速すぎてヤバい「ナイキ厚底」どこが違反なのか
■英国メディア「ナイキの厚底シューズを禁止する可能性が高い」
1月15日、複数の英国メディアが、ワールドアスレチックス(旧国際陸連)が新規則でナイキの「厚底シューズ」を禁止する可能性が高いと報じ、世界的に大きな話題となっている。現在、専門家による調査が行われており、1月末にも結論を公表する予定だという。
背景にあるのは、ナイキの厚底シューズの選手による好記録の連発だ。禁止の是非に関する筆者の考えは後述するが、その前提として厚底旋風が吹き荒れた、正月の「箱根駅伝」を振り返りたい。
■箱根駅伝で最も目立ったのは優勝した青学より「ナイキ厚底」
今年の箱根駅伝は、青山学院大が大会記録を7分近くも短縮する10時間45分23秒で2年ぶり5回目の総合優勝に輝いた。全10区間にそれぞれどの選手を配置するか、原晋監督の采配は絶妙で、箱根駅伝を20年近く取材してきた筆者の予想をはるかに上回る快走が続出した。
その青学大の活躍以上に注目を浴びたのが、ド派手なナイキの厚底シューズ(ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%)だった。青学大はアディダスとユニフォーム契約を結ぶチーム。前回大会ではナイキを履いていた選手はひとりだけで、他の9人はアディダスだった。今回は、10人全員がナイキの厚底シューズを着用した。そのことが箱根駅伝の歴史を揺るがすような好タイムにつながったと思われるが、原監督はシューズについて「ノーコメントにさせてください」と多くを語ることはなかった。
今回は総合成績9位以上の大学が、いずれも「11時間の壁」を突破した。好記録の背景としては、天候に恵まれたことや、選手の実力が上がったことがあげられる。しかし、それだけではないだろう。
■箱根選手210人中177人が「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」
筆者は学生時代(1995〜1998年)に箱根駅伝を走った経験があるが、当時のシューズは国内メーカーのミズノとアシックスが“2強”で、その他のメーカーは少数派だった。そうした状況が近年になって激変している。
2017年大会のシューズシェア率は、アシックスが31.9%、ミズノが25.7%、アディダスが23.3%、ナイキが17.1%、ニューバランスが1.9%だった。さらに、ナイキの厚底シューズが登場したことで、勢力図が大きく変動する。
2018年大会のシューズシェア率は、ナイキが27.6%でトップに立ったのだ。この年、ナイキを履いていた59人の選手中41人が厚底シューズ(当時は「ズーム ヴェイパーフライ 4%」)を着用していた。
そして、前回2019年大会では41.3%の選手が「ズーム ヴェイパーフライ 4% フライニット」を中心とするナイキの厚底シューズを着用。今回2020年大会は84.3%(210人中177人)が昨年7月に一般発売された「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」を履いて出走した結果、10区間中7区間(2、3、4、5、6、7、10区)で区間記録が誕生している。
■実証データ:箱根の記録は厚底利用率アップとともに向上していた
果たしてナイキの厚底シューズはどれぐらいの“威力”があるのか。さらに詳しく調べるべく、直近4年間の箱根駅伝の1区〜10区の区間記録(上位5人の平均タイム)で検証した。すると、ほぼ全区で毎年のようにタイムが短縮されていた。とりわけ3区や4区などは、たった4年で2分30秒近くも速くなった。これは驚異的と言わざるをえない。
【箱根駅伝の過去4年間における区間上位5人の平均タイム】
1区 1時間3分59秒→1時間2分32秒→1時間2分39秒→1時間1分20秒2区 1時間7分51秒→1時間7分25秒→1時間7分07秒→1時間6分28秒
3区 1時間3分43秒→1時間3分08秒→1時間2分16秒→1時間1分04秒
4区 1時間3分52秒→1時間2分41秒→1時間2分35秒→1時間1分35秒
5区 1時間13分00秒→1時間12分17秒→1時間11分37秒→1時間10分57秒
6区 59分03秒→58分52秒→58分18秒→57分59秒
7区 1時間4分51秒→1時間4分26秒→1時間3分24秒→1時間2分54秒
8区 1時間6分13秒→1時間6分15秒→1時間4分47秒→1時間5分00秒
9区 1時間10分40秒→1時間11分02秒→1時間9分53秒→1時間8分59秒
10区 1時間11分24秒→1時間11分43秒→1時間10分41秒→1時間9分08秒
※左から17年→18年→19年→20年
記録は風や気温など気象条件に左右される部分が大きいため、単純比較はできない。それでも、これだけの記録ラッシュは、純粋な競技力の向上以上に、シューズの進化が大きかったのではないか。
箱根駅伝出場選手の「ナイキ厚底シューズ使用率」と重ね合わせてみると、使用率アップとともに記録が向上していることもわかる。
2018年:19.5%
2019年:41.3%
2020年:84.3%
(※2017年は発売前のため0%。2019年は薄底シューズの選手もいたが詳細データがないため厚底以外のシューズも含む)。
ナイキの厚底シューズを着用すると、「5000mで15秒は速くなる」と証言する実業団チームの監督もいる。年末年始の実業団駅伝や高校駅伝などを含めて考えてみると、確かにそれに近い感覚がある。全国高校駅伝1区(10km)は30秒、箱根駅伝(1区間22km前後)では1〜2分も従来よりも速くなっている印象だ。
■市民ランナーで「厚底」を履いていい人、ダメな人
ナイキの厚底シューズはこうした競技に出る選手だけが履ける「プロ仕様」ではなく、市民ランナーも簡単に購入できる。
