「いやあ、鶯谷はションベンくせえ街だな、おい」漫才コンビ・納言の街ディスりネタが秀逸 - 松田健次
※この記事は2019年07月03日にBLOGOSで公開されたものです
「いやあ、鶯谷はションベンくせえ街だな、おい」「いやあ、大塚の救急車はぜんぜん急がねえな、おい」―――、漫才コンビ「納言」の薄幸(すすきみゆき)が言い放つ「街ディスり」のキレ具合を追いかけている。お笑いコンビ「納言」の街ディスりネタが秀逸
薄幸(すすきみゆき)は革ジャンに白シャツにデニム、酒とタバコとバイクとパチスロで一日の大半が過ぎていきそうな、やさぐれオンナというキャラだ。相方の安部紀克は、今のところキャラの薄さがキャラのような段階(なのだが不気味確変があるかもしれない)。太田プロダクションに所属、2017年に結成した芸歴3年目の男女コンビである。彼らをテレビ地上波で見かけるようになったのは今年2月。「ネタパレ」(フジテレビ)がテレビ初登場らしく、以後月イチ程度で登場しネタを披露中。現在は「有田ジェネレーション」(TBS)で若手レギュラーの一組にもなっている。
ネタは「幸がキャバクラ嬢に勧誘される」「幸が引越しの挨拶に行ってナンパされる」等々の漫才コントで「絶対断る」と強気の幸が、好みのツボを突かれるとあっさりOKしてしまうのが基本パターンだ。そのツカミで見せるのが、幸がタバコふかして街をディスるシーン。この「街ディスり」が何しろ出色だ。
そこに至るネタの流れは以下――、
< 2019年2月8日放送「ネタパレ」(フジテレビ)より 納言 >このやさぐれキャラ、薄幸どんぴしゃのハマり役で、キャラとネタが見事に合致していて心地いい。「一発タバコぶちかましてから」ボヤきくさす「街ディスり」は、フレーズ多彩でどれもキレがいい。
安部「どうも納言です、お願いしまーす」
幸 「はい、おねがいしやーす。いやーめんどくせーな」
安部「うん?」
幸 「めちゃくちゃめんどくせーよ。つーのもあたし、めちゃくちゃキャバ嬢のスカウト受けんだよ」
安部「あ、そうなの」
幸 「ああ、でもあたし絶対断ってみせっからな」
安部「ああ」
幸 「うい、お(ねが)いしやーす。(タバコふかして)いやあ、鶯谷はションベンくせえ街だな、おい。よし行くかー」
安部「すいませーん、夜のお仕事興味ないですかー」
幸 「ああ興味ないっすね」
(後略)
< 2019年2月8日放送「ネタパレ」(フジテレビ)より >観察系あり、大喜利系あり、直球あり・・・そのどれもが「芯」を捉えていて抱腹だ。何しろ、蒲田、西川口のディスりなどはド直球過ぎて最初は耳を疑った。よく言えるな、と。そして、よく放送できるな、と。
「いやあ、神田の女はすぐ金券ショップに入るな、おい」
「いやあ、蒲田に来ちまったらこりゃもう生きては帰れねえわな、おい」
< 2019年4月19日放送「ネタパレ」(フジテレビ)より >
「いやあ、池袋むなくそワルイ街だな、おい」
「いやあ、小岩の女はひざ小僧が汚ねえな、おい」
< 2019年4月29日放送「有田ジェネレーション」(TBS)より >
「いやあ、西川口はもう人間の住む街じゃねえな、おい」
< 2019年5月17日放送「ネタパレ」(フジテレビ)より >
「いやあ、渋谷はもうバイオハザードみてえな街だな、おい」
「いやあ、三茶の女は返事が小せえな、おい」
ともすると、「街ディスり」は笑える笑えないが紙一重にもなりうる。そこで、薄幸がことごとく可笑しいのはなぜか。彼女が結果的にその「パス(資格)」を有しているからではないだろうか。
薄幸は平成5年生まれで現在26歳。まさに平成という失速と停滞の30年の間に生まれ育った平成ジェネレーションだ。不景気が長々と横たわり、非正規雇用、低賃金、無貯蓄、少子化・・・、だらだらと続くローテンションに覆われ、景気のいい話はすべて他人事という世代だ。
そこで、何かしらの未来を見い出す希望から距離を置き、適度に傷つかぬよう、やさぐれという脆い被膜に身を包んだなら、その冷めた眼にはいったいどんな「街」の風景が映るのか。
ネタのようでリアル、リアルのようでネタ、その境界線で発する「街ディスり」。それを成立させる彼女の「パス」は、手にするべくして手にした世代のアイテムなのかもしれない。
脈々と受け継がれる地方ネタ
地方や地域を題材とする笑いに目を向けると、ほぼ人類の有史と共にあった「中央と辺境」「都会と田舎」という永遠の対比があるのだけど、お笑い近代史でその辺りを振り返るなら1970年代後半にタモリが「名古屋はダサい」と大都市に対する中都市の微妙なコンプレックスを指摘し、80年代の漫才ブームではB&Bが「広島VS岡山」、ツービートが「山形VS足立区」という地方同士の不毛な格差を広げ、次世代のウッチャンナンチャンは「日比谷線VS銀座線」で都心の中に対立を見い出し、90~00年代には、はなわが「佐賀県」を歌い、U字工事が「栃木訛り」をサルベージした。ことに2010年以降は、都道府県の県境で区切られていた地方いじりが、市町村レベルで細分化していく。「タモリ倶楽部」や「モヤモヤさまぁ~ず」は街を徘徊して路地の甘噛みを続け、「月曜から夜ふかし」は「秘密のケンミンSHOW」「アド街ック天国」が触れない「街」の陰に踏み込んでマツコ・デラックスに裁かせている。そして今年2019年は映画「翔んで埼玉!」がスマッシュヒットし、納言が姿を現した・・・。
コンプライアンスでポリコレで格差拡大の時代に、「街」や「地域」を笑いで扱うことはとてもナーバスな案件でもある。捉え方に配慮を欠けば単に優越感と不快感の抽出に堕ちてしまうだろう。
納言・薄幸を見ていて感心するのは、その地の「芯」を捉えて来る眼だ。彼女の眼(レンズ)にはおそらく、それを的確に見い出すフォーカスや解像度の高さのようなものがあるのだろう。(もしも「街ディスり」のネタを作っているのが別の誰かだったら、この話は少々変わるのだけど・・・)
とはいえ、納言・薄幸の眼は、生半可な視線では見えてこない街の風景を次々に見せてくる。そして最近はこの「街ディスり」をさらに押し出す連写モードも見せている。
< 2019年6月24日放送「ネタパレ」(フジテレビ)より >今、東京はオリンピックに向かって「TOKYO2020」の大合唱のさなかにある。クサい問題にフタをしながら思考停止の行進に突入中だ。都合のいいとこだけを切り取ってご案内するオモテナシが蔓延する中で、薄幸が一発タバコぶちかましてTOKYOを片っ端からディスる動画が(各国字幕対応で)席巻したら・・・、見まくる。
幸 「いやあ、駒込はもう遊ぶところ質屋しかねーじゃねーか、おい」
安部「タバコ吸うのはいいけど街をディスるのはやめて」
幸 「いや、おまえ何にもわかってないね。街をディスりながら吸うタバコがいっちばんタバコなんだよ」
安部「どういうタバコ?」
幸 「いやあ、赤羽の女は喪服が明るいな、おい」