今、社会はどんな状態なのでしょうか? (写真:タカス/PIXTA)

資本主義は利潤の追求、民主主義は人民が権力を所有する政治形態。この2軸で日本社会は動いてきたが、このバランスがいびつになっている。行きすぎた資本主義と、劣化する民主主義の中で、今、社会はどんな状態なのか? イェール大学助教授の成田悠輔氏の『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』より紹介する。

奇妙な提携である「資本主義」と「民主主義」

人類を突き動かすのは主義(ism)である。経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。嵐の前の静けさかと思うほどかつてない安全と豊かさの泡に包まれた欧米や日本にここ半世紀ほどの間に生まれた者にとって、子どもの頃から何千回と聞かされて、もはや犬も食わない合言葉だろう。

2つを抱き合わせて民主資本主義(democratic capitalism)や市場民主主義(market democracy)と呼ぶことも多い。

だが、ちょっと考えるとこの提携は奇妙である。ふんわりと言って、資本主義は強者が閉じていく仕組み、民主主義は弱者に開かれていく仕組みだからだ(表1)。


(出所:『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』)

ざっくりと言って、資本主義経済では少数の賢い強者が作り出した事業がマスから資源を吸い上げる。事業やそこから生まれた利益を私的所有権で囲い込み、資本市場の複利の力を利かせて貧者を置いてけぼりにする。

戦争や疫病、革命がなければ、富める者がますます富む。平時の資本主義のこの経験則を描いたものにはピケティ『21世紀の資本*1』からシャイデル『暴力と不平等の人類史*2』まで枚挙にいとまがない。そんな強者や異常値に駆動される仕組みが資本主義だ。

民主主義はその逆である。そもそも民主主義とは何か? 民主主義(democracy)の語源はギリシア語のdēmokratíaで、「民衆」や「人民」などを意味するdêmosと、「権力」や「支配」などを意味するkrátosを組み合わせたものだという*3。「人民権力」「民衆支配」といった意味になる。

民衆支配はさまざまな部品からなる。1つは、異質な考えや利害を持つ人々や組織が政治に参入でき、互いに競争したり交渉したり妥協したりしながら過剰な権力集中を抑制する仕組みだ。これを象徴するのが執行/行政府(政府)・立法府(国会)・司法府(最高裁)や無数の監視機関への権限の分散だ。

もう1つの部品が選挙になる。自由で公正な普通選挙を通じて有権者の意思(民意)が政策決定者を縛ることで、民衆が支配する。横から監視し、下から突き上げる諸力が憲法に規定され、簡単にはその仕組みが解除できない状態になっているのが民主主義の典型的な形だ。

どんな天才もバカも、ビリオネアも無職パラサイトも、選挙で与えられるのは同じ1票。情弱でも貧乏でも「だってそう思うんだもん」で一発逆転を起こせるのが民主主義の強みであり弱みである。

平均値や中央値が大事になる。その結果、たとえば年金生活者が投票者のほぼ半数を占める今の日本で民主主義をやると*4、老人っぽい好みへの忖度が物事を突き動かしていくように見える。白髪染めやカツラの通販が妙に多いお昼のテレビ番組と似ている。

民主主義と資本主義を混ぜる理由

逆行して足を引っ張り合うように見える民主主義と資本主義。なぜ水と油を混ぜるのだろう?

人類は世の初めから気づいていた。人の能力や運や資源がおぞましく不平等なこと。そして厄介なことに、技術や知識や事業の革新局面においてこそ不平等が大活躍すること。したがって過激な不平などを否定するなら、それは進歩と繁栄を否定し、技術革新を否定する、仮想現実に等しいことを。

何らかの科学技術の開発にちょっとでも携わったことのある者なら知っているように、最高品質の研究者やエンジニアの創造性と生産性は凡人1000人分を飛び越える。

実直な資本主義的市場競争は、能力や運や資源の格差をさらなる格差に変換する。そんな世界は、つらい。そこに富める者がますます富む複利の魔力が組み合わされば、格差は時間とともに深まる一方で、ますますつらい。このつらさを忘れるために人が引っ張り出してきた鎮痛剤が、凡人に開かれた民主主義なのだろう*5。

