次の扉の先には……?(イラスト:堀江篤史)

遅めの結婚でも幸せな生活を送れることを主張したい本連載だが、晩婚にはさまざまな問題が伴いやすいのも現実である。再婚などの場合は財産争いが生じかねないし、不妊治療をしても子どもはできにくかったりする。今回登場してくれる愛知県出身でアメリカ在住の広瀬美香子さん(仮名、41歳)は、財産争いと不妊治療の両方を経験しつつ、それでも前を向いている女性だ。

美香子さんは3年間で2度の結婚をしている。最初の夫である信夫さん(仮名、享年67歳)とは39歳のときに死別し、翌年に現在の夫である智弘さん(仮名、49歳)と結婚したのだ。

夫と死別した後に起きた「手のひら返し」

「飲み屋で知り合った近所のおじいちゃんが白血病で死にそうだったので、掃除とかやってあげていた。キャバクラのお姉ちゃんたちのたかりがすごくて、かわいそうになって。そのうち一緒に住むことになって、カタチだけ籍を入れることになっただけ。私が葬式を出してあげたかったの。結婚して3カ月後に本当に死んじゃった……」


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Zoom画面の向こう側で取材に応じてくれる美香子さんは化粧のない素顔で、いきなりざっくばらんに話し始めた。よく言えばきさくで、悪く言えば距離感が近すぎる。すぐに親しくなる人がいる一方で誤解されて敵を作りやすいタイプだと思う。

後妻業という言葉が筆者の頭に浮かんだ。死期が迫った老齢の男性と「色仕掛け」で仲良くなって結婚して財産を狙う行為だ。正直に美香子さんにぶつけたところ、そんなものではないとの返事。

「男女関係はもちろんないよ。私の父親と同い年なんだから。私は父親と仲良くないので、その代わりにいろいろやってあげたかった。手もつないでない。歩くのが大変そうだったので腕を組もうとしたら、『やめてくれ。自分のペースで歩かないと死ぬ』と断られたぐらい。私も自分の仕事を続けながら3年ぐらい一緒にいたよ。もちろん家賃はかからなかったけれど、お金をもらっていたわけじゃない。じいさんの通帳にいくら入っているのかも見たことない」

前妻とは死別している信夫さんの家族からも「お世話してくれてありがとう」と持ち上げられていたと美香子さんは振り返る。しかし、信夫さんの死後に2人が籍を入れていたことがわかると、「手のひら返し」が起きた。

「亡くなった奥さんのお兄さんから『バカヤロー』と言われたこともあった。裁判にもかけられたよ。あんなことなら、じいさんの生前に車などの名義を全部私に変えておけばよかった。30代の大事な3年間を捧げたようなものなのに」

気になるのは信夫さんの貯金残高である。美香子さんはすぐに教えてくれた。700万円。遺産分割もあるし、3年間の泊まり込み看病の報酬としては決して多すぎる額ではない。

「財産狙いなら、じいさんみたいに子どもがいない元公務員と結婚したりしないよ。お金を子どもに遺す必要がない人は財産をため込んだりはしていない」

ただし、お金以外にも信夫さんから授けられたものはあった。「親世代の感覚」を教えてもらったことだ。信夫さんが亡くなる1年前、美香子さんの実父が危篤になった。家族に迷惑をかけ続けた父親を許せなかった美香子さんは面会を拒否。しかし、信夫さんからこう叱られた。

「ダメだ。何を差し置いても看取りに行きなさい」

結果として、父親の最期には立ち会うことができた。美香子さんはそれがよかったとは思っていない。しかし、後悔はしていないことは事実だ。

婚活アプリで出会ったアメリカ在住の男性

信夫さんの死後、美香子さんには2つのやりたいことがあった。1つは再婚して子どもを作ること、もう1つは大好きな画家であるクリムトの原画を見るためにニューヨークとウィーンに行くことだ。

婚活アプリに登録したところ、2つ目の夢であるニューヨーク行きをかなえてくれそうな男性と知り合った。それが智弘さんである。日本企業に勤めながらもアメリカに20年以上駐在しており、前妻とは2年前に離婚していた。子どもはいない。

