週6日遊んで「70億円の資産を築いた」不真面目社長の儲け方

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本記事では、週6日遊びながらも会社を成長させ、70億円の資産を築いた筆者が、「社長が遊ぶほど会社が儲かる」理由と仕組み、「遊びのメソッド」について解説します。今回は、本業の調子がよい時にこそ本気で新事業に取り組むべき理由について見ていきます。*本記事は、谷田育生氏の著作『社長が遊べば、会社は儲かる ―週6日遊んで70億円の資産を築いた経営者のストーリーー』より一部を抜粋、再編集したものです。

「経営論」や「正論」なんて、ほとんど役に立たない

筆者は常々、大企業の経営“論“や、大経営者の正“論“は、中小企業の経営にはほとんど役に立たないと思っています。ただし、過去の“事実“は別です。ひとつの企業が、経営上のどんな課題にあたり、それをどんな発想で乗り越えたかという現実の歴史からは、企業規模にかかわらず、共通して学べることがあります。

社会環境というのは、常にダイナミックに変化しています。それに対応していかねば、大企業であっても破たんが待っています。今の事業が、「もはや時代に合っていない」とうすうす感じている経営者もいるかもしれません。その感覚にふたをしてしまえば、もはやそれまで。その事業と心中していくことになります。たとえ創業事業であっても、時世に合わなくなったと感じたら潔く撤退し、新たな事業を展開しなければいけません。

わかりやすい例を挙げましょう。時代の残酷さから目を背けることなく、現実をしっかり受け入れて対応した企業があります。それは、富士フイルムです。

富士フイルムはもともと日本トップのフィルムメーカーであり、フィルム事業のピークであった2000年度においては、全体の利益の20%を、フィルム事業が担っていました。また、フィルムが売れれば、撮影した写真をプリントするための現像液や印画紙の売り上げも伸びていきます。売り上げの70%近くは、フィルムとその関連事業で占められていました。富士フイルムにとってのフィルムは、ホンダでいえば車、JRなら鉄道にあたるほどの、根幹事業だったのです。

ところが、デジタルカメラの登場により、世界は一変しました。利便性においても、将来の可能性においても、フィルムよりも明らかに優れた次世代技術の登場で、フィルム市場は遅かれ早かれ縮小を余儀なくされるのは間違いない状況でした。それが見えていたとしても、自社の根幹を成している創業事業をたたむというのは、大きな決断です。

大企業ほど、方向転換が難しいものですが、富士フイルムでは、いち早く事業の転換を決定。フィルム開発の過程で身についたナノテクノロジーの技術を化粧品開発に用いるなど、過去に培ってきた技術を、医療分野や化粧品開発といったまったく違う領域に転用した結果、華麗なる転身を果たしたのです。

大企業でもそれができるのですから、よりフットワークの軽い中小企業にできないはずはありません。経営者の「鶴の一声」で、新たな船出をするのはいつでも可能です。これまでの常識にとらわれず、未来を冷静に見つめて、必要ならどんどん新規事業を手掛け、会社を改革し続けるのが、今後の中小企業の経営者の、あるべき姿だと筆者は考えています。

新規事業を本気で始める最良のタイミングとは?

新規事業について、中小企業の経営者は特に「なんとなく」で考えている人が多いように思います。

「なんとなく、将来必要にはなりそうだ」

「なんとなく、探しておいた方がいいかもしれない」

「いい話があれば、なんとなく考えてみよう」

このような漠然とした意識では、いつまで経っても新規事業は始められません。余裕がある時こそ、必要に迫られていない時こそ、新規事業を本気で始める最良のタイミングです。そこに十分な投資ができる資金もあるでしょう。

逆に、新規事業を探す際にやってはいけないのは、「必要に迫られて」探すことです。「本業が落ち目になってきたから、他で挽回しなければ」という状況に追い込まれると、新規事業の将来性をじっくりと見定める余裕もなく、かつそこに充てる満足な資金もありません。中途半端な状態にもかかわらず、すがる思いで見切り発車をして、失敗してしまうという例は、枚挙にいとまがありません。

中小企業が置かれている状況は依然、厳しいですが、そんな中でも着実に成功を収めている企業はもちろんあります。そうして堅実に成功している経営者が陥りがちな罠として「うちの業態は安定しているから大丈夫」という慢心があります。

経験者は、バブルを思い出してください。あれほどの好景気で、断っても、断っても仕事があったのに、たった一年ほどで、一気に仕事が蒸発し、倒産の危機に追い込まれる……。そんなことが現実にあると、予想していた人はほとんどいないのではないでしょうか。しかし実際に、それは起きたのです。バブル期のような大きな「追い波」が来ていると、経営者にはおごりが生まれ、危機感を忘れがちです。しかし、景気がいい時だからこそ、業績が悪化した場合の備えを行っておくべきです。

