白衣をつけてハサミをにぎると、その手元はピシャッと決まる。日本最高齢理容師・箱石シツイさん(105歳)は、鮮やかな手つきでお客さんの髪を整えます。「体が動く限り、仕事を続けたい」。そう語る、シツイさんの元気の源を知るべく、これまでの人生を振り返ってもらいました。

戦争・疎開・子育て・理髪店…105年の波乱万丈人生

シツイさんは大正5年、栃木県の農家の三女に生まれました。「手に職をつける」ために、東京の理髪店に住み込みで奉公に出たのが14歳のとき。

「浅草にあった、大きな理髪店だったんですよ。私みたいな住み込みの従業員もたくさんいてね。普通は5年の年季奉公と1年のお礼奉公、6年は住み込みで働いて技術を学ぶんです。でも、私は実家からお米やらお布団やらを送ってもらってましたから、奉公先も助かったんでしょう。3年で修行を終えたんです」

その当時のお小遣いは、1か月30銭。仲間たちが遊ぶ間も道具(ハサミやカミソリ)の手入れをするなど、コツコツと努力を続けました。
やがて、同じく理容師の夫と結婚。夫婦は新宿区落合に店を開きます。子どもも2人、授かりました。順風満帆に見えた時、第二次世界大戦が勃発。夫は長男の英政さんが生後10か月のときに、出征しました。

「空襲がひどくなってきて、子どもたちのためにも疎開することにしたんです。栃木の実家に疎開の相談をしに戻ったら、その夜に東京大空襲。店も家も焼け落ちて、帰る場所もなくなりました。子ども2人抱えて、命が助かっただけでも幸いだと思わなくちゃ」

終戦を迎えたものの、夫は戻らず、生活は苦しいまま。栃木で理髪店を開きましたが、地元に古くからある同業者からは歓迎されず。栃木県では免許を取っていない、と指摘され、改めて試験を受け直すなどの苦労をしました。

 

「一時期は、子どもたちと一緒に死のうとさえ思いました。でも、家族が支えてくれましたからね。夫は8年待ったけれど、結局戦死公報が届いて。なんとか店を切り盛りするうちに、ここでもう70年以上続けていますよ」

 

●体が資本。毎朝1時間以上の体操とウォーキング

理容師としての現役生活はなんと90年以上! 昨年行われた東京オリンピックの聖火リレーでは栃木県内での走者も務め、話題を集めました。
100歳を超えているとは思えない元気っぷりの秘密はどこにあるのでしょう?

「理容師の仕事は体が資本。子どもたちが独立してから、ずっと一人暮らしでしたから、自分がちゃんとしなくちゃ。それで70歳ぐらいから体操を始めたんですよ」

体操の内容は、誰かに教わったわけではありません。雑誌やテレビで見た運動を見よう見まねで繰り返すうちに少しずつメニューが増えて、今や30種類ほど! 毎朝目覚めてから、全メニューを終えるまでには2時間近くかかります。

朝、ベッドの中で目覚めたら、そのまま少しずつ、手や足を動かします。メニューはすっかり頭に入っているので、体は自然に動くのだとか。起き上がってからも運動を続け、全部終わったら近所をぐるりと一周。杖もつかず、背筋をピンと伸ばして颯爽と歩く姿は、とても105歳には見えません。

「聖火ランナーの大役を仰せつかったときはおどろきましたよ。本番までにケガをしたり、寝込んだりしたんじゃ申し訳ない。毎日歩く練習をしました」

トーチ(聖火)のおおよその大きさや重さを事前に教えてもらい、息子の英政さんが似た条件のもの(トレーニング用の器具)を購入。それを持って、毎朝1000歩、歩きました。
「がんばって練習してるうちに、コロナで1年延びちゃった。トレーニングも延長ですよ(笑)。終わった時はほっとしましたね。今は1日500歩に減らして、歩き続けています」

 

●元気でいられるのは食事と支えてくれる人たちのおかげ

102歳になるまで一人暮らしをしていたシツイさん。家の前の庭に畑をつくって野菜を育てるなど、元気に暮らしていましたが、転んで肋骨を骨折したのを機に英政さん夫妻が同居するように。今は三度の食事もつくってもらっています。

「好き嫌いはありません。お肉もお魚も大好き。腎臓が悪いらしくてカリウムの摂り過ぎはよくない、ってお医者さんに言われてからは、野菜は温野菜が多いですね」

朝食にはかならずヨーグルトにきなことココアをかけて。ご飯のほか、卵、牛乳、ハムなどでしっかりタンパク質を摂ります。お昼も煮物や煮魚、野菜もたっぷり。夜は息子さん夫婦の晩酌におつき合いしながら夕方6時ごろから。

「お茶はお昼までにしてるんです。カフェインのせいで夜寝つけなくなっちゃう。そのかわり、息子が発明したお茶(散草茶=アザミ、ミョウガ、ツユクサをブレンドした健康茶。道の駅などで販売中)を欠かさず飲んでます。頭がすっきりするんですよ」

そしてなにより、シツイさんの元気の素は仕事とお友達の存在です。

 

「このあたりの人たちはみんな知り合い。東京から引き揚げた当初は苦労もしましたが、70年以上も経つんですもの。どこの誰が家を建てた、どこの家に孫が生まれた、って、話題はしょっちゅう飛び込んできます」

仲良しのお友達も遊びに来てくれます。テレビや雑誌でシツイさんのことを知った人が訪ねて来ることも。

「体が動くうちはハサミを握りたい。おかげさまで毎日楽しいですよ」

 

箱石シツイさんの記事はこちらにも

栃木の105歳おばあちゃん理容師。元気でいられる日々のルーティン