鹿児島水産の選手として10年ぶりに出場した石原太洋【写真:宮内宏哉】

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インターハイ柔道、石原は鹿児島水産の選手として10年ぶりに出場

 柔道の全国高校総体(インターハイ)は7日、競技2日目が行われた。鹿児島水産(鹿児島)の選手として10年ぶりに出場した石原太洋(3年)は、個人戦の男子66キロ級で初戦敗退だったが、目標としていたインターハイを経験。高校では1か月にも及ぶ船上実習などもあり、他校に比べ練習時間も少ない。そんな中で掴んだ全国の舞台を終え、今後は「豪華客船の船長になる」という将来の夢に向かって邁進する。(取材・文:THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

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 九州南端の鹿児島県。西に浮かぶ甑島(こしきしま)が石原の故郷だ。人口約4000人、父は漁師としてキビナゴ漁に勤しんでいる。幼い頃から、海に興味が湧くのは必然だった。

 中学生になり、将来の夢を考えていた頃。鹿児島の港に偶然、大型の豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス号」が停泊していた。「カッコいい、乗りたい」。世界一周できるほど大きな客船の船長になることを志し、鹿児島水産の海洋技術コースに進学することを決めた。

 柔道は5歳の時、親の勧めもあって始めた。中学3年で団体優勝を経験。個人でも県で3位になるなど実力はあり、高校のインターハイ出場はもう一つの夢。ただ、鹿児島水産は部員も少なく、今年は7人。さらに、海洋技術コースだと練習に制限も生じた。国語、数学など基礎科目のほか、専門教科を学ぶからだ。

 2年生の11〜12月の約1か月間は、船上実習で鹿児島―静岡―横浜―長崎などを回った。この期間はトレーニング器具も持ち込めず、クラスが違うため船の上に柔道部員もいない。自重トレーニングで鍛えるしかできなかった。カツオ一本釣りの実習などもあり、度々海に出ることから練習時間はおろか、試合の機会もなかなか作れなかった。

 1年夏のインターハイ予選は、コロナ禍のため中止。公式戦初出場は、1年冬の選手権だった。2年夏のインターハイ予選で県ベスト8となったが、それ以降は公式戦に一切出られず。「めちゃめちゃ不安だった」という1年ぶりの舞台で県大会優勝を掴み、最後の最後にインターハイ本戦出場を決めた。

柔道はこれで一区切り「学んだのは、キツさですかね(笑)」

 高校の寮に入る前、世話になった両親には「インターハイに連れて行く」と約束。勝って全国の切符を掴んだ瞬間、客席にいた両親の顔を見て涙があふれた。

「他校より練習できない以上、どうにか負けない自信をつけるしかない状況。部活の練習だけじゃ足りないと思って、ベンチプレスなど学校の器具を使って鍛えたのが大きかったです」。45分間の朝練、部活後のトレーニングで自主的に筋力を上げたことで道が開けた。

 柔道個人戦の出場は、鹿児島水産の選手としては10年ぶり。男子66キロ級初戦では水戸啓明(茨城)の清水福虎(3年)と戦い、合わせ技一本で敗れた。「力の差を凄く感じて悔しかった。組んだ時、シンプルにパワーが違うと思った。もう少し試合をしたかったです」。夢の舞台はあっという間に終わった。それでも石原はやり切った表情を浮かべていた。

 柔道はこれで一区切り。高校卒業後は、静岡にある国立清水海上技術短期大に進学し、免許取得のため学業に励む。「柔道から学んだのは、キツさですかね(笑)。キツいけど、楽しい。勝った時の喜び、試合前の緊張とかも成長に繋がった。これからは親に恩返しできたら。柔道でもお世話になったので、今度は自分が親を支えたい」。畳の上で学んだことは、海に出るまでの過程でも活きると信じている。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)