米紙ニューヨークタイムズの調査でも、ナイキの厚底シューズ(ズーム ヴェイパーフライ 4%とズームX ヴェイパーフライ ネクスト%)を履いている市民ランナーは、次に記録の良いとされるシューズ(ナイキ ストリーク)よりも2〜3%、一般的なランニングシューズよりも4〜5%も記録が向上しているという結果が出ている。このためナイキの厚底シューズは市民ランナーにも大きな広がりを見せている。
実際の履き心地はどうか。筆者の感想は、「着地の感触は柔らかいのに、反発力があるため脚が勝手に前に出る感覚」ということになる。通常はそんなことはないが、わずか30分走っただけでハムストリングスやふくらはぎに軽い筋肉痛が起きた。一般的なシューズと比べて、脚の裏側の筋肉を使いやすくなるような設計になっている。市民ランナーが履く場合、ランニングフォームを変える必要はないが、慣れるまで時間が必要だろう。
注意してほしいのは、「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」はあくまでレース用のスピードシューズだということだ。ゆっくり走るランナーが履いても大きなメリットは得られない。
同シューズは、反発力のあるカーボンファイバープレートを、航空宇宙産業で使う特殊素材のフォームで挟んでいるので「厚底」になっている。カーボンファイバープレートは硬質なため、着地時に前足部がググッと屈曲して、もとのかたちに戻るときに、グンッと前に進む。カーボンファイバープレートを曲げることができないと厚底シューズの威力を最大限に生かすことはできないのだ。
例えば、1kmあたり7分の速さでしか走らないようなランナーや、脚力のないランナーはカーボンファイバープレートの存在がかえって邪魔になる可能性がある。そういうランナーは無理して履かないほうがいいだろう。
「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」などに採用されているフォームにも最大85%という高いエネルギーリターン(反発力)がある。同じフォームを使用しながら、カーボンファイバープレートが入っていない「ズーム ペガサス ターボ」のようなシューズもあるので、自分のタイプによってシューズを選ぶといいだろう。
■厚底のカーボンファイバープレートは他社も採用している
冒頭で触れた、ワールドアスレチックス(旧国際陸連)がナイキの厚底シューズを「禁止」する可能性についてだが、筆者は、禁止されないことを強く望む。
ワールドアスレチックスは、「使用される靴は不公平な補助、アドバンテージをもたらすものであってはならず、誰にでも比較的入手可能なものでなければならない」という規定を設けている。
ナイキの厚底シューズは高額(「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」の価格は税込3万250円)とはいえ、誰でも「入手可能」だ。
問題は「不公平な補助」かどうかだ。バネの利くカーボンファイバープレートが問題視されそうだが、これと似たような仕組みはナイキの厚底シューズだけでなく、他のメーカーでも採用されている。また短距離用走のスパイクにもカーボンファイバーのソールを使用しているものがある。
■なぜ「厚さ」を規制しなければならないのか
となると、どこが問題なのか。
報道によると、ソールの「厚さ」に制限が加えられるのではないかという。今回の箱根駅伝でも大活躍した「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」(2019年7月に一般発売)は、2017年7月に一般発売された初代の厚底シューズである「ズーム ヴェイパーフライ 4%」と比べて、ミッドソールのフロント部分が4mm、ヒール部分が1mm厚い。フォームを全体で15%増量したことで、エネルギーリターン(反発力)を高めている。
昨年10月のシカゴマラソンではブリジット・コスゲイ(ケニア)が従来の女子世界記録(2時間15分25秒)を一気に1分21秒も塗り替える2時間14分04秒で突っ走るなど、厚底シューズの威力は増している印象だ。
さらに、非公認レースだが、昨年10月にウィーンで行われた「INEOS 1.59 Challenge」では世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が42.195kmを人類史上初の2時間切り、1時間59分40秒で走破した。そのときに彼が履いていたモデルは、市販されているナイキの厚底よりもさらに「厚底」だった。
ナイキは「厚さは速さだ」というキャッチフレーズのもと、ソールの厚さを武器にする新戦略を推し進めてきた。そして、世界のマラソンシーンを変えてきた。記録はグングンと伸びている。
ワールドアスレチックスはすでに出された記録については抹消しないという報道もあるが、ソールの厚さに制限が加えられることになれば、これまでのような記録を期待するのは難しくなるかもしれない。
■禁止されれば、東京五輪のマラソン競技や選手選考レースに甚大な影響
筆者は厚底を禁止することには反対だ。
ソールが厚くなればシューズは重くなり、安定感を欠く。それをスムーズに走れる製品に仕上げたのはナイキの企業努力だ。そして、革新的なシューズを履きこなして記録ラッシュを生み出した選手たちもリスペクトされるべきだろう。
あらゆるスポーツは道具(ギア)とともに進化してきた。もし、実際にナイキ厚底シューズが直ちに禁止されれば、東京五輪のマラソン競技にも甚大な影響が考えられる。
たとえば、この3月に実施される選手選考レースの「東京マラソン」「びわ湖毎日マラソン」でも用意していたシューズが使えなくなる選手が出てくる。そうなれば走りの感覚が大きく変わるため、早急な調整が必要となる。選考結果にも大きな影響があるだろう。そうした事態を避けるためにも、ワールドアスレチックスの慧眼に期待したい。
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酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)