バルサのカンテラ時代は超逸材と持て囃されたV・バスケス。トップチームではわずか3試合の出場に終わった。(C) Getty Images

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 かつてバルセロナのカンテラ史上「最強」と呼ばれたチームがあった。2002−2003シーズンのカデーテA(U−16)だ。

 最終ラインにジェラール・ピケとマルク・バリエンテのCBコンビが君臨し、中盤ではセスク・ファブレガスがゲームメイク。そして、トップ下のリオネル・メッシとともにゴールを量産していたのが、ビクトル・バスケスだ(攻撃的MFが主戦場ながら、当時はセカンドトップとして起用されていた)。

 もちろん、メッシは当時から極上の輝きを放っていたが、V・バスケスも決して引けを取らなかった。実際、メッシも「ナンバー1はビクトル」と認めていたほどだ。セスクも後にこう振り返っている。

「あのふたりは別格だった。よくゴールを競い合っていたよ。ひとりが4点を決めれば、次の試合でもうひとりが5点を奪うといった具合にね」

 ふたりはお互いの存在を高め合う、良き好敵手だったのだ。
 
 しかし、その後のキャリアは残酷なほどに明暗が分かれた。メッシがスーパースターへの階段を駆け上がっていった一方、V・バスケスはトップチームでわずか3試合しかピッチに立てなかった。Bチーム時代に指導を受けたジョゼップ・グアルディオラ監督にも、「特別な才能を持っている」と言わしめた逸材は、なぜ大成できなかったのか――。その最大の要因となったのは、故障だった。

 2008年4月に21歳でトップデビューを飾り、まさにこれからという時だった。2009年の2月、Bチームの試合で右膝を負傷する。関節がずれ、選手生命が危ぶまれるほどの大怪我で、14か月のリハビリを余儀なくされた。当時のバルサは、グアルディオラ監督の下、ピケ、セルヒオ・ブスケッツ、ペドロ・ロドリゲスといった同世代のカンテラーノが次々にブレイクしていた。それなのに、カンテラ時代はトップランナーのひとりだった自分は、過酷なリハビリの日々。その心中は察するに余りある。

 周囲のサポートもあり、何とか戦線に復帰したV・バスケスは、2010年12月のチャンピオンズ・リーグ(ルビン・カザン戦)で復活のゴールを挙げる。だが、これがトップチームでの最初で最後の得点となった。
 
 当時のバルサは、クラブ史上最高とも言える黄金期。膝に爆弾を抱えた若手が居場所を見出すのは、あまりに困難だった。トップチームではまったく出番が与えられず、24歳の時にやむなく退団を決意。新天地として選んだのはクラブ・ブルージュだった。

 都落ちである。しかし、このベルギーの名門でついに輝きを放つ。4シーズン半、主力として活躍し、2014−2015シーズンにはリーグのMVPに選ばれてもいる。その後、「まったく環境に馴染めなかった」というメキシコのクルス・アスルでの1年を経て、トロントFCへ。これが大正解で、攻撃の中心としてクラブを初のMLS制覇に導くのだ。
 
 今年1月にカタールのアル・アラビに籍を移したV・バスケスは、入団会見で次のように語っている(シーズン終了後に同じカタールのウム・サラルへ移籍)。

「これまでプレーしてきたどのクラブでも、自分のスタイルを貫くことで存在価値を示してきた。ここでもやることに変わりはない」

 もちろん、当初の期待値を考えれば、辿ってきたキャリアは随分と物足りないものになってしまった。かつてのライバル、メッシはもはや雲の上の存在だ。ただ、大怪我を経験しながらも、腐ることなく真摯にサッカー人生を歩んでいるその姿は、華やかな舞台でプレーすることだけが成功ではないと語っているようだ。

文●下村正幸

※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年3月7日号より転載