大久保嘉人はJリーグで印象に残るFWについてどう答えたか【写真:Getty Images】

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現代の日本の若手は「淡々とプレーしている選手が多い」

 Jリーグ史上最強のゴールハンターが、今シーズン限りでスパイクを脱ぐ。積み上げてきたJ1得点数は歴代最多の「191」、史上初めて3年連続の得点王にも輝いた。日本サッカー史にその名を刻むFW大久保嘉人は、2001年にセレッソ大阪でデビューしてから20年間のプロキャリアを、どのように過ごしてきたのか。現役引退を発表した直後、「THE ANSWER」の単独インタビューに応じ、Jリーグでプレーする若手選手の印象や自身が貫いてきたトライする姿勢について語った。(取材・文=佐藤 俊)

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「ワクワクするような選手、いないよね」

 Jリーグで印象に残るFWについて問うと、大久保嘉人はそう答えた。

 Jリーグ通算191得点を挙げ、J1歴代最多得点記録保持者である大久保の言葉ゆえに重みがある。今のJリーグでサッカーファンはともかく、普段あまりサッカーを見ていない人がパッと名前を挙げられる日本人FWはいるだろうか。

 以前であればカズ(三浦知良/横浜FC)、城彰二、中山雅史らの名前がポンポンと出てきたが、今はなかなか出てこない状況だろう。それは地上波でほとんどサッカーが観られない環境になったこともあるが、インパクトのある若手が少ないことの裏返しでもある。確かにJリーグを見渡すと、“毒”のある選手が少なく、大人しい好青年タイプの選手が多い。

「今の若い選手は、淡々としているよね。淡々としていてもガーンと厳しく行くとか、僚太(大島/川崎フロンターレ)みたいに『決めてみろよ』というパスを出してくる選手はまだいいんです。中には気持ちを出せない人もいるかもしれないけど、俺が見る限り、本当に淡々と、黙々とプレーしている選手がけっこう多い。そういう選手は、このままでいいのか、自分自身に問いかけてほしい。現状に満足してプレーしているのか、先を見てプレーしているのか。その意識の違いで先が変わるからね」

 闘う気持ちを内に秘めているのであればいいが、その有無はプレーに反映されることが多い。闘志溢れる選手のプレーは、味方を鼓舞し、勢いをつける。ただ、淡々と寡黙にプレーするだけの選手からは、そのプレー以外何も生まれない。

「淡々と黙々と、という若い選手が多いせいか、世界で点が取れるFWもなかなかいない。それは個人の質の問題もあるけど、俺は日本のサッカーが4年ごとに変わることがすごく影響していると思う。スペインとかドイツは誰が監督になってもスタイルは変わらないけど、日本は監督によってサッカーが変わる。だから、日本代表はなかなか進化できないんじゃないかな。最終予選はパスをつなぐサッカーをしていても、ワールドカップになると怖いので蹴ったりする。スタイルがコロコロ変われば、FWも求められるものが違う。誰が監督になっても、起用されるFWが少ないというのもありますけどね」

キャリアを通じて技術と感覚を磨いた徹底的な自主練

 点が取れるストライカーの不足は、万国共通の悩みでもあるが、日本人で海外移籍を果たした多くのFWも、それぞれのクラブでレギュラーポジションを確保できていない。近年目立つ活躍をしている日本人ストライカーは鈴木優磨(シント=トロイデン)ぐらいで、日本代表でも主軸になっている伊東純也(ヘンク)はアタッカーであって、センターフォワードではない。

「海外に行ってもすぐに活躍できる保証はないけど、俺は自分を磨くためにも若い選手は海外にどんどん出て行くべきだと思う。行かないと分からないことがたくさんあるし、やっぱりいろんな面で苦労もするけど、それがプレーにも反映されるんですよ」

 大久保はスペインのマジョルカとドイツのヴォルフスブルクに、海外移籍を果たしている。

「俺は行って良かった。当時、勢いがあってバンバン仕掛けてというプレーだったけど、スペインに行った時は、これは通用しないなって思った。みんな上手いからね。このまま同じことを続けていたらプレーできるクラブがなくなると思い、プレースタイルを変えた。例えばボールをキープしてタメを作るのが下手だったけど、それをできるようにした。練習ではミスすることが多かったけど、継続してトライしていかないと、いつまで経っても変わらない。でも、成功体験を重ねていくと、それが自信になって試合でもいいプレーができるようになる。今の若い選手ってチャレンジしないよね。なぜなら、そこでミスして怒られたら試合に出られなくなるから。でも、練習してチャレンジして、自信がついたら、その倍、成長できるし、代表まで行っちゃうよって思うけどね」

 大久保は、海外でプレースタイルの幅を広げ、優れたオールラウンダーとして生きる術を見つけた。だが、海外では点を求められることも理解し、Jリーグに戻っても点を取る感覚を鈍らせないように、よく自主練習をしていた。中学時代から続けてきた自主練は、「大久保嘉人」にかかる期待に応えるためには不可欠なものだった。

「シュートとかは、感覚なんですよ。例えばスーパーゴールを決めても、翌日にはその感触を忘れているんです。それを忘れないために毎日、シュートを打ち続けて、どこにボールが当たったらどのくらいのボールが飛んでいくのかを理解し、毎回スポットに当てられるようにしておかないといけない。それを1週間もやらないと、『あれ、どうやって当てるんだっけ?』ってなる。でも、みんな、そこまでやっていないよね。自主練していても最初の数本は参加してくるけど、俺よりも最後まで練習していた選手は見たことがない」

決定機で味方にパスを出せば「必ず次に戻ってくる」

 個人の技術だけではなく、チーム内でのプレーについても大久保は若手FWに苦言を呈する。

「俺は、試合で自分だけに点を取らせろとは言っていないんです。点を取ればチームが勝てるので、その点を取るための確率を求めている。例えば、シュートシーンで相手GKがいて、狙える角度がなければフリーの選手に出す。でも、そういう選手ってあまりいない。角度もないのに強引に打ってサイドネットに当てる。そういう時は『おい、何してんの? 自分のことしか考えていないの?』と思うし、めちゃ腹が立つ。でも、そこで味方にパスを出していれば、必ず次に戻ってくるんですよ。そういうのを、若いFWには分かってほしいなって思いますね」

 大久保の気性の荒さや勝気な言動など表層の部分だけをなぞっていると、彼の本質を見失う。本能や嗅覚という言葉だけではないところに大久保の凄さがあることを、見逃がしてはいけない。

大久保嘉人
 1982年6月9日生まれ、福岡県出身。国見高3年時に高校3冠を達成し、インターハイと高校選手権では大会得点王を獲得した。2001年にセレッソ大阪でプロキャリアをスタートさせると、闘争心溢れるプレーで存在感を発揮。03年に日本代表デビュー、04年にはU-23日本代表の一員としてアテネ五輪に出場、10年にはA代表の主力として南アフリカW杯ベスト16進出に貢献した。マジョルカ、ヴォルフスブルクでのプレーを挟みながらヴィッセル神戸に通算6シーズン在籍すると、13年に川崎フロンターレに移籍。1年目でキャリア最多26ゴールを決めると、史上初のJリーグ3年連続得点王の偉業を達成した。今季、古巣のC大阪に復帰し歴代最多となるJ1通算191得点にゴール数を伸ばすも、11月19日に今季限りでの現役引退を発表した。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。