ここでいう備えとは「内部留保」のことではありません。新規事業を探し、新たなビジネスの種をまいておく、ということです。

筆者は日々、経営者の方とお会いしていますが、事業が順風満帆だと、本業でどうやってさらに儲けるかにばかり気を取られ、新規事業を手掛ける方には意識がいかない人が多くいます。いい時にこそ、次の手を打つ。いい時にこそ、悪くなった時を想定しておく。経営の基本でありながら、意外に実践できていないことだと思います。

「すべて、遊びの中から生まれたものです。」

筆者は2008年から不動産に積極的に投資し、5年間で70億円の資産を築くことができました。ただ、それは結果のひとつであり、過去にもいくつも新規事業を立ち上げ、会社の収入源としてきました。

創業事業である運送業以外で、現在、子会社化して手掛けているのは、ガソリンスタンド事業の「株式会社トレジャーシステム」、自動車リースおよび点検、販売などを行う「中日本自動車株式会社」、内装工事やリフォームまで行う「株式会社装芸三重」などです。また、株式会社宝輪として手掛ける事業にも、一見すると運送業とは何の関係もない、ユニークなものがいくつもあります。それらはすべて、遊びの中から生まれたものです。

いくつもあるユニークな事業はすべて、遊びの中から生まれたものだ。(画像はイメージです/PIXTA)

ここでいくつかの事業の詳細と、それが生まれたきっかけを紹介していきましょう。現在の安定した収入源のひとつとなっているのが、パチンコの特殊景品業です。これまで20年ほどやってきましたが、年間1億円ほどの利益が出ています。その業務は、アルバイトが伝票を切るだけでほとんど終わり、人件費以外の経費はゼロに近いですから、大変利益率の高い事業です。パチンコ業界の景品を扱う事業は、基本的には大手に優先的に回っていき、中小企業の出る幕がなかなかありません。

それなのになぜ、筆者のもとにそんな仕事の話がきたのか。きっかけとなったのは、釣り仲間のひとりが、パチンコ店の経営者だったことでした。当時はパチンコ業界が、スロット台を普及させようと動いていたタイミングであり、県内事業者が合同で組合を立ち上げ、釣り仲間の経営者はその理事長に就任しました。そこで、「よければ商品業者をやってみないか」と誘われたのでした。投資額は、1億円。

パチンコ業界というのは不安定で、特に景品事業は、法律改正ひとつで消滅してもおかしくありません。加えて、筆者にはパチンコ業界についての知見はまるでありませんでした。それでもやってみようと思ったのは、運送業における成長がもはや「頭打ち」であることを感じていたからです。毎年、同じ程度の利益を上げ、安定していたのですが、将来的な人手不足などを考えれば、これ以上の拡大は難しいだろう。そう予測していました。

余談ですが、現在の運送業の人手不足は極めて深刻であり、その一方で輸送費はさほど上昇していないという悪循環に陥っています。やはり「頭打ち」になったと言わざるを得ず、多くの中小企業が薄利多売で苦しんでいます。順調な時に次の手を打っていたからこそ、筆者の会社は生き残っているのだと思います。

話を戻すと、パチンコの景品業を紹介してくれた仲間との信頼関係も、筆者の背中を後押ししました。同じ船で航海し、命を互いに預けた経験から、相手がどういった人間かがよくわかっていたのが大きかったです。逆に相手としても、筆者のことをよく知り、信頼してくれていたからこそ、あえて大手企業には持ちかけずに、筆者に話を持ってきてくれたのでしょう。

この信頼関係は、遊びを通じて育まれたものであるのは、言うまでもありません。

地方のガソリンスタンドはどんどんつぶれていきました

ガソリンスタンド業に関しては、運送業から紐づいて始めたものです。1995年あたりを境に、地方のガソリンスタンドはどんどんつぶれていきました。現在でも事業所の数は右肩下がりが続いています。

[図表1]ガソリンスタンド数の推移出典:経済産業省資源エネルギー庁「揮発油販売業者数及び給油所数の推移」(2015年3月)

運送業を続けるなら、どうせガソリンを入れねばならないのですから、「いっそのこと買ってしまおう」という決断をしました。確かに業界的には下火でしたが、その分安く買えましたし、自社の車の給油スタンドとしての役割を担わせれば、利益が出ると考えました。

