(写真:アフロ)

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「今シーズン限りでの引退を決断いたしました。ご期待に沿うような成績を残すことができませんでしたが、最後まで応援してくださったファンの方々、本当にありがとうございました」

こうコメントしたのは、日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手(33)だ。斎藤は球団の公式サイトで、10月1日に現役引退を発表。さらに「約11年間、北海道日本ハムファイターズで最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」とも記している。

早稲田実業学校高等部、3年生の夏。斎藤投手は甲子園でエースとして活躍し、決勝では田中将大投手(32・現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属)擁する駒澤大学附属苫小牧高等学校と対決。そして見事、チームを優勝に導いた。

この大会で斎藤は青色のハンカチで汗をぬぐう姿が話題となり、「ハンカチ王子」の愛称で親しまれることに。ハンカチ王子ブームは社会現象となり、’06年の流行語大賞トップ10にもノミネートされた。

一躍ときのひととなった斎藤は、07年に早稲田大学に入学。そして卒業後は、ドラフト1位で日ハムに入団し、プロとして華々しいスタートダッシュを切った。

「しかし、徐々に活躍に翳りが。’12年11月に右肩の関節唇損傷との診断を受け、’13年から’17年の5年間はわずか4勝。さらに’18年と’19年は2年連続で未勝利という結果に。ここ2年は1軍への登板がなく、昨年10月には右肘の靱帯が断裂していることも判明しました」(スポーツ紙記者)

‘19年10月には早稲田大学で同期だった盟友の大石達也投手(32)が引退を決意した。その翌年1月、斎藤は『Number Web』の取材で「大石が引退すると聞いたときはより一層、緊張感が高まりました」と述べている。仲間の引退にふれ、自身の引き際を改めて考える機会になったのかもしれない。

■「僕にとって野球は人生の相棒であり、先生だから」

プロとしてなかなか結果を残すことのできない斎藤に対して、世論からはときに厳しい声も上がった。それでも彼は、こう話していた。

「いろんな声が入ってきますけど、ただそれは考えてもしょうがないこと。自分ではコントロール出来ないことなので。だから、自分がやらなくちゃいけないことをちゃんとやることが、ファイターズに対して果たさなくちゃいけない僕の責任だと思う。そこに言い訳は、あまりしたくないという感じですね」(’20年12月『日刊スポーツ』)

さらに、今年4月には『FRIDAY DIGITAL』で「どれだけツラいことがあっても、どれだけ叩かれても、野球は嫌いになれないですね。ずっと野球とともに成長してきたし、これからも関わっていくつもりです。僕にとって野球は人生の相棒であり、先生だから」と“野球と添い遂げる覚悟”を語っていた。

■スポーツキャスターになる可能性が。テレビ業界ともたびたび接触

それでは引退後、どのような進路を斎藤は描いているのだろうか?

「球団側は華々しく入団させたこともあり、『それなりのポストを用意する』との考えもあるといいます。ただ斎藤さん自身は、いっときテレビ業界を中心に他分野の人たちと頻繁に接触していた時期が。そのためスポーツキャスターへの転身が囁かれています」(テレビ局関係者)

プレイヤーから、メディアで語る側に。その華麗なる転身に、業界も協力を示しているという。

「テレビ朝日の『熱闘甲子園』でMCを務めていた長島三奈さん(53)は、斎藤さんと今でも交流があるといいます。また日本テレビの番組『news zero』では、スタッフが彼を懇意にしています。斉藤さんは誕生日前後に、番組スタッフらと一緒にいる姿が目撃されたこともあるそうです。

彼は寡黙なイメージですが、話してみると饒舌。会話のセンスもあります。そのため『スポーツキャスターに向いているのでは』といわれた際に、本人も乗り気を見せたそうです」(前出・テレビ局関係者)

引退発表の当日、会見で「自分が今まで育った環境に恩返しがしたいなと思います。これからいろいろと相談しながら考えたいなと思います」と話した斎藤。“次のマウンド”で活躍する日も近いかもしれない。