外食が思うようにできなかった、2021年。

外で自由に食事ができる素晴らしさを、改めてかみ締める機会が多かったのではないだろうか。

レストランに一歩足を踏み入れれば、私たちの心は一気に華やぐ。

なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。

これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。

▶前回:東京レストラン・ストーリー:港区女子が一晩でハマった男。しかし2人の仲を引き裂こうとする影が…




Vol.2 慎之介(31歳)東京タワーみたいな恋をした


『ニューヨークグリル & バー』で、舞香は満足そうに微笑みながら、僕を見つめる。

大好きな彼女の視線に応えながら、ステーキを口に運んだ。ここの分厚いテンダーロインと付け合わせのマッシュポテトは、すごく僕の好みだ。

大きな窓の向こうに見える、温かなオレンジ色の光にふと目を奪われる。

―東京タワー。

東京タワーは僕の青春時代の象徴で、その時代を語るには、ある1人の女性のことを思い出さずにはいられない―。



それは、去年のこの時期にちょうど大ヒットした映画みたいに、平凡な、でもだからこそ一生に一度の恋だった。

激しく燃え上がることはしなかったけれど、僕の心をずっと温かく満たしてくれるような、そんな恋。

恋の相手は、真子。大学2年生から5年間付き合った。

彼女は東京タワーが見える夜景が好きで、学生時代、僕らはよく夜の芝公園を散歩した。

「本当、女子って夜景が好きだよな」

夜景を見に行くとき、僕は真子に連れられて仕方なく…というテイをとっていたけれど、実は僕もこのデートが嫌いじゃなかった。

「だって夜の東京タワーって、見るとワクワクしない?」

東京のど真ん中にそびえ立ち、オレンジ色の光を放つ東京タワー。本当は僕も東京タワーがすごく好きだった。

だけど、男がそんなこと言うのはどこか照れくさい。だから彼女への共感の言葉は伝えられなかった。

そんな言葉足らずな僕が原因だったのだろうか。それとも、もっと根本的なところに問題を抱えていたのだろうか。

今になってはもうわからないけれど、社会人になって驚くほどあっけなく破局してしまった。

別れの引き金となったのは、些細なことだった。


5年も交際していたというのに、あっけなく破局してしまったのは・・・




真子とは、慶應のテニスサークルで出会った。

1つ年下の彼女に強烈に恋焦がれたわけでも、猛アプローチを受けたわけでもない。お互い、第一印象は別に悪くもなかったが、特別な好意を持つこともなかった。

けれど、ある時突然に真子が興奮しながら話しかけてきたのだ。

「もしかして先輩、乙一さん好きなんですか?」

乙一さんの小説は超メジャーではないだろうし、ちょっぴりダークな世界観は万人受けするものじゃない。

だけど、僕は中学生の頃から大好きな作家で、大学生になってもたまに読み返したりしていた。

サークルの練習帰り、僕のカバンから覗いた『死にぞこないの青』に吸い寄せられるように、真子がそう話しかけてきたのだ。

「…うん。真子も好きなの?」

それから、距離が近づくのはあっという間だった。

乙一さんの小説だけじゃない、他にも好きな作家や音楽の趣味が何かと合った。自分の趣向はちょっとニッチだと思っていたからこそ、共鳴度合いは高かった。

そしていつの間にか頻繁に会うようになり、気づいたら付き合っていた。僕にとっては、はじめてのパターンだった。




たまに小さな喧嘩をすることはあったけれど、穏やかな恋。何気ない平凡な幸せが、そこにはあった。

そして真子の就職が決まったとき、お祝いに、今はもう閉店してしまった麻布十番の『ヒルトップカシータ』に彼女を連れて行った。

デザートを食べる時にルーフトップのテラスに行けるのだが、そこから東京タワーが見えたとき、彼女はいたく感激していた。

「わぁ…。ここでデザートが食べられるの?」

真子の興奮っぷりとはしゃぎ方が可愛くて、翌年の記念日には『ワカヌイ』へ。

こんな近くに東京タワーが望めるレストランは他にないだろう。




「最高だねぇ…」

やはり真子は僕の期待を裏切ることなく、心底感激してくれていた。その姿は、たまらく愛おしい。

『ワカヌイ』のラムチョップがとても美味しくて、何皿も頼んだら少し呆れられたし、社会人なりたての僕のお財布には少々痛かったけれど、真子が喜んでくれて僕は満足だった。

あのときの彼女の顔は、今でも僕の脳裏に焼きついている。

それ以上の笑顔を、その先もう見ることはなかったから。


順調に進んでいたはずの真子との交際。2人の間に徐々に亀裂が…


それからの真子との記憶が、ほとんどない。

総合商社で働きはじめた僕は、仕事に夢中だったのだ。日々の業務に忙殺され、あっという間に時間が流れていく。とにかく必死だった。

同じく商社マンとして世界を飛び回っていた父親の背中を、追いかけていたのかもしれない。

デキるビジネスマンになりたい。海外で通用できる人間になりたい。ただただ、そう思っていた。

けれど、真子はそれが理解できなかったらしい。

「ねぇ、平日は全然会えないの?」
「仕事忙しいからね」
「そればっかりじゃん!」

真子は損保会社のエリア職として働いていた。ワークライフバランスが取れた働き方をする彼女にとって、仕事第一の生活が理解できなかったようだ。

それに真子は結婚願望が強かった。すぐにでも結婚したいと、ダイレクトに迫るようになってきた。

結婚したい彼女と、仕事を頑張りたい僕。

どこのカップルでも起きるようなごくごくありふれたすれ違いが、僕たちの間の溝を深めた。

そして真子の一言が決定打となった。

「ねぇ、本当は仕事とか言って浮気してるでしょ?商社マンってお食事会とかも多いんでしょ?」

真子はただいじけていただけだったのかもしれない。けれど、必死で仕事に打ち込む僕を理解しようとせず、一方的に疑いをかけてくる真子に、どうしても苛立ちを抑えることができなかった。