ただし、不安要素はありました。ガソリンの仕入れ値というのは、一介の業者がいくら努力したところで、変わるものではありません。値段は世界のオイルマネーにより大きく上下し、それが事業の業績に直結してきます。

そのリスクをなんとかするため、筆者はひとつの勝負にでました。WTI原油先物取引で、向こう10年同じ価格で取引する契約を結んだのです。

WTIとは「ウエスト・テキサス・インターミディエート」の略で、西テキサス地方で産出される、硫黄分の少ない高品質な原油のことを指します。そしてWTI先物取引は、原油価格の代表的な指標であり、取引量と市場参加者が圧倒的に多く、市場の流動性や透明性も高いため世界経済の動向を占う重要な経済指標のひとつにもなっています。

原油価格は、世界情勢で大きく変動します。向こう10年同じ価格であることなど、まずありません。もし原油の値が暴落すれば、ガソリンスタンドはつぶれ、運送業にも影響がでるのは必須でした。当時の原油価格は、1バレルあたり29ドル。筆者は、「今後原油価格は上がる」と読んで、10年契約に踏み切ったのでした。

[図表2]国際原油価格(WTI)の推移出典:経済産業省資源エネルギー庁エネルギー白書2016

結果的には、原油価格は1バレルあたり100ドル前後まで伸び、5億円の利益が出ました。これは、リスクを取ったからこそであり、その利益が運送業や大手ガソリンスタンドとの競争力の源ともなりました。

なお、こうした勝負勘は、ギャンブルを通じて身につけたものです。また、大胆な挑戦はリスクを伴いますが、そのリスクを取れる度胸というのは、いきなりは身につきません。さまざまなトラブルを経験して初めて、胆力がついてきます。遊びの中で、トラブルを解消する経験を積んでいると、こうした肝心の場面でも物おじせずに勝負に出る、鋼の精神を得られるのです。

そして、自分がピンときたら、それに従って行動したほうが、いい結果が待っていることが多いのです。人生においても、行動しなかったことを悔やむより、行動して失敗し、それを次の成功の糧とするほうが、より実りがあるでしょう。

「これからM&Aの時代だ、勉強してこい!」

自動車リース業は、運送業と近いように思えるかもしれませんが、必ずしもシナジーを期待して始めたわけではありません。きっかけとなったのは、「銀行」でした。

当時は、運送業が安定していたこともあり、新たなビジネスの種を探して、M&Aに関心を持っていました。

そこで日ごろから付き合いのある銀行に「なにかいい事業はないか、あればお金を借りてやってみようと思う」と相談したところ「お金は借りてほしいが、M&Aについては、あまりよくわからない」と言います。

「これからM&Aの時代だ、勉強してこい!」

そう言ったところ、M&Aの勉強に行ってくれました。もちろん、まずは自分がM&Aに興味があるからですが、銀行員たちにとっても、M&Aについての知識が身につくのですから、プラスになったはずです。

そしてその2年間の勉強の成果として、銀行が持ってきたのが、老舗の自動車リースの会社だったというわけです。リース業についてはさほど経験がありませんでしたが、自動車整備や点検には経験がありましたから、それが生かせそうでした。

筆者が見ても、その会社は優良に思えました。自動車リース業は大手が乱立している中で、小さいながら着実にシェアを取っていたからです。ここにきっと魅力があると考え、筆者は投資を決意し、3億5000万円で判子を押しました。

その後、リース事業を通じてノウハウや人材、業界内のコネクションが得られましたから、自社でも十分、新たなお客が取れるようになりました。このリース事業の経験をもとに自社の中に既にノウハウが蓄積されていた自動車整備や点検も事業に組み込んだ上で、新たに子会社を作りました。

自動車リース業は、遊びというより銀行とのやりとりの中で生まれたのですが、「銀行との付き合い方」は、遊びで学んだものです。その後もM&Aを何度か行いましたが、それは主に筆者が「経営を楽しむ」ために行ったもの。新たな世界にチャレンジする楽しさこそ、筆者の人生の原動力のひとつです。

「札付き」マンションの購入を即決

筆者が手掛けた新規事業で最も大きな利益を上げたのが不動産業です。最初はまったく知識がないところからのスタートでしたが、それでも順調に歩んでこられたのは、やはり人脈と銀行をうまくコントロールできたおかげでしょう。

事の発端は、借金でした。遊びのために使ったお金、5億円ほどが、気がついたら借金として残っていました。会社の経営上はそこまで重くない額だったのですが、運送業が頭打ちになりつつあったこともあり、そろそろ返そうかと考えだしました。遊びの後始末を会社に回すのもどうかと思い、新たな利益を生みそうな事業を摸索していたのですが、自分ひとりだけで始められる不動産投資に白羽の矢を立てたのでした。

