どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。

結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。

これは、「推し」がいる女たちのストーリー。

◆これまでのあらすじ

国民的男性アイドル・高木國弘(愛称・くにちゃん)の大ファンである幸恵(26)。パリピな同期・梨々花に誘われ、くにちゃんの“弟”が働いていると噂の会員制バーへ。そこで出会ったのは、くにちゃんとは似ても似つかない弟・達弘だった。達弘から、急に食事に誘われた幸恵は…?

▶前回:「噂の会員制バー、行ってみない?」3年恋人ナシの地味女が、港区女子の誘いに乗った理由は…




推しの“弟”と繋がりをもった女・幸恵(26)【後編】


「くにちゃんの弟、幸恵のことめっちゃ好きじゃん!」

大きい案件を無事に納品し終えた昼下がり、私は同僚の梨々花と『フィッシュ バンク トーキョー』へご褒美ランチに来ていた。

今日は、私の“推し”である男性アイドル「高木國弘(通称:くにちゃん)」の弟・達弘さんと私が、デートをしたという話で持ち切りだ。

「『タイプです』『素敵です』って真っすぐに気持ちを伝えてくれて。嬉しいんだけど、その……」

「まあ、全然くにちゃんと似てないもんね、あの弟」

牛フィレ肉のステーキを頬張りながら、梨々花が冷めたように笑う。どうやら、彼女は達弘さんの名前すら覚えていないらしい。

バーで達弘さんと出会ってすぐに食事のお誘いを受けた私は、先日、2人きりでのディナーを楽しんだ。

社交辞令なのかも…と初めは思っていた。しかし、達弘さんは食事中、私のことを終始褒めちぎり、なぜかDiorのリップをプレゼントしてくれた。そして帰り際には、「俺のこと、真剣に考えてみてほしいです」と、告白まがいのことまでしてきたのだ。

好意を示してくれるのは嬉しい。だけど、やはり“推しの弟”という目で見てしまう。それに何より、彼はとても優しくて面白い人だけれど、正直ルックスがタイプではない。

「でも、幸恵があの弟と結婚でもしたら、くにちゃんが“お義兄さん”になるんだよ。ヤバくない?」

梨々花は、大きな目をさらに大きく見開いて、私に訴えかける。

あまりにも気が早過ぎるけれど、もし、本当にくにちゃんが“お義兄さん”になったら……そんな展開、アツすぎる。


達弘と付き合えば、推しとお近づきになれると考える幸恵だったが…



「……でも、こんな不純な動機で付き合うなんて、達弘さんに失礼だよ」

「付き合ってみたら、意外とちゃんと好きになるかもしれないじゃん。私はあの弟、結構アリだと思う」

梨々花は満足げな表情で、ニヤリと笑みを浮かべる。

梨々花の言うとおり、優しくて紳士な達弘さんのことを好きになる可能性は十分あると思う。でも、“推しの弟”というフィルターをかけずに、彼を見ることができない。

世間一般の女性が、付き合う男性を学歴や年収といった条件抜きに見られないのと同じで、推しを抜きにして達弘さんのことを純粋に見られないのだ。

― どうしたら、気持ちをはっきりさせられるだろう?

梨々花との会話もどこか上の空で、答えの出ない問いに思いめぐらすのだった。




達弘さんとの2回目のデートでは、彼が経営する焼肉店へ誘われた。

コースは7,000円とリーズナブルで、店内はカジュアルな雰囲気。だが、高級店にまったく引けを取らないお肉のクオリティで、その美味しさに感動した。

思わず笑みがこぼれる私を見つめ、達弘さんは嬉しそうに言った。

「そうやって幸恵さんが笑ってくれると、僕も嬉しいです。バーで初めて会った時も、僕の話にたくさん笑ってくれましたよね。あのとき、めちゃくちゃ可愛い!って思ってました」

達弘さんはそう言って照れた表情を見せたかと思うと、一転、まじめなトーンでこう続けた。

「…でも、俺と兄貴が全然似てないっていう、ルックスのイジりには笑ってなかったですよね。幸恵さんって誠実な人なんだろうなって思って」

あのときは、あまりにもくにちゃんと達弘さんが似てなくて、驚いていただけ……と思ったが、その気持ちはぐっと飲みこんだ。

「俺、子どもの頃からずっと兄貴と比べられてきたし、俺に近づいてくる女の子はたいてい、兄貴目当てで。だから、あえてそれを笑いにしてきたんですけど、ちょっとなぁと思うときはあるんですよね」

