リーダーこそ「大目に見ること」をやめ、セルフィッシュ(自分本位)であるべきだ(写真:Zinkevych/PIXTA)

「文句を言うな」「仕事なんだから仕方ないだろう」「波風を立てるな」「周囲とうまくやりなさい」「場をわきまえろ」「大人になれ」……。

このような言葉を、あなたは部下にかけていないだろうか。あるいは、

「このくらいは鷹揚に構えて、大目に見てやるか」
「理解ある上司になるには大目に見ることも大事だ」

このような言葉を、上司であるあなたは、自分に言い聞かせていないだろうか。

嫌なことに対して「大目に見る」ように言われるのは、私たち人間の常といっていいだろう。どれも助言としては間違っていない。物事に柔軟であることも、周囲になじむことも、いずれも美徳だからだ。

しかし、この「大目に見る」ことを続けていくと、自分自身を麻痺させていくことになる、と指摘されたら、あなたはどう思うだろう。

「理解ある態度」は無能の証?

約30カ国でパーソナル・コーチを輩出し、パーソナル・コーチングの父と呼ばれたトマス・レナードは、大目に見ることが当たり前になっていくマイナス点に、次のことを挙げている。

1、問題になりそうな状況や人間関係に巻き込まれたときに、根本的な解決ができない。
2、ひるんでしまうような場面で、思い切った行動を起こせない。
3、ずっと悩みの種になっていることを放置し続ける。先延ばしにする。
4、自分の意思を持って、率直にものを言ったり変化を起こしたりすることができない。
5、「大目に見てくれる人だ」と感づいた、エネルギーを奪うような人たちが、あなたに近づいてくる。
6、コミュニケーションスキルに問題が生じる。

どうだろう。もしもこのような人物が上司だったら? いわゆる「無能なリーダー」の典型ではないだろうか。

もしもあなたが、チームのリーダー的立場であり、「大目に見る」ことが「理解ある上司の姿」だと思っていたら、ぞっとしないだろうか。

ではどうしたらいいか? そのヒントをコーチングのバイブルであり、パーソナル・コーチングの父トマス・レナードが書いた世界的ロングセラー『セルフィッシュ 真の「自分本位」を知れば、人生のあらゆる成功が手に入る』から取り上げてみたいと思う。

大目に見るということは、自分で自分に言い聞かせてきた妥協の表れであることが多い。

その対象は、感じの悪い同僚の存在かもしれないし、指示を出せば嫌な顔をして動かない部下かもしれない。人間関係の中で自分が嫌々担っている役割かもしれない。あるいは、精神衛生上あまりよくない状況に自分の身を置いているのかもしれない。

でも考えてみれば、子どもの頃はそこまで物事を大目に見てなどいなかったはずだ。ところが成長するにつれ、私たちは「セルフィッシュ(自分本位)になるな」と教えられる。そうすると、物事を大目に見る術(つまり、受け入れる、耐える、順番を待つ、分別を持つ、物事のよい面を見る、妥協する……といったこと)を身に付けざるをえない、ということになる。

こうしたスキルを叩きこまれたばかりに、私たちは大目に見ることにかけては一級品、の状態になってしまった。

私たちは、自分の感情を抑えるように教え込まれる。泣きわめくのは大人のすることではない、というわけだ。 

かといって、それが行きすぎて自己否定に結びついてしまうのもやはりよくない。そこで、物事を大目に見る癖をなくしつつ、自分の希望をスムーズかつ効果的に、そして周りとの関係を壊さないようにうまく主張するスキルを身に付けることが必要になる。あなたがリーダーであればなおのこと。小さなほころび、小さな違和感を放置しておくことで、組織のほころびや大事に至るケースは、枚挙にいとまがない。

大目に見ることと寛容であることは、どこが違うのか?

ところで、「寛容であること」と「大目に見ること」を混同している人がいる。

「いっさい大目に見ないこと」「寛容でないこと」は違う。寛容さに欠けるとは、ほかの人の意見や権利、大切にしているものを認めようとしないこと。

「いっさい大目にみないこと」とは、ほかの人の行動や何かの状況が自分にとって害となる場合には、それをよしとしないということである。

物事を大目に見ることは、本質的には自分を麻痺させることと同じである。例えば、美しい音楽をかけているとしよう。そこへ突然、車のクラクションや人の喋り声などがして、あたりが騒がしくなったら、あなたはその耳障りな音をとにかく締め出そうとするだろう。一方では音楽を聴こうとし、もう一方では騒音を聞かないようにすると、自分のエネルギーも分散してしまう。すると何が起こるか。

音楽の音程の一部には騒音の周波数と重なるところもあるので、その部分をシャットアウトすると、それだけ音楽自体も聞き逃してしまうことになるのだ。

人生もそれと同じことである。何かを大目に見ると、その不快さを感じなくて済むようにと心が閉じてしまい、その分幸せも感じられなくなってしまう。違和感をキャッチするセンサーも働かなくなってしまう。

自分が本当に求める人生にしようと思うと、自分の感覚は鈍らせるのではなく、逆に敏感に研ぎ澄まさなければならない。となると、我慢は手放さなくてはならないのだ!