手始めとして、三重県四日市市のマンションを、公売で落札しました。その公売に参加したきっかけはある日、親しくしていた不動産業者が、チラシを持ってきたことです。そのマンションは、立地もよく、確かに魅力がありました。しかも、もとは16億円だったものが、7億5608万円まで値下がりしていました。筆者はその場で、入札を決めました。

ただし、値崩れしていたのには、理由があったのです。そのマンションの前の持ち主は、反社会勢力に借金があり、その債権として物件を要求されていました。筆者が買った時点でも、反社会勢力が居座っており、不動産業界では有名な「札付き」のマンションだったのです。現在では、反社会勢力が公売物件に関わってくることはほぼありませんが、昔はそうした札付き物件が公売に出ていました。

公売物件が市場より安い理由のひとつは、物件にどんな瑕疵(かし)があろうとも裁判所は責任を取らない決まりがあるためです。民間業者であれば、そうした瑕疵を公開しなければ売る側に責任が問われますが、公売物件は「入札するなら、自己責任で。瑕疵(かし)は自分で調べる」というのが前提なのでした。

もちろんそうしたことはある程度わかっていましたが、それでも購入を決めたのは、紹介してくれた不動産業者と信頼関係があったのに加え、「人がやらないことをやる」という筆者の信条に合っていたということもあります。とりあえず何事も、やってみなければわからない。そう思って購入を決意しました。ちなみに当時の会社の年商は、約14億円。その半分以上の額を借金したことになり、今思えば社運をかけた「大勝負」でした。

それからは大変でしたが、反社会勢力とやり取りをするのは、実は初めてではありませんでした。高級クラブでのトラブルを解決した経験が、大いに役に立ちました。彼らが求めるのは、結局お金ですが、弱腰で出れば足元を見られ、「いいカモがいる」と際限なく吹っ掛けられます。かといって、正攻法で攻め立ててメンツをつぶすと、その場は勝てるかもしれませんが、違う形で必ず報復されます。そうした匙(さじ)加減と、「これ以上はメンツがつぶれるから、ここで妥協しよう」という引き際。それがわかっていれば、交渉できます。結局、上手く解決して、物件を無事、所有することができました。

こうした「札付き」物件は、それが解決さえできれば、儲かります。そもそもの売値が規格外に安いのですから、当然です。このマンションも、2年後に12億5000万円で売却。5億円の売却益を得ることができましたから、借金を無事に清算できた計算です。

リーマン・ショックで大暴落した不動産を一気に購入

「トラブルを解決すれば儲かる」とはいえ、「札付き」物件を買ったのはその一度だけです。しかしそれがきっかけで、不動産業者から頻繁に電話がかかってくるようになりました。それには理由があります。実は公売物件の落札価格であった7億5608万円は、公売元である名古屋国税局の管内において、史上最高の金額でした。そのため、朝日新聞や読売新聞に記事が掲載されたのです。そして記事を見た不動産業者が、「不況下に、ずいぶん羽振りがいい会社がある」ということで、営業をかけてきたわけです。

さすがにいちいちそれに乗っていては、大損をしてしまいますから、ほとんどは無視しました。ただ、自分の嗅覚で「これは」と思う物件が出てきた時のみ、銀行にも査定をさせた上で、銀行からお金を借りて購入していました。着実に儲けが出ましたが、当時の投資はまだまだ個人の範疇で、事業とまでは呼べなかったと思います。

本格的に不動産投資を事業化したのは、2008年です。9月15日、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに端を発し、連鎖的に世界規模の金融危機が発生。いわゆるリーマン・ショックです。そこから不動産はどんどん値を下げ、大暴落。それまでの半値は当たり前で、4分の1、5分の1まで価格が下落する物件も数多くありました。しかしそれでも、買い手がつかない状況でした。

そこで筆者は、一気に物件を買いました。人がやらないことを、あえてやってみる。いわゆる「逆張り」です。リーマン・ショックほどの不景気が長く続くはずはありません。続いたら日本の経済が壊滅してしまいます。また、バブル崩壊とは違い、震源地はあくまで海外で、日本には余波が届いているに過ぎません。そう遠くないうちに、必ず価格は戻る。そんな読みがありました。銀行も、リーマン・ショックのあおりで、お金を貸す相手が見つからず四苦八苦していたタイミングでしたから、借金の申し込みは渡りに船。筆者が買いたいといえば、どんどんお金を貸してくれました。