珍しく、達弘さんから笑顔が消える。しかし、すぐに「まあ、俺が兄貴の弟じゃなければ、そもそも寄ってきてくれる女の子もいないんですけどね」と自嘲気味に笑った。

達弘さんの言葉に、私は胸がチクリとした。私だって、彼のことを“くにちゃんの弟”という色眼鏡で見ているから。でも、同時に、彼の気持ちが少しわかる気がした。

「私も……地味で可愛くないから。華やかな女性と比べられて、落ち込むことがたくさんありました」

私は大学生時代、背伸びをして可愛い子ばかりいるグループに属し、社会人になってからも、デザイナーという職業柄、梨々花のような美人で華やかな女性とつるむ機会が多い。

だからか、大学から今まで、食事会で出会った男性からは、そんな彼女たちと比較されて心無い言葉を浴びせられることが多かった。大学の時の元彼が、同じグループの友達を好きになり、フラれた過去もある。

いつしか、綺麗な女性と一緒にいる時は、自分が“引き立て役”であると感じるようになっていた。そして、恋愛から遠ざかって“推し”に逃げるようになったのだ。

「幸恵さんは可愛いですよ」

うつむいていた私に、達弘さんが優しく声をかけてくれる。顔を上げると、真剣な眼差しを私に向ける彼がいた。

「俺は、幸恵さんの可愛らしい笑顔が好きなんですよ」

真摯な瞳に、思わずドキッとした。

この時はじめて、“くにちゃんの弟”というフィルターが外れて、高木達弘さんという一人の男性に心が動いた気がした。



しかし、デートから数日後。その気持ちを育む間もなく、達弘さんから思いもよらないLINEが届いた。

『実は1週間後、僕の誕生日で。親類や親しい友人のみでささやかなバースデーパーティーをやるんだけど、幸恵さんも来てくれませんか?』

― 親類……つまり、くにちゃんも来るかもしれないってこと!?

推しと対面できるまたとないチャンスに、心臓の音が早まるのを感じた。

私は期待に胸を膨らませながら、『ぜひ参加させてください』と返信を送った。


ついに“あの人”と対面する機会が訪れる。そのとき、幸恵は…!?




達弘さんのバースデーパーティー当日。達弘さんが経営するレストランを貸し切って催された。コロナを懸念して、本当に少人数でのこじんまりとした会だった。

私はくにちゃんに会えるかもしれないと思い、新調した淡いピンク色のワンピースを着て、梨々花の行きつけの美容院で、メイクアップまでしてもらっていた。しかし、あたりを見回してみても、くにちゃんの姿はない。

少し残念に思いながら、シャンパンを片手にぼんやりしていると、達弘さんが私の方へ駆け寄ってきた。

「幸恵さん、今日は来てくれてありがとうございます。僕の友人やいとこにも、ぜひ幸恵さんのことを紹介したいので、一緒に来てもらえますか?」

そう言われ、達弘さんに連れられて、一人ひとりとあいさつを交わす。

最後のひとりとのあいさつが終わり、ふとレストランの扉付近に目を向ける。そこに立っていた人を見て、私は思わず息を飲んだ。

― く、くにちゃん……!?