「…そんな疑うなら、もう別れよう」

弁明することもなければ、話し合うこともなく、そこですべてが終わった。

5年という月日は何だったんだろうか。

僕たちの最後はあっけなかった。




風の噂で、真子は会社の先輩と付き合い始めたと聞いた。その後僕は、タイへと赴任。

真子の存在は、僕の脳内から徐々に消えていった。



日本に帰国したとき、僕は30歳になっていた。

“商社マンが遊んでいる”という真子のイメージはある意味その通りかもしれないが、駐在があるため商社マンの結婚は早く、僕が日本に戻ってきたときには、同期はほとんど結婚していた。

独身という事実に少しずつ焦りが生まれていたころ、後輩から誘われた食事会で、舞香に出会ったのだ。

一目惚れだった。




僕からの猛アプローチの末、無事交際に至り、そこから早1年。今日、僕は舞香にプロポーズする。

「窓際のシートはプロポーズ成功率100%」と先輩から聞いた『ニューヨークグリル & バー』の窓際の席を予約した。

僕の熱烈なアプローチから始まった交際で、今でも僕の想いのほうが強い。…果たして、彼女は結婚を受け入れてくれるだろうか?

正直少し自信がなかったこともあり、願掛けの意味も込めてこの店を選んだ。

いつもは約束の時間ギリギリにつく僕だが、今日は15分前に到着。ひとり東京タワーの夜景を眺めながら舞香の到着を待った。

これだけ緊張するのはいつぶりだろうか。気持ちが落ち着かず、そわそわしてしまう。

珍しく当たりをきょろきょろ見回してしまったのは、偶然だったのか、運命だったのか―。ちょうど近くのカップルが視界に入ったのだが…。

そこにいたのは、何と真子だったのだ。

時が一瞬止まった気がした。

「お待たせ」

舞香の声で、急に現実に引き戻される。

「…お、おう。全然待ってないよ」
「私より早いなんて、珍しいね?」

赤いワンピースをさらりと着こなす舞香。いつもなら「似合ってるね」なんて言うけれど、今日、僕の意識は全然違うところにあった。

「そ、そう?」
「うん、初めてじゃない」
「…あ、そうかもな」
「大丈夫?なんか今日変じゃない?」

あきらかに動揺する僕と、それに気づいている舞香。…それでも、どうしても真子の存在が気になってしまう。

その後も、全神経を舞香との会話に集中させるよう努めたが、気づくとチラチラと真子たちの様子をうかがっていた。

「ねぇ、やっぱ今日ちょっとおかしくない?」
「そんなことないよ、ちょっと仕事で疲れてるだけだよ」
「そう、ならいいけど」

ごまかせているのかもうよくわからないけれど、僕は舞香との会話を成立させることに必死だった。

そして、ちょうど舞香がお手洗いに立ったとき。

真子がプロポーズを受けている瞬間を、僕は視界の端に捉えた。

真子は僕に背を向けているから、どんな表情をしているか、どんな言葉を発したかはわからない。

けれど、男側の表情を見るに、どうやらプロポーズを受けたらしい。

相手の男性は、何を思ってこの窓際シートを予約したのだろう。僕みたいに、少し不安だったのだろうか。それとも真子がねだったのだろうか。

それを知る術はないけれど、真子はちゃんと東京タワーが見えるレストランを予約してくれる人と幸せになるのだ。

真子とはもう何でもないし、未練もない。…けれど、真子の背中から発せられる幸せそうな空気感に、僕は不思議な安堵感を覚えた。

嬉しい気持ちで、心がいっぱいになる。真子との恋は、東京タワーの光のように、僕の心を温かくしてくれた恋だったのだ。

―よかったな。幸せになれよ。

無意識のうちに、心のなかで真子にそう語りかけた。



真子たちは、しばらくすると帰っていった。

お手洗いから戻ってきた舞香に向き合い、ようやくプロポーズが自分の番になったことを自覚し、一気に緊張が走る。

しかしその瞬間、舞香が言った。

「…本当、好きよね」

一瞬、真子のことがバレていたのかと心臓が止まりそうになる。けれど、舞香は優しそうな顔をして「東京タワー」と付け加えた。

「…え?」

僕は彼女に一言も言ったことない。東京タワーが好きだなんて。

「…うん」
「いつも見てるよね」

きっと真子ですら、僕が本当は東京タワーが好きだなんて知らなかったと思う。

「知ってたんだ」
「ずいぶん前からね」

…舞香は僕が思っている以上に、僕のことをわかってくれているのかもしれない。

舞香は満足そうに微笑みながら、僕を見つめる。

「そうか…」
「私も好きだよ、東京タワー」

僕は舞香の後ろに見える東京タワーを見ながら、もう一度、…そして最後に、心のなかで真子に語りかける。

―僕も、幸せになるよ。

そして、僕は用意していたHarry Winstonの婚約指輪を取り出した。

▶今回紹介したレストランはこちら:イラストで紐解く!東京随一の夜景を誇る『ニューヨークグリル』がデートに効く4つの理由

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