そこで資産を築けたことが、経営のひとつの転機となりました。それ以降は、筆者にも不動産投資の知見や情報が蓄積され、事業として十分やっていけるレベルに成長しました。現在は、利益が頭打ちである運送業に迫り、筆者の会社のもうひとつの収益の柱となりつつあります。これまでの遊びの中で培ってきた、投資能力とトラブル解決能力が、うまくかみ合った結果、不動産事業が軌道に乗った。筆者はそう感じています。

本当に有益な情報は「インターネット」にはない

筆者は、新規事業の開拓として手掛けたM&Aも、不動産事業も、損を出すことなくここまで歩んで来ることができました。その裏には、筆者なりの投資の基準があります。まずは、M&Aをする場合、できるだけ高い会社を買うということ。

本書(『社長が遊べば、会社は儲かる ―週6日遊んで70億円の資産を築いた経営者のストーリー―』)第1章で紹介した料亭などの一部の例外を除き、基本的には価格の高い会社しか買ってきていません。

逆から見ればその理由がよくわかるのですが、価格が安い会社というのは、利益体質になってはいません。それを利益が出るように変えていくのは、投資ファンドや銀行の投資部門など、企業再生の専門家でなければ難しいものです。筆者は専門家ではありませんから、企業の価値を大きく上げることはできません。ですから、最初からきちんと利益が出る体質であり、手堅くプラスになると思えるような価格の高い会社を買うようにしているのです。

また、M&Aでも不動産投資でも、銀行の力をうまく借りるようにしています。たとえば不動産なら、興味のある物件の情報を、融資してくれそうないくつかの銀行に送ります。銀行には貸し出しを増やしたいタイミングというのがあります。それに合わせて打診をすると、それぞれがプロの目で査定したうえ、プランを出してくれます。この情報の精度は多くの場合、高いものです。なぜなら、筆者が大きな損を出せば借金を回収できない可能性があり、銀行としてはそのリスクをできるだけ下げたいため、事前に全力で査定してくれるのです。

投資で最も重要なのが、情報です。投資をするか、しないか、という結論に至るまでの情報収集の質の高さが、成否を分けます。有益な情報は、もちろんインターネットには上がっていません。本当に価値がある情報を持っているのは、ごく一部の人たちであり、それを表には出しません。「この人なら」と思えるような信頼できる相手だけに対し、初めて情報を明らかにしてくれます。

ただ仕事でつながっているだけの相手に、とっておきの情報を回す人はまずいないでしょう。それよりも、自分が信頼し、応援したい人にこそ、情報を伝えたいと思うのが自然です。そうした信頼関係は、仕事ではなく遊びのなかで生まれ、育まれているものです。遊びにより「本物の人脈」をつくってきたからこそ、筆者は投資で勝ってこられたのです。

「ただ一緒に楽しく過ごすこと」が真の人脈作りになる

筆者は、遊びのなかで意識的に人脈づくりを行ったことはありません。遊び仲間には、有力者も何人もいますが、彼らと知り合った段階で「付き合っておけば何かいいことがありそうだ」「仕事に利用できるかもしれない」などとはまったく考えません。知り合って、飲んで、ただ楽しい時を過ごす。それだけです。

遊びで知り合う人々を、仕事につなげようとは思わないこと。やや逆説的ですが、この意識を忘れぬのが、非常に大切です。遊びが上手な人ほど、遊びの場で初めから仕事を持ち出すことを「無粋」ととらえます。仮にそういう話が出るとしても、それは遊びがきっかけで友人となり、互いに信頼関係を築いてから自然と出るものです。

以前話したパチンコ景品事業についても、あくまで信頼のおける友人という関係だったからこそ、筆者に声がかかりました。命がけでお互いを助け合うという船上での経験で、信頼が強固なものとなった後のことです。

そうして、「一人の人間」として、つながっているネットワークこそ、本物の人脈と呼べるものです。経営者、政治家、弁護士といった肩書きはまったく関係なく、互いに尊敬できる、互いを認め合える、というように、人としての価値観を根底に置いたつながりといえます。

同じ趣味や同じ楽しみが好きであることは、本物の人脈を作っていく上での「入り口」となります。もっと話していけば、共通点がさらに多く、類似した価値観を持っていることに気づくこともあるでしょう。だからこそ、仕事よりも遊びで出会う人のほうが、本物の人脈になりやすいのです。

結果論からいえば、信頼でつながった相手がたとえどんな仕事をしていようが、互いに役立つポイントは必ずあります。仕事というのは、どんなに違うように見える業界であっても、どこかでつながっている。筆者はそれを体感してきました。

