タイ人の2人に1人はJリーグに関心…「アジア戦略」の達成度と残された課題

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 Jリーグが本格的に「アジア戦略」を推進し始めてから、今年で9年目を迎える。2017年には初のタイ人Jリーガーが誕生し、J1で最初にプレーしたタイ人選手であるチャナティップは、予想を上回る活躍を見せている。さらに、昨年はタイ代表の左サイドバックであるティーラトンが横浜F・マリノスのリーグ制覇に貢献し、Jリーグにおけるタイ人選手の存在感は確かなものになった。

 自国選手の活躍によってタイにおけるJリーグの人気は高まり、試合の視聴率も上昇。アジアからヨーロッパに流れていた放映権料などのお金を、アジア内で循環させる。それが「アジア戦略」の目的の一つだったが、タイとの関係はそのロールモデルとなりつつある。

 では、もともとJリーグが描いていた「アジア戦略」はどの程度達成され、今後に向けてどのような課題が残っているのだろうか。「アジア戦略」を担当する株式会社Jリーグ グローバルカンパニー部門の小山恵氏に話を聞いた。

取材・文=本多辰成

Profile|小山恵(こやま・けい)
1984年生まれ。立教大学法学部を卒業後、商社にて東アジア・東南アジアのマーケットを中心にセールス・マーケティング活動に従事。 2012年に株式会社Jリーグメディアプロモーションに入社し、Jリーグのアジア戦略室立ち上げメンバーとして参画。 現在は株式会社Jリーグ グローバルカンパニー部門に所属。Jリーグの国際展開・アジア戦略を手掛ける。

チャナティップの成功で前進した「アジア戦略」

――チャナティップやティーラトンらの活躍によって、「アジア戦略」はどのように前進したのでしょうか。
小山 「アジア戦略」においては当初からタイに最も注目していて、2012年頃からタイで最高の選手だったティーラシン選手がJリーグでプレーしてもらえないかと考えていました。ただ、当時はJ1でタイ人選手に興味を持つクラブがなかったので、移籍できるとしてもJ2のクラブが現実的なところでした。それが、チャナティップ選手、ティーラトン選手と成功例が出たことで、タイのトップ選手はJ1でも活躍できるということが事実として伝わったのが、まずは大きな変化です。

――成功事例ができたことで、タイ人選手の獲得に興味を持つJクラブは増えていますか?
小山 北海道コンサドーレ札幌は事業面でもタイ向けのスポンサーを獲得するなど、タイ人選手の存在が新しい収益源となっています。北海道や札幌の観光プロモーションなどでも、チャナティップ選手がいることは大きな強みです。もちろん戦力となる選手であることが大前提ですが、プレー以外の面でも札幌はタイ人選手がいることのメリットを示しているので、それを見て興味を持つクラブは増えています。

――今季はティーラシンが所属する清水エスパルスがタイ語のユニフォームを着用するなど、タイ市場を意識した取り組みも見られました。
小山 定期的にJリーグとタイ出身選手を抱えるクラブの間で「タイに向けてどういうマーケティングができるか」ということを話し合っていて、清水のプロモーションもそのなかで出てきたものです。「タイ出身選手ダービー」となる札幌戦、横浜F・マリノス戦でタイ語のユニフォームを着たり、ゴール裏のLED看板にタイ語でメッセージを出したりしました。清水と札幌の一戦はタイで約24万人が同時視聴と、今季では2番目に多い視聴でしたし、SNSではタイのファンから「清水のタイ語版のユニフォームがほしい」と声が上がるなど、ポジティブな反応が多くありました。

――タイリーグは、新型コロナウイルスの影響による長期中断を機に秋春制へと移行しました。「アジア戦略」に与える影響はありそうですか?
小山 移籍ウインドウの時期がずれるので、Jリーグへの移籍がしにくくなる面はあると思います。ただ、逆に夏場はタイリーグも欧州リーグも行われないことになるので、見られるリーグはJリーグだけになります。その面ではチャンスでもあるので、夏場のマーケティングにはさらに力を入れていきたいと思っています。

タイでのJリーグ人気が高まり、放映権料は5倍に
――タイ人選手の活躍によって、タイでのJリーグの認知度や注目度はどのように変化していますか?
小山 毎年データを取っているんですが、2013年頃には19パーセントほどだった関心度が、昨年末の調査では49パーセントまで上がりました。「タイ人の2人に1人がJリーグに関心を持っている」という状態になったわけです。東南アジアで人気のあるプレミアリーグへの関心度は圧倒的ですが、ラ・リーガ、ブンデスリーガとはもう少しで肩を並べるところまで来ています。タイにおいては、今はセリエAやリーグ・アンなどよりもJリーグのほうが関心を持たれている状況です。

