ザッポス本社に初めての訪問(2008年6月):未知の世界へ/石塚 しのぶ
『Community 2.0』カンファレンスでトニーのスピーチを聞いた約一カ月後、6月の初旬のカンカン照りの日に私はラスベガスのマッカラン空港に降り立った。
カンファレンスで初めて会った時には、「ザッポス」も「トニー・シェイ」もほとんど無名の存在だったのが、その直後に「ビル・テイラー」という著名ビジネス・ジャーナリストがザッポスに関する記事をハーバード・ビジネス・レビューに書き、それがきっかけでアメリカ全土のビジネス・コミュニティの熱い視線が「ザッポス」に集まり始めていた。
そんなこともあって、私は期待に胸を膨らませていた。しかしそれと同時に、この「ザッポス」という会社の実態をこの目で見て確かめなくてはという気持ちもあった。
と、いうのも、実際に会社の内部を覗いてみると、本に書いてあることやスピーチで話していることとはまるで違う、という例をそれまでにも見すぎるほど見てきたからだ。
だから、正直に言うと、心のどこかに「話がうますぎる」と思う部分がないでもなかった。拙著『ザッポスの奇跡』にも書いたが、空港に迎えにきてくれたドライバーのリズさんに「ザッポスとの出会いは私の人生で一番ラッキーな出来事」「週末は月曜日に会社に行くのが待ち遠しい」と聞かされた時も、「こういう人もいるんだな」「第一印象をよくするために、こういう人をわざとこういう役割につけているのかな」くらいにしか思わなかったのだ。
しかし、本社に着いて「ザッポニアン(ザッポス社員)」に囲まれて一日をそこで過ごしてみると、度肝を抜かれることの連続だった。ザッポスで見聞きしたことは期待をはるかに超える、いやそれどころか、私がそれまでに見たことも、想像したこともない「会社」の姿だった。
ザッポスで働く人たちのそれはイキイキとして、きらきらと輝くさま。それも経営陣や監督者だけではない。むしろ、コンタクトセンターのオペレーターさんといった、会社組織のヒエラルキーでいえば「底辺」で働いている人たちのハッピーで自信に溢れた姿に思わず「WOW」と驚嘆の声を上げてしまう。その連続だった。
それもひとりやふたりではない。会って話をする人、一人残らず「全員が」そうだったのだ。私の中で、それまで抱いていた「経営」の概念が、音を立てて崩れ落ちていくような感覚があった。
それまで、数知れぬ会社を訪問し、何百という経営者やリーダーとインタビューを重ねてきたが、「経営」の中心にあるのはいつも「経営者」だった。経営者が「主役」で、インタビューに応じるのも経営陣。あくまで「経営者主体」の目線で語られるもの、それが経営だった。
しかし、その日、ザッポスを訪れて、はじめて、「働く人主体」の経営というものを目の当たりにしたのだ。老若男女、大学を卒業したてでコンタクトセンターで働き始めたようなオペレーターさんまでもが、一人残らず、自分の会社や仕事について「オーソリティ(権威)」をもって話していた。
そして、まるで示し合わせたかのように、どの人に話を聞いても、言葉の端々に必ず飛び出してくるのが「コア・バリュー」だった。「ザッポスの〇〇というコア・バリューに基づいて、私はこう考えた」「〇〇というコア・バリューがあるから、私はこうした」・・・半日話を聞いただけで、そういったコア・バリューがらみの逸話がノート一冊がいっぱいになるくらいに集まったのだ。
これらのインタビューは、「会社側が選んだ」人たちだけのものではなかった。普通の会社では、会議室に通されて、そこであらかじめセッティングされた人たちをインタビューしてそれで終わりだが、ザッポスでは私はいわゆる「オール・アクセス・パス」を与えられていた。つまり、「誰とでも自由に話をしてください」ということだ。これも驚きのポイントのひとつだった。
働く人にこれほどまでのパワーを与える「企業文化」とは?「コア・バリュー」とは?帰りの飛行機の中でノートを整理しながら、私の頭の中はショックと興奮で渦巻いていた。私はその時、未知の世界の入り口にいたのだ。そしてコンサルタントとして、研究者として、そこに身を投じない選択肢はなかった。
翌朝、私はトニーにお礼を兼ねてお願いのメールを書いた。ザッポスの企業文化について、コア・バリューについてもっと知りたいこと、できれば、ザッポスの社内に一週間滞在させてもらって、インタビューや観察を通して学びたいこと、そして、ひとつの可能性として、その研究成果を一冊の本にまとめたいことなど。
ダメもとと思って書いたメールだったが、返事はすぐに来た。それは「YES」というひとこと。その後、トニーが引き合わせてくれた「社内コンシェルジュ(当時は「CAN DO(キャン・ドゥ/なんでもござれ)」という部門名だった)」の人たちとやり取りをして、ザッポス滞在の予定を三カ月後の九月下旬に定めた。