さんは考えを明かす。

「いろんな方々のおかげでプロジェクトが成り立っています。これから一番大変なお金周りをやっていくことになりますが、実行委員会のメンバーを頼りながらやっていければ」

 大武さんは今回のプロジェクトにおいて、選手として甲子園でプレーすることはできない。「最初は、自分も出たい思いもあった」と笑うが、「独自大会で優勝したチームが出るべきであって、白紙に戻してやるのはおかしい」との考えに落ち着いた。

「野球は部員数が100人いても、9人しかグラウンドには立てない。この大会で言えば、独自大会で優勝したチームがその9人。裏方として、選手に活躍してもらい、思い出として何か残してもらうことが自分の役割だなって凄く感じています。自分は怪我して野球ができない時期もありましたけど、そういう経験があったからこそ、今こうやって頑張れてるんじゃないかなと思います。

 2年前にやりきれなかった思いを、2年越しにやりきったという思いに変えることが重要だと考えていますし、高校野球をやり切って、また新たに大学や社会人での活動に繋がればいい。無事に大会を開催して、選手が思い切ってプレーして、やり切ったとか、何か次のステップに進めるようになれば、このプロジェクトのゴールになると感じています」

“幻”に終わってしまった2020年の夏。ぽっかり空いた元球児の心を埋めるべく、約1000人の力を結集させ、大武さんの挑戦は続く。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)