アップルは9月10日の新製品発表イベントで、動画配信サービス「Apple TV+」を月額600円で提供すると発表した(筆者撮影)

アップルはiPhoneやApple Watchの新モデルを発表した9月10日開催のイベントで、3月に発表していた動画配信サービス「Apple TV+」を11月1日に開始すると発表した。料金は、家族全員(最大6人)をカバーするサブスクリプションで、月額4.99ドル、日本では月額600円であることを明らかにした。

アップルはYouTubeなどを通じてすでに6本の番組の予告編を公開している。いずれも急速に視聴が進んでおり、今アメリカで最も注目されている「The Morning Show」の予告編はすでに2400万再生を記録した。

アップルは今回のイベント中に、「See」(視覚を失った未来の人類の挑戦を描いたドラマ)という新しい番組の予告編を初披露した。3日経った段階ですでに700万回再生されており、注目度が高いことを表している。

アップルは戦略的な価格設定を行っている。その理由と、アップルが目指す戦略はどこにあるのだろうか?

「月額600円」の衝撃

アップルは動画コンテンツに対して50億ドル規模とも言われる大きな投資をしていると見られており、NetflixやAmazonといった現在業界の中心的な存在となっているストリーミングサービスに対抗するサービスへ成長させようとしていると見られてきた。

例えば月額9.99ドルといった価格設定を行うのではないか、とも見られてきたのだ。しかし、実際には、家族全員視聴が楽しめて、月額4.99ドル、日本では600円と設定し、会場内のプレスや株式マーケットを驚かせた。

今回の衝撃的な発表で、Netflixなどの動画配信に関連する銘柄は打撃を受けている。これらサブスクリプションビジネスの成長は、より多くの会員を集めることと、集めた会員1人当たりの月額料金を徐々に上げていくことで、売り上げを成長させていくことになる。

しかしより安い価格設定のサービスを出されてしまうと、既存サービスには値下げ圧力がかかる。無闇に値上げすると、ユーザーに乗り換えられてしまう可能性が高まるからだ。

そのため、ユーザーに価格維持もしくは値上げに納得してもらえるだけの新しい付加価値を用意しなければならなくなり、そのアイデアや投資、そしてビジネスプランが必要になってしまう。

映像コンテンツ最大のプレイヤーであるディズニーは、アメリカではApple TV+と同様に11月にサービスがスタートする「Disney+」が月額6.99ドルという意欲的な価格を設定した。

ディズニーはマーベルや20世紀FOXなどを傘下に収めており、『スター・ウォーズ』から『アベンジャーズ』までを手中に置くサービスを提供する。しかもやはり傘下であるスポーツチャンネルESPNや、動画配信サービスのHuluまでバンドルするオプションを用意し、勝負に挑む。前述の付加価値の中で最大のものとなるコンテンツの充実度からすれば、ほかのサービスが対抗するのは難しい。

ディズニーが6.99ドルに設定した経緯からすると、アップルとしても、それを超える価格設定を行うことは難しい状況だった。すべてオリジナルでコンテンツ数が当初は少ないアップルが、5ドル以下の水準に価格設定を行うことは、想像にかたくないことだったのだ。

実質「無料」で見られる

しかし、さらに驚くべき発表をした。アップルはApple TV+について、Appleデバイスを購入すれば、1年間無料で視聴できることを明らかにしたのだ。

iPhone、iPad、Mac、iPod touch、Apple TVといった対応製品の購入で無料になることを考えると、家族のメンバーが2人以上いれば、ずっと無料で視聴し続けられる可能性すらあるのだ。


Appleデバイスを購入すれば、1年間無料で視聴できる(筆者撮影)

例えば、2019年は長男がiPhoneを買い替えて、1年間無料になる。2020年はお母さんがiPadを手に入れて1年間無料になる……といったぐあいで、家族のメンバーの誰かが、なにかを買えば1年間の視聴がバンドルされてくることになる。

こうして、Appleプラットフォームに囲い込まれている家族は、実質的には無料で、サービスを利用し続けられる仕組みとなった。

筆者は3月のイベントの際にも感じ、また指摘してきたが、アップルはApple TV+が動画配信サービスのトップを取る必要がない、と初めから考えているはずだ。

前述のように、動画配信サービスの最大の競争差別化要因はコンテンツで、Apple TV+はすべてオリジナルでスタートすることから、そもそも当初から対抗できるわけがない。しかもAppleデバイス購入にバンドルすることから、月額料金をあらゆるユーザーから徴収するというビジネスに持ち込もうとするわけでもない。

そのため、ほかの意味合いを持たせている可能性を探るべきだ。

そのカギとなるのは、Apple TVアプリの存在だ。名前がややこしいのだが、動画配信サービス「Apple TV+」は、「Apple TV」アプリ(以下、TVアプリ)内で視聴できる。

TVアプリはMac、iPhone、iPad、iPod touch、Apple TVといったデバイスのほかに、ソニーやサムスンなどの主要スマートテレビメーカーにも内蔵され、AmazonやRokuといったセットトップボックスでも利用できる。Apple製品を持っていない人も、TVアプリが利用できればストリーミングサービスのターゲットになっているのだ。

このTVアプリはApple TV+視聴のほかに、iTunes Storeを通じたコンテンツの購入・レンタル視聴、Apple TV channelsというケーブルチャンネルをストリーミングの購読管理と視聴、さらにストリーミングアプリを横断したコンテンツ検索が利用できる。

TVアプリは、いわば、多チャンネル、多ストリーミングアプリ時代に対応する「デジタル・ストリーミング時代のテレビ番組表」として、唯一の存在といえるのだ。

アップルが描く「未来のテレビ」

アップルの狙いは、あらゆる人々がTVアプリを通じて映像を発見して楽しむ未来であり、アプリの購読課金の手数料収入をビジネスモデルとして設定している。

そもそもアップルはTVアプリの思想から、1つのストリーミングサービスだけしか購読しない未来を描いておらず、複数のサービスを組み合わせながら楽しむためのインターフェースを、TVアプリで用意したのだ。

そこから考えれば、アップルが月額10ドルのサービスを提供するのは高すぎるし、実質的に無料で提供しても、TVアプリに人が集まってくればいい、と考える戦略が浮かんでくる。

アップルはテレビ放送からストリーミングへ、人々の映像体験を転換させようとしている。これには時間がかかるし、国ごとに異なる事情を吸収しながら進めなけばならない。しかし得られる果実は実に大きく、じっくり取り組める体力(=手元資金)があるアップルだからこそ、描ける未来といえる。