【戸塚啓コラム】″怪物”森本貴幸はどこへゆく
J2のアビスパ福岡に所属していた森本貴幸が、クラブとの契約を解除した。9月29日にクラブから発表された。双方合意によるものだという。
今シーズンの福岡は長谷部茂利監督のもとで戦っており、ここまで12勝4分6敗の4位につけている。直近は7連勝を飾っており、自動昇格圏内の2位以内に勝点4差まで迫ってきた。
9月に入って一気に調子をあげてきたチームで、森本は出場機会を得ることができていない。ここまでピッチに立ったのは3試合にとどまり、8月23日の第14節を最後にベンチ入りのメンバーにも選ばれていない。
長谷部監督は4−4−2のシステムを採用し、2トップはフアンマデルガドと遠野大弥の組み合わせがファーストチョイスとなっている。来日4年目の長身スペイン人と21歳のドリブラーは、組み合わせとして最適だ。序列の3番手には、クラブのレジェンドの城後寿が控えている。森本はFWの5番手か6番手だ。
長谷部監督はリードをした終盤のシステム変更を勝ちパターンとしている。CBをひとり増やして、4−4−2から5−4−1にするのだ。
追いかける展開では攻撃的な選手交代も見られるが、ここでも割り切ったパワープレーが選ばれることがある。今シーズンは交代枠が3から5に増えているが、序列の高くない森本のような選手が、途中出場から結果を残すのは難しい状況だ。
15歳でJ1にデビューしたかつての“怪物”も、すでに32歳になっている。13年の国内復帰後はJ2が主戦場となり、2ケタ得点をマークしたのは14年シーズンに限られる。福岡で2シーズン目だった昨年は、23試合出場でわずか1ゴールにとどまっていた。
今回の契約解除にあたって、森本は「僕自身あとどれくらい現役でいられるかを意識する年齢に差し掛かり、ここでもう一度、これまでとは違う環境での挑戦をしてみたいという思いで、クラブに相談しました」と説明している。
長谷部監督の選手起用と戦い方に自分を照らすと、ここから出場機会が増えるとは考えにくい。そのあたりの事情をクラブも考慮して、シーズン途中の契約解除になったのだろう。
森本が言う「これまでと違う環境」は、海外と見られている。国内の他クラブへ新天地を求めるなら、契約解除ではなく移籍先が決まった時点で発表すればいいからだ。
彼のキャリアを振り返ると、どのタイミングがピークなのか読み取りにくい。カターニア移籍3シーズン目にセリエA最多の7得点を記録したが、当時まだ20歳から21歳である。ピークとするにはあまりに若い。「飛躍」のタイミングこそあったが、「爆発」のシーズンはいまだに訪れていない気がする。
ここ最近はプレーを見る機会が少なく、コロナ禍で取材もままならないので、32歳の彼がどれぐらいのレベルを維持しているのかはつかみ切れていない。しかし、このままキャリアを閉じていくのはもったいない。どこの国のどんなカテゴリーでプレーすることになっても、ゴール前で獰猛な姿を見たいと思うのだ。
今シーズンの福岡は長谷部茂利監督のもとで戦っており、ここまで12勝4分6敗の4位につけている。直近は7連勝を飾っており、自動昇格圏内の2位以内に勝点4差まで迫ってきた。
9月に入って一気に調子をあげてきたチームで、森本は出場機会を得ることができていない。ここまでピッチに立ったのは3試合にとどまり、8月23日の第14節を最後にベンチ入りのメンバーにも選ばれていない。
長谷部監督はリードをした終盤のシステム変更を勝ちパターンとしている。CBをひとり増やして、4−4−2から5−4−1にするのだ。
追いかける展開では攻撃的な選手交代も見られるが、ここでも割り切ったパワープレーが選ばれることがある。今シーズンは交代枠が3から5に増えているが、序列の高くない森本のような選手が、途中出場から結果を残すのは難しい状況だ。
15歳でJ1にデビューしたかつての“怪物”も、すでに32歳になっている。13年の国内復帰後はJ2が主戦場となり、2ケタ得点をマークしたのは14年シーズンに限られる。福岡で2シーズン目だった昨年は、23試合出場でわずか1ゴールにとどまっていた。
今回の契約解除にあたって、森本は「僕自身あとどれくらい現役でいられるかを意識する年齢に差し掛かり、ここでもう一度、これまでとは違う環境での挑戦をしてみたいという思いで、クラブに相談しました」と説明している。
長谷部監督の選手起用と戦い方に自分を照らすと、ここから出場機会が増えるとは考えにくい。そのあたりの事情をクラブも考慮して、シーズン途中の契約解除になったのだろう。
森本が言う「これまでと違う環境」は、海外と見られている。国内の他クラブへ新天地を求めるなら、契約解除ではなく移籍先が決まった時点で発表すればいいからだ。
彼のキャリアを振り返ると、どのタイミングがピークなのか読み取りにくい。カターニア移籍3シーズン目にセリエA最多の7得点を記録したが、当時まだ20歳から21歳である。ピークとするにはあまりに若い。「飛躍」のタイミングこそあったが、「爆発」のシーズンはいまだに訪れていない気がする。
ここ最近はプレーを見る機会が少なく、コロナ禍で取材もままならないので、32歳の彼がどれぐらいのレベルを維持しているのかはつかみ切れていない。しかし、このままキャリアを閉じていくのはもったいない。どこの国のどんなカテゴリーでプレーすることになっても、ゴール前で獰猛な姿を見たいと思うのだ。
1968年生まれ。'91年から'98年まで『サッカーダイジェスト』編集部に所属。'98年秋よりフリーに。2000年3月より、日本代表の国際Aマッチを連続して取材している