【鎌倉殿の13人】頼朝愛が過ぎる上総広常(演:佐藤浩市)、嫉妬で年甲斐もなく大喧嘩の巻

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「この戦さ、俺のついた方が勝ちだ!」

そう豪語して視聴者にインパクトを与えた坂東の巨頭・上総広常(演:佐藤浩市)。

事実、二万騎もの大軍を率いて加勢したことで源平合戦の形勢は逆転。石橋山で惨敗を喫した源頼朝(演:大泉洋)の捲土重来に大きく貢献したのでした。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では瓢箪を片手に酒をあおり、べらんめぇ口調で主人公・北条義時(演:小栗旬)の兄貴的存在となっている広常。

まさに傲岸不遜を絵に描いたようなその姿は、同じ三谷幸喜が脚本を書いた大河ドラマ「新選組!」の芹沢鴨を彷彿とさせます。彼も佐藤浩市さんが熱演していましたね。

上総広常。歌川芳虎「大日本六十余将 上総介広常」

そんな広常は頼朝が大好きだったようで、大河ドラマでは「武衛、ブエイ」と呼んで懐いている模様。

「鎌倉殿の13人」まさかのコミカル展開(笑)今日からお前らみんな武衛だ!第8回「いざ、鎌倉」振り返り

今回は広常が他の御家人に嫉妬してトラブルを起こしてしまうエピソードを紹介。素直に頼朝愛を表現できないツンデレぶりを、ご堪能頂ければと思います。

岡崎義実、頼朝から水干を拝領

時は治承5年(1181年)6月19日、頼朝らは三浦義澄(演:佐藤B作)の館に招かれて納涼の椀飯(おうばん。食事会)を楽しんでいました。

「佐殿。それがしに褒美を下されよ」

いい感じに酔っ払って頼朝にからんだ?のは、挙兵以来の最古参・岡崎義実(演:たかお鷹)。老体に鞭打って、石橋山の苦境をくぐり抜けた一人です。

「おぉ、悪四郎(義実)か。鎌倉の今日あるもそなた達のお陰……何なりと申せ」

「然らば、お召しの水干(すいかん)を頂戴しとう存じまする」

日ごろは簡素な直垂(ひたたれ)ばかりで、改まって水干など着る機会もないものですから、ここぞとばかりにおねだりする義実でした。

水干の一例(画像:コトバンク)

「あぁ、いいぞ。さっそく着て見せよ」

頼朝はこういうところ気前がいい(というより、その気になれば何着でも用意できる)ので、快諾して水干を脱ぎ渡します。

「ありがたき仕合せ……佐殿が御自ら下さったこの水干、末代まで家宝と致しまする!」

お下がりの水干に身を包んだ義実は、袖を舞わせて裾をひるがえし、まるで新しい服を買ってもらった少女のように喜んだことでしょう。

「与一、与一よ……見ておるか。これは佐殿より拝領せし水干ぞ。美々しいのぅ。嬉しいのぅ……」

与一(よいち)とは石橋山の合戦で討死した義実の嫡男・佐奈田義忠(さなだ よしただ)。大河ドラマでは割愛されてしまいましたが、第5回「兄との約束」の後に紹介されていましたね。

佐奈田与一義忠。これは石橋山の合戦で敵将・俣野五郎景久を取り押さえた場面。菊池容斎『前賢故実』より

石橋山はもちろんのこと、亡き源義朝(よしとも、頼朝の亡父)の代から忠義を尽くしてきた苦難の日々に思いを馳せ、往時を知る御家人たちも感涙を禁じ得ません。

そんな中、有頂天の義実に水を差す者がいました。頼朝武士団では新参者の広常(かつて義朝に仕えていたことはありますが、頼朝とはほぼ初対面)です。

「俺の方が似合うモンねー」嫉妬する広常の挑発

この美服は広常が如きが拝領すべきものなり。義実の様なる老者が賞せらるるの条、存外

【意訳】この水干は俺にこそ似合うものだ。それをこんな老いぼれに与えるなんざ、武衛もわかってねぇなぁ(佐藤浩市テイストで)。

確かにこの時点で義実は齢70に達していますが、広常だって(生年不詳ながら)年代的には千葉介常胤(演:岡本信人)なんかと同じ。

頼朝から父とも慕われた千葉介常胤。菊池容斎『前賢故実』より

という事は軽く見て60代、決して他人様を老いぼれ呼ばわりできるほど若くはありません(もちろん、どんなに若くても他人様を老いぼれ呼ばわりするのは論外ですが)。

老いてなお血気盛んな義実は猛然と反論。悪(にく)らしいほど猛々しい悪四郎の二つ名は伊達じゃありません。

広常功あるのよしを思ふといへども、義実が最初の忠に比べ難し。更に対揚の存念有るべからず

【意訳】てめぇ今何ン言(ツ)った。大軍を恃みに威張ってやがるが、志一つで佐殿の挙兵に従い、みんなと苦労を重ねて来た我らが忠義と比べモノになるかよ。下らねぇこと吐(ぬ)かすとタダじゃおかねぇぞ!

ほぅ、面白ぇ。やンのかコラ!……老人二人の喧嘩を前にした頼朝はうろたえてしまいます。

このままだと刃傷沙汰に発展しかねないところに割って入ったのが三浦十郎義連(みうら じゅうろうよしつら。義澄の末弟)。

年若くも毅然と広常に物申した三浦義連。菊池容斎『前賢故実』より

此(かく)の時に爭(いかで)か濫吹(らんすい)を好む可し乎(べしや)。若し老狂之致す所歟(か)。広常之躰(のてい)又物儀に叶不(かなわず)。所存有ら者(あらば)、後日を期す可し。

【意訳】せっかくみんな楽しんでいるのに、つまらんいざこざを起こしなさるな。岡崎殿ともあろう者が、ボケちまったンですかい。上総殿も野暮なことを言うンじゃねぇや。どうしても腹が収まらないってンなら、改めて喧嘩の場所を設定しますが?

義実は義澄の叔父に当たる三浦一族。喧嘩になれば、間違いなく義澄たちも敵に回ることでしょう。

出来れば喧嘩は避けたいが、やるならば一族郎党総力を挙げて相手してやる……そんな三浦一族の気迫に怯んだか、広常もそれ以上はつっかからなかったようです。

終わりに

かくして事無きを得たのですが、ただ美々しき水干をめぐって争ったのではなく、それが「頼朝のお下がり」だったことが騒動の一因となったのでした。

大河ドラマではおそらく割愛されてしまうのでしょうが、今回の広常だけでなく御家人たちがいかに頼朝を愛していたか、それを感じられるエピソードを少しでも盛り込んで欲しいものです。

こんな感じで何かとトラブルを引き起こす問題児だった広常は、後の寿永2年(1184年)12月20日、梶原景時(演:中村獅童)によって暗殺されてしまいます。

どこまでも頼朝に惚れ込み、いつでも自分が一番じゃないと気が済まなかった(他の御家人が褒められるのさえ妬ましかった)広常。

でありながら素直ではないツンデレぶりと、それに辟易とする頼朝の関係がどう演じられるか、今後も「鎌倉殿の13人」に注目ですね。

※参考文献:

細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人と本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月