「メールのやり取りをしていた頃は『面倒臭い人』という印象だった。今日の出来事とか、自分で焼いたチーズケーキの写真などを送ってくる。ニューヨークでどこに行きたい?なんて聞かれたけれど、私はクリムトの絵があるギャラリーにしか興味がないし、ほかに何がニューヨークにあるかなんて知らない。めんどくせーなー、いろいろ聞いてくんな、って思ったよ」

言葉遣いがよくない美香子さんだが、愛知県から出たことのない身にとっては初めての海外旅行が不安だったのだろう。智弘さんが航空チケットを送ってくれたときは、「現地で内臓を売れって言われたらどうしよう。2つある内臓のうち1つならいいかな」と覚悟したらしい。大胆さと臆病さが同居しているような人物である。

「会ってみたら、日本人のおばちゃんみたいな男だった。すごいしゃべる人。私は20歳年上の親友がいて、毎日でも電話でしゃべっていた頃があったぐらい。トモヒロはそのおばちゃんに似ているって思った。ニューヨークでは段取りよく案内してくれたし、私と違って英語もしゃべれる。期待せずに会ったのがよかったのかも。一緒にいて嫌じゃなかった」

ニューヨーク旅行の後、智弘さんが住む街に招かれてプロポーズされた。美香子さんの返事はYES。昨年3月に入籍し、6月から一緒に住んでいる。

美香子さんは英語がまったくできない。そのうちに新型コロナウイルスによって外出禁止を余儀なくされ、「頭がおかしくなりそう」な孤独を味わっているらしい。いちばんのダメージは、愛知県で長く続けていた美容関係の店舗を閉じて、長くお世話になっていた顧客を「裏切る」形で渡米し、帰国もしにくい情勢になったことだ。

「仕事をしていないと人生を奪われた気分になることがわかった。毎日、料理しかすることがない。教会の人がZoomで英語を教えてくれたこともあったけど、実際に会ってもわからない言葉を画面越しに喋ってわかるわけがない。拷問みたいな1時間だったよ。窓を開けると、英語を喋っている子どもたちの声が聞こえてびっくりする。ほかの言語も聞こえたり。私が愛知でずっと住んでいた町は外国人が少なかったので、1年経っても慣れないな」

美香子さんはそれでも「結婚してよかった」と言い切る。お店を閉じたことだけは心残りだが、昔からの友達のような智弘さんが職場から帰ってくるのが待ち遠しい。

「早く帰ってこないかな〜といつも思う。私はお酒をあまり飲まないけれど、トモヒロは飲む。そういうところも好き。私がゆっくり食事しながら会話もできるから。昔のお客さんに『男の人にあれこれ注文をつけていたミカちゃんがどうして年上のバツイチと結婚したの?』と聞かれたことがある。可もなく不可もないところかな、と気づいた。いい意味で気をつかわない。仲のいい友達と同じだよ。可もなく不可もないから長く友達でいられる」

不妊治療はうまくいかないけれど

独特の話し方で持論を語ってくれる美香子さん。現在、早くも結婚生活の「最大の山場」を迎えているらしい。不妊治療である。

両親は不仲で、自分も父親とは長年口をきいていなかった美香子さん。しかし、結婚して智弘さんと仲良く生活している今では、子どもを産み育てたいという気持ちが強い。愛知に住み続けている母親もよろこばせてあげたい。

「薬を飲んで痛い注射もしたけれど、ダメでした。卵子がほとんど採れなくて、凍結して保存することもできないと言われた。私がいま41で、夫は来年50になる。タイムリミットがあることは知っていたけれど、医療の力を借りてもダメなのかと思うと落ち込む」

Zoom画面越しで涙をこぼし始める美香子さん。智弘さんはそれほど子どもを望んでいないが、美香子さんの意思を尊重して協力してくれている。智弘さんは彼女のどんなところが好きなのだろうか。在宅中だったらしい智弘さんから「優しいところ」という声だけが飛んできた。

経歴と話し方から判断すると美香子さんを「優しい」とは形容しにくい。よくも悪くも後先を考えずに行動する人、という印象を筆者は受けた。

しかし、結婚相手である智弘さんは美香子さんの別のところをたくさん見ているのだろう。結婚とはお互いの優しさを引き出して温め合う関係を指すのかもしれない。10数年後、定年を迎えた智弘さんは帰国して、美香子さんの実家近くでおばちゃんたちに囲まれて楽しく暮らしている気がする。