これに近い見方は民主主義のはじまりからずっとある。たとえば、生まれたばかりの民主主義を観察したプラトンが書いた『国家』だ*6。

貧富の差が拡がりすぎると、貧乏人は金持ちに対する反乱を企てる。反乱に勝利した貧乏な大衆が支配権を握ったとき立ち上がる政治制度が民主国家だ。そしてプラトンは、こういう民主化は優秀者に支配された理想国家の堕落だと考えた。プラトンの師ソクラテスを死刑に処したのが民主国家だったことからもわかるように。

民主主義の建前めいた美しい理想主義的考え方は、したがって、凡人たちの嫉妬の正当化とも言える。近代民主主義の画期性は、甘い建前をただの建前にとどめず、かといって建前を本音にするように人を洗脳する無理ゲーに挑むのでもなく、皆が合意したということになぜかなっている社会契約として、建前を既定のルールにしてしまった点にある*7。

暴れ馬・資本主義をなだめる民主主義という手綱……その躁うつ的拮抗が普通選挙普及以後のここ数十年の民主社会の模式図だった。

資本主義はパイの成長を担当し、民主主義は作られたパイの分配を担当しているとナイーブに整理してもいい。単純すぎるが、単純すぎる整理には単純すぎるがゆえのメリットがある。

もつれる二人三脚:民主主義というお荷物

しかし、躁うつのバランスが崩れてただの躁になりかけている。資本主義が加速する一方、民主主義が重症に見えるからだ。

今世紀の政治は、勃興するインターネットやSNSを通じた草の根グローバル民主主義を夢見ながらはじまった。日本でも、2000年代にはインターネットを通じた多人数双方向コミュニケーションが直接民主主義の究極形を実現するといった希望にあふれた展望がよく語られた。

だが、現実は残酷だった。ネットを通じた民衆動員で夢を実現するはずだった中東民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折し逆流した*8。

むしろネットが拡散するフェイクニュースや陰謀論やヘイトスピーチが選挙を侵食し、北南米や欧州でポピュリスト政治家が増殖したと広く信じられている*9。

トランプ前アメリカ大統領やブラジルのボルソナロ大統領などのお笑い芸人兼政治家たちが象徴だ。民主主義の敗北に次ぐ敗北。21世紀の21年間が与える印象だ。『民主主義の死に方』『民主主義の壊れ方』『権威主義の誘惑:民主政治の黄昏』といった本が、ふだんは控え目な見出ししか付けたがらない一流学者たちによって次々と英語圏で出版されたこともこの印象を強めている*10。

実際、民主主義は後退(backsliding)している。今世紀に入ってから非民主化・専制化する方向に政治制度を変える国が増え、専制国・非民主国に住む人のほうが多数派になっている。この傾向はこの5〜10年さらに加速している*11。

今や民主主義は世界のお荷物なのだろうか? それとも何かの偶然や、民主主義とは別の要因の責任を民主主義に被らせているだけなのだろうか?

民主主義的な国ほど、経済成長が低迷し続けている

民主主義こそ21世紀の経済を悩ませる問題児であるようだ。私とイェール大学の大学生・須藤亜佑美さんが独自に行ったデータ分析の発見である。世論に耳を傾ける民主主義的な国ほど、今世紀に入ってから経済成長が低迷し続けている(図1)。


(出所:『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』)

図1の横軸には、その国の政治制度がどれくらい民主主義的かを表す「民主主義指数」をとった。スウェーデン発の「多種多様な民主主義(Varieties of Democracy、通称V-Dem)」プロジェクトが作成したものだ。結社や表現の自由、公正な選挙などの項目を総合し指数化している*13。

