サブカルと広告業界と東京五輪開幕と…/中村 修治
“ルサンチマン”という言葉がある。恨みの念のこと。ニーチェは、強者に対し仕返しを欲して鬱結した弱者の心だと表現している。
東京五輪の開幕式典が直前までゴタゴタしている。椎名林檎や野村萬斎が率いた制作チームは、コロナ禍の中で、D通さんの仕切るチームへと移行した。そこで集められた人材は、小山田圭吾にしろ、小林賢太郎にしろ、いわゆるメインカルチャーではなくサブカルチャーの逸材たち。アラカンのワタシも、その筋の流行には遅れまいとベンチマークしてきた人たち。そんな愛した人間たちが、今日も批判の矢面に立っている。
なぜ、そんなサブカルな人材を東京五輪の表舞台に立たせるのか!?D通さんのお友達の寄せ集めではないか!?と批判が集まっている。
擁護するわけではないのだけれど、同じ時代を生きてきた人間として、よくわかるんだよなぁ・・・。広告代理店に勤めるクリエイターの多くは、みんな”ルサンチマン”を抱えているのである。大小はあるものの「所詮、広告・・・」「所詮、代理店・・・」というコンプレックスがある。それはD通さんとて同じである。いや、むしろD通さんにお勤めの方々ほど、超一流に対しての”ルサンチマン”は大きいのかもしれない。
広告は、どう足掻いてもメインカルチャーではない。広告とは、そういうものである。
先人の代理店マンたちは、ずっと、そこと戦ってきた。言い換えると、超一流に寄り添うことによって、溢れ出てくる”ルサンチマン”をなんとか手なづけてきたわけである。強烈なカウンターカルチャーにもなれない弱者の心をいつも宿して。ワタシとて同じ穴の狢である。
東京五輪2020のセレモニーは、コロナ禍の中で、広告代理店が抱え続けてきた”ルサンチマン”を開放する儀式となったものの、、、直前に、やっぱりメインからは引き摺り下ろされた。動機の浅はかさが見抜かれたと言っても過言ではない。世間様は、怖い。ある意味、社会の判断は正しい。
1986年に、広告業界に入った。ワタシなど、メインカルチャーへも、大手の広告代理店さんへも、未だ”ルサンチマン”を抱えたままの、サブカル好きプランナーである。
だからこそ、東京五輪の開幕式は、正座をして見た。昭和~平成を生き抜いて来た我々広告業界の派手な葬式に参列するような厳かな気分で……………そうして、日本の文化こそが、世界から見たら"サブカル"であるという事実を目の当たりにした。