最初から「仕事で役立つかどうか」で人を判断するのは、自分の新たな可能性を大きく狭める行為に他ならないのです。それではせっかく遊びに出ている意味がありません。まずは仕事を忘れ、自分がひたすらに楽しく過ごせる仲間を築いてほしいと思います。

[図表]世界の美女に囲まれて

「逆」を行くことが新たなビジネスの原動力になる

経営者としての在り方も、投資に関しても、筆者は常に「理想の経営者」とは逆のことをしようと考えてきました。たとえば、高級クラブでいつも意識しているのは、ちやほやされないようにする、ということです。そのために、わざとスニーカーを履いて行ったりします。

もちろん、お金はしっかり落とします。それなのに、ふんぞり返って飲むこともなく、なんだか変なことばかりしている。そのほうが記憶に残りやすいですし、話しかけやすいでしょう。それが、「親しみ」というものです。

いくらお金を使ったところで、偉そうにして飲んでいれば、クラブの女性たちからは愛想しか出てきません。ちやほやされて喜んでいるうちは半人前。人としての本音を話してくれるようになったら一人前。筆者はそう思っていますし、そうして立場を超えた人間同士の会話ができて初めて、クラブという場が一気に面白くなってきます。

投資にしても、人と同じことをしていて、大きく儲かるはずがありません。競馬で、オッズ1.1倍の馬に賭け続けるようなものであり、現在ある事業ならともかく、新規事業においてもそれを求めてしまっては、始める意味はありません。

リスクはあるけれど、当たれば一気に大きく儲かることを狙う、というのが、事業を起こす醍醐味でしょう。そうして個人ではできないような大きなビジネスをしかけていけることこそ、経営の大きな楽しみではないでしょうか。

人の逆をいくと、最初からうまくいくというのはほぼありません。しかし続けているうちに、人とは違った視点、逆をいくことでしかわからなかった新たな世界が広がっていきます。それが、ひいては自社の事業の差別化や、新たなビジネスを生み出す原動力となるのです。「人の逆をいく」ことを、いきなり事業で実践するのが難しいと感じるなら、まずは遊びのなかで、実践してみてはどうでしょう。

「初めは無借金経営を目指す経営者のひとりでした」

真面目な社長が必ずといっていいほど目指すのが、「無借金経営」です。世の価値観でも、「無借金経営こそ善である」という風潮が強いように感じます。しかし、本当にそうでしょうか。無借金がいいに決まっている、と盲目的に信じ、借金をしないことで自分を安心させているだけではありませんか。

筆者が感じるのは、中小企業は借金を恐れるあまり、成長の機会を逃しているということです。筆者に言わせれば、無借金経営という信仰こそ、会社の呪縛となるのです。

借金という言葉はネガティブに使われがちですが、事業拡大や設備増強のために受ける融資は「借金」ではなく、リターンを見込んだ「投資」です。成長のチャンスというのはそう頻繁に訪れるわけではなく、チャンスにどれだけ多くの金額を投資できるかが、その後の企業の成長を左右します。

無借金経営を目指すあまり、「返せなかったらまずい」と借金をするのを恐れてしまうと、ここぞという大きなチャンスがやってきても、積極的な投資に踏み切れません。そうして投資ができなくなると、現状維持にこだわるようになり、時代が変化しても過去の成功パターンにこだわり続けてしまって、倒産への道を歩み出します。

かくいう筆者も、初めは無借金経営を目指す経営者のひとりでした。事務所は借り物、不動産も取得せず、固定資産もなく、自分が明日「会社をたたむ」と言ったら、あとは従業員に退職金を払って終わり。そういう会社にしたかったのです。その裏には、「会社に人生を縛られたくはない」という思いがありました。会社を継ぎたくて継いだわけではなかったことが、影響していました。

しかしある日、お客様に「お前のところは借金もないだろうが、なんの基盤もない、根なし草だな」と言われ、その言葉がいつまでも耳に残りました。なんだか、度胸のなさを指摘された気がしたのかもしれません。

「だったら、借金してやろう。むしろ誰よりもお金を使い、お金を借りられる経営者になってやろう」

若かったですから、多少意地になっていたところもあったでしょう。ただし、そうして自分の中で借金を肯定してみると、違ったものの考え方ができるようになりました。自分の手元にお金がなくとも、やりたい事業ができる。そこから経営が楽しくなってきました。