――Jリーグへの関心度が高まったことで、放映権料などの面でマネタイズにもつながってきていますか?
小山 昔はJリーグ側から「放送してください」と話を持っていっても、タイの放送局側があまり興味を示さないという状況でしたが、様相がガラリと変わりました。今は逆に「放送したい」というところが多いので、そういった競争が生まれれば当然、市場価値も上がります。タイでのJリーグ放送は昨年まで「トゥルービジョン」と3年契約を結んでいましたが、今季からは新たに「サイアムスポーツ」と契約を締結しました。具体的な金額は公表していませんが、放映権料は前回の5倍くらいの金額となっています。

――実際、Jリーグの試合はタイでどの程度見られているのでしょうか。
小山 現在、タイではJ1の各節4試合が放送されていて、タイ人選手のいるJ1の3チーム(札幌、横浜FM、清水)の試合は基本的に視聴することができます。その3試合は安定して多くの人に見られていますが、その中でも札幌の試合は段違いに視聴数が多いです。もちろんチャナティップ選手の人気が要因ですが、コンサドーレというチームに対する認知度もかなり高くなっています。

――Jリーグでプレーするタイ人選手たちの存在を通して、JリーグやJクラブそのものへの関心も高まっているわけですね。
小山 例えば、以前は札幌の試合でチャナティップ選手が交代してベンチに下がったら、タイでの視聴者数は一気に減ってしまっていました。それが最近は、札幌戦に関してはチャナティップ選手が交代しても視聴がそれほど落ちないというデータが出ています。札幌というチームやJリーグ自体への関心が高まっている証拠で、非常にいい傾向だと思っています。「アジア戦略」においては、アジアの選手がJリーグでプレーすることはあくまで興味を持ってもらう入り口であって、自国の選手がいなくてもJリーグに関心を持ち続けてファンになってもらうことが目標ですから。

タイの成功例を多くの国に展開したい

――当初から「アジア戦略」の重要国としていたタイでは一定の結果が出たわけですが、その他の国の状況はいかがですか?
小山 どの観点で見るかにもよりますが、一つは放映権料をはじめとする収益化の問題があります。その面では、タイとともに中国、香港、オーストラリアを「ティア1」(第一階層)と見ています。Jリーグへの関心度、人口や経済レベルといったマクロ視点、放映権市場としての大きさなどから、現時点で放映権料の収益が見込める市場です。それぞれの国でどういった層がJリーグに関心を持っているのか、その理由は何かなど、具体的な部分を調査、分析しているところです。同時に、すぐに大きな収益化にはつながらないものの、将来的なポテンシャルが大きい市場として、ベトナムやインドネシアなどの東南アジアを「ティア2」と位置付けています。国によってアプローチは違ってきますが、東南アジアの国についてはやはりタイのように、その国の選手がJリーグでプレーすることが重要だと思っています。

――近年、ベトナムの選手のレベルはタイと同等に近いと感じます。ベトナム人選手のJリーグ移籍についての現状はいかがでしょうか。
小山 ぜひ誕生してほしいと思っています。昨年も10月にJリーグの15クラブの強化関係者と一緒にベトナムへ行き、ワールドカップ予選のベトナム対マレーシアの試合を視察しました。ベトナムの選手を知ってほしいという狙いもありますが、東南アジアのサッカー熱を生で感じてもらおうという目的もありました。

――例えば、ベトナム代表のMFグエン・クアン・ハイなどはチャナティップのような役割を果たせるポテンシャルを感じます。Jリーグ関係者の評価はどうでしょう?
小山 クアン・ハイ選手に関しては、ベトナムで一番の選手ということは多くのJクラブも認識しています。もちろん興味を持っているクラブもあると思いますが、移籍実現には至っていないという状況です。東南アジアのクラブの多くはオーナーが身銭を切って経営しているので、まだまだ「なぜ自分のクラブの看板選手を放出しなければいけないのか」というスタンスなんです。タイもかつては似た状況でしたが、徐々に「日本へ行かせることがタイサッカーの発展にもつながる」という発想に変わっていきました。あとは、チャナティップ選手のように「日本で成功してやる」という強いマインドを持つ選手が出てくるか、というところが重要だと思います。

――タイという成功例が生まれて、今後はそのモデルケースを多くの国に展開していけるかがポイントになりますね。
小山 タイの成功によって、目指してきたこと、やってきたことが間違いではなかったと確認できました。ただ、タイ一カ国の成功がゴールではありません。選手の移籍なども絡むと簡単にはいきませんが、自国の選手が活躍するとJリーグへの関心も高まる。今後さらにアジア市場は成長しますし、その重要性は増してくると思います。この成功モデルをより多くの市場に広げていきたいと思っています。