■ムサコを名乗ると不幸になるのか

2019年10月、日本各地に被害をもたらした台風19号。武蔵小杉駅前のタワーマンションでは地下の電気系統が浸水し、停電や断水などの被害が起きた。「住みたい街」ランキングの上位に入るなどキラキラしたイメージの“ムサコ”。連日の報道やネット民たちの心ない中傷のおかげで、すっかり「残念な街」というレッテルを貼られた。

一方、こっちのムサコは閑散とする……。

そもそも、武蔵小杉は昔からキラキラした街ではなかった。近辺で育った住民は昨今のイメージに違和感を覚えていたようだ。同エリア出身のコラムニスト河崎環氏は自らを著書(※)の中で「ムサコネイティブ」と語り、かつての武蔵小杉を「NECや富士通、サントリーなどの大規模工場や研究所がある、どこか灰色の町」と表現。近年の進化については、「変わりゆく同級生を遠くから見守るような気持ち」「素朴だった同級生が激変して、マインドまでイケイケになったのを目の当たりにし、その違和感をどう処理していいのか戸惑う」と書いている。

さて、この騒動で激怒しているのは武蔵小杉住民だけではない。同じ「ムサコ」の愛称で親しまれる武蔵小山の住人も行き場のない怒りに震える。「今回のことで『ムサコ』という街のブランドの価値を下げた武蔵小杉。断じて許せません」と住民A子(35)は語る。

※河崎環著『オタク中年女子のすすめ』(プレジデント社)

東急目黒線沿いにある武蔵小山。東京都品川区・目黒区にまたがり、JR山手線の目黒へは2駅という便利な立地。目黒線は、地下鉄南北線と三田線と相互運転しており利便性も抜群。駅の東口からは全長800メートルの巨大な商店街があり、飲食店やスーパーなど約250の店が軒を連ねる。立地がよく買い物に不自由しないと、30代、40代からの人気が高まっている街だ。

■あの下水があふれた街でしょ?

「私がムサコに住んでいると言うと、『あの下水があふれた街でしょ?』と勘違いされることが多いです。テレビで『ムサコ』という名前を聞くたびに、わが街のことを言われているようで……。これまでイメージのいい街だったのに一気に地に落とされました。完全なとばっちりです」。A子は激怒する。

しかし皮肉にも武蔵小山は武蔵小杉と同じ運命をたどろうとしている。現在武蔵小山駅前では再開発が進行中だ。

「私が武蔵小山に引っ越してきた5年前は、いい意味で下町の感じが残っていました。駅を出るとすぐ、炭火焼の匂いを漂わせる焼き鳥屋があり、住民たちの憩いの場でした。50年以上続く路地裏の飲食店街や昼間から酒盛りをしているオジサンも多かった。気取らない街並みを気に入っていました」

しかし数年前から、古びた情緒的な駅前エリアは取り壊され、再開発が始まった。目玉は武蔵小山初のタワマン「パークシティ武蔵小山 ザ タワー」の建設である。コンセプトは「日本一、感じのいいタワマンへ。」。

「『日本一、感じのいい』なんて売り出し文句を聞いたときは、思わず鼻で笑っていましたよ。『感じのいい』とコンセプトにしているあたり、裏を返せばタワマンが嫌われていることを物語っている。まるで武蔵小杉のように、キラキラしたムサコのイメージを求めて、いけ好かない意識高い系が集うと思うとぞっとします」

マンションの低層階にはショッピングモールが完成し、19年11月から営業を開始した。いわばムサコの新しい顔のはずなのだが、しかしながら、いまだにテナントが半分程度しか埋まっていない。ショップ案内板を見ると47ある枠に店舗はたった24だ(2020年2月3日現在)。非常に寂しい。

タワマンの入居開始時期は20年4月。ここで懸念されるのが通勤ラッシュの悪化である。このマンションは総戸数624。たとえば各部屋の共働き夫婦が通勤することになれば、単純計算で1200人は乗客が増える。ただでさえ目黒線の混雑率は高い。武蔵小山の1つとなり駅の不動前から目黒の間は19年度174%だ。今の武蔵小山駅でも、車両に入りきれない乗客を駅係員が押し込む姿は日常茶飯事。タワマン入居が始まるとそれ以上の混雑は必至である。武蔵小杉と同じ轍を踏んでいるようだと語るA子。「ムサコ」を名乗る街は不幸になる運命なのか……。

(プレジデント編集部 撮影=プレジデント編集部)