川口 雅裕 / NPO法人・老いの工学研究所 理事長

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企業は近年、人材の多様性(とその包摂)を実現しようと躍起だ。ジェンダーフリー、エイジフリーはもちろん、スキルや経歴や働き方などを多様に、その多様性を機能させることによって、商品やサービスに新しい発想や工夫、イノベーションを生み出そうという狙いである。人材の多様性がどのような過程を経てイノベーションとして結実するのかという問題は別にして、日本企業が多様性を殊更に求めているのは、外圧(世間の目)がきっかけだとしても、「男性・年長・正社員支配」の限界を少なくとも経営が自覚し始めたことは小さくない。このままでは、新しい価値を創出できなくなるという危機感だ。

しかし、今のような取り組みではイノベーションにつながるような人材の多様性を実現するのは難しいだろう。なぜなら、支配層である男性の年長正社員の旧来型パラダイムは、会社の中だけで簡単に変わるものではないからである。ビジネスパーソンは、会社を出れば消費者であり生活者であり家庭人であり市民なのだが、それらの場面で見せる顔が何も変わらないのに、会社の中でだけ変わるはずがない。企業が実現しようとしているダイバーシティとは、各々が他者との違いに寛容な姿勢を持ち、それが強みとして認められ、活かされている状態のことだが、生活者としてこのような姿勢や発想を持たない、あるいはこのような考え方に否定的な人たちが会社の中でだけ別人のようにはなれないだろう。

たとえば、「金を稼いで家計を支える父親たる私は、専業主婦である妻よりも能力があり、価値が高い」と思っている男性が、職場で女性の意見や工夫を受け入れ、活かそうとするだろうか。「場数を踏んで、それなりの苦労を経ないといっぱしのビジネスパーソンとは言えない」と思っている人が、若い人たちの声に耳を傾け、そのアイデアを面白がれるだろうか。「時間も忘れて仕事に打ち込む姿こそ尊いわけであり、私的なことは職場に持ち込むな」と思っている人が、短時間勤務者や育児休業者や、就業時間外の学びと仕事を両立しようとしている人の主張を正面から受け入れるだろうか。

もっとも、「年長の男性正社員」以外の人たちにも問題がある。彼らによる支配に慣れてしまい、それを前提とした言動しかできなくなっている人、彼らによる支配に対して従順にしている方が楽だと考える人たちが非常に多いことだ。そのような被支配層は、本当は違いがあるのに、あたかも違いがないように振る舞う。違いを見せたり表明したりすることは、そこにある空気も、自らの立場も危ういものにする可能性がある。「安定した仕事と報酬があるのだから、わざわざそんな危ない橋を渡る必要がない」という選択は合理的である。そうして、「違いというものがない」という組織になっていく。外から異分子っぽい人を採用しようが、人事異動をしようが、この強固なシステムの前にはたいてい無力である。そして、これだって消費者、生活者、家庭人、市民としてのありようと大いに関係しており、急に会社の中だけで変化が起こるはずはない。

こう考えると当面は、従業員の属性や数値面だけ多様化の兆しを見せるくらいのものだろう。女性社員や女性管理職の割合が高まる、昇進・昇格において性別や年齢との関係が徐々に薄れていく、男性の育児休業の取得比率が高まるといった外形の変化にとどまる。そして多様化が企業の成果につながっていくのは、相当に先、日本人の生活者としてのありようが大きく変わるくらい先のことになると考えるのが普通だ。欧米企業を範とした多様性を目標とするなら絶望したくなるが、日本人にとってそういう組織が適しているかどうかは分からないのであって、ムキになって多様化を進めようとするよりも、日本人がもっとも力を発揮しやすい組織のありようを熟考するときだろうと思う。ダイバーシティに限らず、欧米から発信される様々な目新しい組織論に対しても同じ姿勢を持つべきである。