「セルフィッシュ」になって――つまり、あなたが「必要だと思うこと」「やりたいこと」に敏感になり、それを周囲に伝え、余裕を持ってすぐに動くこと――それができて初めて、自分にとって最も大切なことのためにエネルギーを最大限使うことができる。

物事を大目に見ている状態だと、自分も、自分の仕事も、平凡でつまらないものになる。生まれ持った創造性も押し殺され、いつも疲れた状態になってしまう。

大目に見ることをやめれば幸せが増え、一緒にいて楽しい人になれる。自尊心が傷つくことも減るので、自分の価値を表現することにもっと注力できるようになる。そうすると、人より一歩先に行くことができ、何かを乗り越えたり迂回したりするのにエネルギーを注がなくてもよくなるのだ。これこそ、リーダーにとって最も必要な力ではないだろうか。

なぜ、あなたは物事を大目に見てしまうのか

ここまで「大目に見ること」の危険性について見てきた。ではここで、そもそもあなたが大目に見てしまう理由を見てみよう。

トマス・レナードが指摘する理由と対処法で、今回お伝えしたいことは次の3つだ。

1つ目は、物事を大目に見ることで自分が得ている利益に気付くこと。 

なぜ、人は「大目に見て」しまうのか。それは、何かを大目に見ることと引き換えに、何かを手に入れているからだ。例えば、部下の行動に意見しないのは、嫌われたくないという思いからかもしれない。プロジェクトの進行遅れを大目に見ているのは、遅れの原因を見つけるのが面倒だからかもしれない。

あなたは何を手に入れているだろう。何か実体があるものだろうか。それとも単に、自分や自分の価値を大事にするためにわざわざ行動を起こす面倒くささから逃れられることだろうか。

2つ目は、その領域で自分がいらぬ我慢をしないための目安や基準を設けること。

数字で決めておくといい。例えば、つまらない話を何秒以上聞かされたら、話題を変えるなり会話を中断するなりする。あるいは、ハードルの高い仕事に何時間、または何日まで費やしたら「もういい、割に合わない。次へ行こう!」と舵を切る。そういったことだ。

3つ目は、自分が大目に見ているものに対して、健全な関心を寄せること。

我慢には、自分がさらに強化すべき分野を示してくれているという側面もある。そういう意味での「盲導犬」になってもらおう。大目に見る対象を根絶しようとする前に、そこから学べるものは学ぶのだ。

大目に見ることをやめるために、すぐにできる2つのこと

最後に、「大目に見ること」をやめるための実践的な方法を2つお伝えしよう。

1、大目に見ていることを、どんな小さなことでもいいので、50個挙げてみる。

小さい我慢は、ほとんど何かしらの形で、大きい我慢に紐づいている。例えば、オフィス環境、日々の仕事、コミュニケーション、部下の態度……こうした場面で起きている我慢をリストに挙げてみよう。どんなに小さなことでもいい。

2、選んだ「我慢」の中から、どれか1つを110%除去する

1、で選んだ「大目に見ていること」や「小さな我慢」の中から、あなたが払っているコストの高いものを選び、それを110%除去しよう。なぜ、100%でないのか? それは、余分な10%は、我慢の「根源」をなくすためのものだから。


我慢は、こんな些細なものでいい。110%除去する一例を挙げよう。

ある女性が夫の歯磨き粉のチューブを真ん中から押すのがどうしても嫌だと思っているとする。そこで夫に「やめてほしい」とは言うのではなく、ボトル式の液体歯磨きを使うことにした(そもそも真ん中から凹むチューブを使わなければいい、という対策を立てた)。

このように、大目に見ること自体が2度と起こらない状況を作ってしまうのだ。

いかがだろう。無駄な我慢をしないこと、つまり「セルフィッシュ」であることは、無能なリーダーにならないための戦略の1つでもある。今日からできることをやってみてはいかがだろうか。