経営者が、自らの重要な役割である投資を怠っているような会社には、未来はないのです。「借金は悪」という呪縛から逃がれるためには、一度大きく借金をしてみなければなりません。筆者は55歳で28歳の娘に会社を譲りましたが、その際には60億円の借金も併せて渡しました。普通の親なら会社を承継させる際には、借金はゼロにして子どもが困らないようにと考えると思いますが。ここでも筆者は逆を行ったのです。

ここで筆者の後継者選びについて触れておきましょう。私には娘と息子がいます。普通なら迷わず息子に家業を継がせるでしょうが、筆者は娘に白羽の矢を立てました。その理由は娘には真面目な社長にはない、商才があると見込んだからです。それを象徴するエピソードを紹介しましょう。

娘が大学生の当時、筆者は会社が経営するガソリンスタンドのカードを娘に渡し、通学に使用する車のガソリンを入れることを許していました。ある月を境に給油量が急に増えたのです。そこで娘に確認すると、なんと同級生に自社のスタンドでの給油をすすめ、カードを使って給油し、友人たちには通常の価格よりも安く提供し、料金を徴収。自分の小遣いとして稼いでいたのです。流石に表向きは娘を注意したものの、なかなか見込みのある奴だと感じました。

書類に判子を押した際、娘は「これは個人の人生の範疇でどうにかなる額ではない」と思い、かえって社長となる不安が薄れ、腹がくくれたそうです。そして現在も、不動産を中心に積極的な投資を行い、利益につなげています。ちなみに息子は大物で、副社長として後ろでデンと構えています。

お金をたくさん借りると銀行は会社の「財務部」になる

借金をするには、当たり前ですが貸してくれる相手が必要です。そして多くの場合、まずは銀行に借金を持ちかけると思います。したがって、どんどん借金をして投資をしていくには、銀行交渉に成功するというハードルを越える必要が出てきます。

バブル崩壊後、銀行の経営方針は大きく転換しました。景気がいい時には、平身低頭してどんどん融資話を持ち掛けてきたのに、バブルがはじけて本当に資金が必要になったら、突然手のひらを返したように冷たく、高慢になり、貸し渋りや貸しはがしを行う……。

こうした経験をした中小企業の経営者は、たくさんいるでしょう。それもあり、銀行は「晴れた日に傘を差し出し、雨の日に傘を取り上げる」と揶揄されるようになりました。そうした不信感があっても、やはりお金を借りる必要があれば、時には銀行にへりくだって、頭を下げるしかない……。それが一般的な経営者の認識かと思います。

ここではっきりさせておきたいのは、銀行と経営者は、対等の関係である、ということです。お金を貸した企業が利益を上げ、利息が付いて戻ってきて初めて、銀行の利益が上がるのです。貸す側が偉い、というような関係性ではありません。

面白いもので、お金をたくさん借りると、銀行はこちらが何も言わずとも、会社の面倒を見てくれるようになります。なぜなら大きく貸している会社が潰れてしまえば、銀行としてもただではすみません。だから大きく貸している会社に対し、銀行は必死で守ろうとしてくれるのです。資金繰りや財務内容などの経営状況を把握した上で財務的なアドバイスをくれたり、いい投資話をもってきてくれます。そうしてその道のプロがくれる情報が、役に立つのは言うまでもありません。

筆者個人の話をすると、「預金ナンバーワンは無理だから、借金ナンバーワンになってやろう」と決めて、ひとつの銀行から、あの手この手でお金を借りまくりました。

銀行の支店長が、自分だけの裁量で貸し出せる金額は、地方であればせいぜい3億円ほどです。借金が10億円を超えてくると、それが不良債権化したら支店長の首が飛びます。私の借金が8億円を超えるくらいから、その支店は常に筆者の味方となり、こちらが相談せずとも相手から便宜を図ってくれ、情報をくれるようになりました。

これが、銀行から借金をする大きなメリットといえます。ただし、それなりの額を借りて初めて享受できるメリットですから、経営者としては「いかにたくさんお金を借りるか」に知恵を絞る必要があります。

銀行との心理戦は「ブラフ」も非常に有効

融資をする上で銀行が最も注目するのは、事業性です。そういうと大げさですが、要はお金を出すことが「納得」できればいいのです。

真面目な社長は、事業性を語る際にも、ありのままを誠実にプレゼンしてしまいがちです。しかし、そもそも「事業がこの先どうなるか」など、誰にもわかりません。事業計画も、あくまで、「こういう予定です」と示すものに過ぎません。だったら、わざわざ不安材料を述べたり、リスク要因について熟考したりする必要はないでしょう。

本音ではちょっと実現が難しいかなと感じていることでも、どんどん「盛って」いいのです。そうして銀行に、「理想的な将来」を提示し、納得してもらえば、それでオーケーです。