マスクと帽子で顔のほとんどが隠れていたが、すぐにわかった。顔が驚くほど小さく、すらっとした体型で、足がとてつもなく長い。

達弘さんもくにちゃんに気がつき、私に「一緒に来てください」と言って、レストラン入口へ足を向ける。

「ごめん、仕事で遅れた。誕生日おめでとう」

そう言って、くにちゃんは達弘さんにフェンディの紙袋を渡した。

「ありがとう。実は、ちょっと紹介したい人がいて。この方は、友人の幸恵さん」

「ああ、どうも。はじめまして。弟がお世話になってます。兄の國弘です」

そう言って、くにちゃんはぺこり、と小さく頭を下げる。だが、私は緊張からか、言葉が出ない。首を縦に振るのが精一杯だった。

動揺する私を面白がってか、達弘さんは笑っている。彼は、私がくにちゃんのファンだとは知らないので、「芸能人を前にして驚いている」くらいにしか思っていないのだろう。

「他の人にもあいさつしないといけないので、僕はこれで。幸恵さんも、楽しんでいってくださいね」

そう言って、くにちゃんは颯爽とレストラン奥へと歩いて行った。

私は呆然と立ち尽くす。まさか、本当に、くにちゃんに会えるなんて…

どうせなら、サインくらいもらっておけばよかった、握手してもらえばよかった、なんて思いが浮かぶ。

「びっくりしました?生の“くにちゃん”どうでした?」

くにちゃんとの対面を現実のことと受け入れられずに、ぼーっとしている私の顔を覗き込み、達弘さんが話しかけてきた。

「会ってみると、意外と普通の人でしょう?テレビ越しには、芸能人なんだなぁ〜って感じはするんですけどね」

そう言って、達弘さんは笑った。

たしかに、リアルなくにちゃんは、わりと普通の人だったかもしれない。ただ、一瞬の出来事すぎて、記憶が曖昧になっている。

いやでも、相手はあの国宝級イケメンのくにちゃんだ。フツーなわけがあるまいと、自分に言い聞かせる。

ただ、テレビ越しに推している“くにちゃん”と、いま同じ空間にいる“高木國弘さん”は、別人のように感じられた。

いずれにせよ、会えたことには心底感動している。が、この余韻に浸りながら、少し冷静になりたいと思った。


“くにちゃん”との対面を果たした幸恵。その後のリアルな恋の行方は…?



バースデーパーティーの後、達弘さんが経営する会員制バーで何度かくにちゃんに遭遇した。

ただ、友人を連れてくることが多く、お近づきにはなれない。いや、私なんかが仲良くなろうなどとおこがましい限りだと、自分を律した。

一方で、同じ空間で時を過ごし、アイドル“くにちゃん”ではなく、“高木國弘”さん本人の人となりを知った。

たとえば、國弘さんは、豪快で男気がある。値段に関わらず友人に好きなものを好きなだけオーダーさせて、自分がすべて支払う。稼いでいるから当然のことなのだろうが…アイドルのくにちゃんは、もっと繊細で守ってあげたくなる存在だ。

國弘さんが友人の女性を連れてきたときなんかは、ボディタッチが多めで、ハラハラさせられた。くにちゃんは、女性の影を全く見せない真のアイドルだったため、そのギャップに少しショックを受けたりした。

こうして、高木國弘さんという人を知り、達弘さんとはルックスだけではなく、性格も似ても似つかないなと思うようになった。

達弘さんは、優しく、周りに気を使える人。たくさん笑わせてくれるお調子者だけど、自分に自信がなく弱い部分もあって、そばにいてあげたくなる。そして何より、一途に私を想ってくれる。

時間はかかったけれど、ようやくわかった。アイドルのくにちゃんは史上最高にカッコいいけれど、推しは推しのままがいい。

そして、私は確信した。“くにちゃんの弟”としてではなく、高木達弘さんに惹かれているのだと。




私が達弘さんに対する“好き”の気持ちに気づいたのは、最初に思いを告げられた初デートの日から、3ヶ月以上経ってからのことだ。

普通の男性だったら、曖昧な態度にしびれを切らし、離れていってもおかしくはないだろう。

しかし、達弘さんはいつも私に寄り添い、会うたびに楽しい時間をくれた。私に触れてこないし、ホテルや家に誘ってくることもなかった。

「ずっと待っていてくれて、ありがとう。私、達弘さんのことが好きです」

告白の返事は、実に15回目のデートでのこと。ずっと想い続けてくれた達弘さんに、今度は私がたくさん想いを伝えてあげたいと心から思った。



『きゃー!まじで付き合うことにしたんだ!おめでとう!』

梨々花に電話で報告をすると、彼女は叫び声を上げながら喜んでくれた。

『でもさ、ぶっちゃけ、弟を踏み台にして兄にいこうって気持ちはないの?』

彼女の相変わらずの不躾な物言いに、私は笑う。

たしかに、“推しの弟と付き合う”と聞けば、誰もがそう思うだろう。実際、はじめは私もそんな考えを少なからず抱いていた。

でも、くにちゃんに会ったからこそわかったことがあった。

「推しってさ、もう、そういう生き物なんだよね」

私の言葉に対して、梨々花が「はぁ?」と聞き返してくる。

「例えるなら、推しは神様と一緒なの。私はずっと、くにちゃんという存在を信仰し続けたいだけなんだ」

『え?ごめん、ちょっと意味わかんない』

「とにかく、達弘さんへの好きと、くにちゃんへの好きは別ってこと」

私がハッキリした口調で言うと、梨々花は納得したようなしていないような声色で、「ふーん」と笑った。

「じゃあ、これから達弘さんが迎えに来てくれるから、切るね」

梨々花との電話を切った後にLINEを見ると、達弘さんから「もうすぐ着くよ」というメッセージが届いていた。

ふと、壁にかけたくにちゃんのポスターを見つめる。やっぱりくにちゃんはカッコいいし、魅力的だ。これからもずっと彼を応援したい。

でも、私が“リアル”で好きなのは、イケメンではないけれど、優しくて、一緒にいて幸せを感じられる、達弘さんだ。

私はひとり微笑んで、軽くメイクを直し、いそいそと玄関へ向かった。

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