一方、縦軸には2001〜2019年の間の平均GDP成長率をとってみた。民主主義と経済成長の間に負の相関関係があり、民主国家ほど成長が鈍っていることがわかる。どの国を重視するかの重みづけを変えても、民主主義指数をほかの機関が作成したものに変えたり、総GDPを1人当たりGDPに変えたりしても、結果はほとんど変わらない*14。

こういった話、つまり「世論に耳を傾ける民主主義的な国ほど今世紀の経済成長が鈍い」という話をすると、すぐに上から目線のお叱りやクソリプが飛んでくる。「見せかけの相関で小躍りするなこの低脳が!」という怒号だ。確かに、相関は因果ではなく、民主主義と経済成長の間に負の相関関係があるからといって、民主主義が経済停滞を生み出しているとは限らない。

大陸・地域問わず非民主陣営の急成長が驚異的

しかし、さらに分析を行うことで、民主主義こそが失敗を引き起こしている原因だとわかってきた。図1で示した民主主義と経済成長の関係は、どうやらちゃんと因果関係でもあるようなのだ。ただ、その点を示す分析はちょっと専門的になる。


経済低迷のリーダーはもちろんわが国だが、日本だけではない。欧米や南米の民主国家のほとんども実は目くそ鼻くそで、地球全体から見ると経済が停滞している。

逆に、非民主陣営の急成長は驚異的である。爆伸びのリーダーは隣国だが、これも中国だけではない。中国に限らず、東南アジア・中東・アフリカなどの非民主国家の躍進も目覚ましい。

「民主世界の失われた20年」とでも言うべきこの現象は、中国とアメリカを分析から除いても、G7諸国を除いても成立するし、どの大陸・地域でも見られる。グローバルな現象である。

*1 Piketty, T. Capital in the Twenty-First Century. Harvard University Press, 2014.(『21世紀の資本』みすず書房、2014年)
*2 Scheidel, W. The Great Leveler: Violence and the History of Inequalityfrom the Stone Age to the Twenty-First Century. Princeton University
Press, 2018.(『暴力と不平等の人類史――戦争・革命・崩壊・疫病』東洋経済新報社、2019年)
*3 Canfora, L. La democrazia. Storia di un’ideologia. Laterza, 2008. (Democracyin Europe: A History of an Ideology. Wiley-Blackwell, 2006)
橋場弦『民主主義の源流:古代アテネの実験』(講談社、2016年)
*4 2021年の衆議院選挙で65歳以上の投票者が全投票者に占める割合は約42% と推定される。総務省「国会議員の選挙における年令別投票状況」
*5 余談だが、非効率と不合理だらけの大組織や大企業もまた、おそらくもうひとつの凡人至上主義的緩衝材である。
*6 プラトン『国家〈上・下〉』(岩波文庫、1979年)
*7 R ousseau, J. Du Contrat Social, 1762.(『社会契約論』岩波文庫、1954年)
*8 Feldman, N. The Arab Winter: A Tragedy. Princeton University Press, 2020.
*9 Sunstein, C. #republic: Divided Democracy in the Age of Social Media.Princeton University Press, 2017.
*10 L evitsky, S., and D. Ziblatt. How Democracies Die. Crown, 2018.( 『民主主義の死に方』新潮社、2018年)
Runciman, D. How Democracy Ends. Hachette Audio, 2018.(『民主主義の壊れ方』白水社、2020年)
Applebaum, A. Twilight of Democracy: The Seductive Lure of Authoritarianism. Signal Books, 2020.(『権威主義の誘惑:民主政治の黄昏』白水社、2021年)
*11 Vanessa A. B., N. Alizada, M. Lundstedt, K. Morrison, N. Natsika, Y.Sato, H. Tai, and S. I. Lindberg. “Autocratization Changing Nature?”
Democracy Report 2022. Varieties of Democracy (V-Dem) Institute(2022). Figure 4

(成田 悠輔 : 米イェール大学助教授・ 半熟仮想代表)