また、銀行という組織ではなく、融資担当者という「人間」にスポットを当てて、戦略を立てるのも効果的です。これも遊びの場で学べることですが、どんな職業であっても、人間としての本質が変わることはありません。

たとえば、筆者は以前、同じ日の同じ時間に、5つの銀行の担当者を呼んで、それぞれに同じ融資の話を持ち掛けたことがあります。それにより担当者に「この案件を他行には取られたくない」と競う気持ちが生まれ、借りやすくなるという効果を狙ったものでしたが、これが見事に決まって、「あそこで借りるくらいなら、ぜひ私のところに任せてください」とふたりの担当者からいい条件を持ち掛けられました。

別の日には、メインバンクを呼んであえて「これまでの借金を全部返したい」と持ち掛けました。もちろんそんなお金がないから借金しているわけですから、これはブラフです。

しかし、銀行としては一度に返されてしまうと今後の利息が取れませんから、一括返済は避けたいところです。なのでそこで「では返してください」とは言ってこずに「なぜ全額返すのですか、どうしたのですか」と聞いてきました。そこで筆者は「ちょっと新しい事業を始めるので、これを機に別の銀行から借りようと思う」と伝えました。そうすると担当者は慌てて「その事業はどんなものですか、うちでも融資のご提案をさせてください」と言ってきました。

このように、相手の心理を推し量った上での「ブラフ」は、時に極めて有効に働きます。そうした駆け引きの技術は、遊びの中のトラブルの解決を通じて学んだものです。

「お世話になった」と思わせる付き合い方

歴史の長い会社の多くは、メインバンクとの付き合いもまた長いものです。しかしそれゆえに、たとえメインバンクの動きが悪く、融資を渋るようになったとしても、「仕方がない」などと妥協してしまうことがあるようです。

繰り返しになりますが、銀行と経営者は、対等の関係です。納得がいかなくなれば、先代からのつながりがあったとしても、遠慮なく変えればいいのです。ただしその場合には、ここまで同行で培われてきた人脈は失われることになります。それを恐れずに銀行と付き合うには、銀行の看板ではなく、銀行マン個人から信頼を得ることを目指すといいでしょう。

ひとつ、例を挙げましょう。多くの銀行は、毎年9月が昇給時期であり、そこで栄転なども決まります。

ある銀行マンが、「そろそろ転勤かもしれない」というタイミングに差し掛かったとき。筆者はそこで、億単位の融資案件を持っていきました。

後日、その銀行マンは筆者のところに来て、「おかげさまで転勤先がよくなりました、ありがとうございました」と頭を下げました。そしてそれ以来、いい情報がある時には、まず筆者に話を持ち掛けてくれるようになりました。

銀行マンはサラリーマンですから、組織の中でどう出世するかが最大の関心事項です。融資でいえば、銀行として「お金を貸したい」タイミングに、より大きな融資を行った銀行マンが評価され、そうした実績が出世につながります。

ですから、彼らの出世を後押しできるような提案がうまくできれば、個人的な信頼を勝ち得ることも可能です。銀行マンの立場からすれば、もし自分の手元に有望なM&Aや不動産の情報が来たら、まずは「お世話になった」と思っている相手のところに、それを持ち込むはずです。それが、人間の本質なのです。

そうして個人的な信頼関係を築いていければ、メインバンクであるかどうかに関わらず、便宜を図ってくれる銀行マンが何人もできてきます。

銀行マンとの個人的なつき合いもそうですが、筆者は銀行を自分の会社の財務部だと思うようにしています。

そう考えると、銀行が自社の財務部ならとても中小企業では採用できないような優秀な人材が何人もおり、専門的な知識と能力で仕事をしてくれるという夢のような部署です。しかも莫大な資金力を持つ。頼りになる財務部です。そう考えて腹を割って相談すれば、銀行も親身になって対応してくれます。

そんな話をすると、よく社長仲間から、そんなに洗いざらい銀行に話してしまうと、自社評価を下げられてしまうのではないか、どこまで親身になって相談するのか、と聞かれます。そもそも銀行は、会社の内容など、ある程度把握しています。それなのによく見せようと飾るとかえって信用を失くしてしまいます。銀行を身内だと考え、前向きな相談をすれば、結果的に、自分が借りたいタイミングで融資を受けられる機会が増え、経営の自由度も上がるはずです。

どうせ、銀行と付き合いお金を借りるなら、そういった副次的な要素まで想定した上で、最も犖果的瓩覆笋衒を模索するといいでしょう。