"元号廃止、西暦のみ"に反対する人の理屈

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日本独自の元号は廃止して、西暦に一本化すべきだろうか。警察庁が免許証の有効期限を「西暦」に統一しようとパブリックコメントを実施したところ、寄せられた意見2万件のうち8割が反対だった。大東文化大学の宮瀧交二氏は「元号廃止も西暦廃止もあってはならない。無理に一元化する必要はないのではないか」と指摘する――。

※本稿は、プレジデント書籍編集部著、宮瀧交二監修『元号と日本人』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■免許証は「西暦のみ」への否定的な意見

近年、「日本でしか通じない『元号』は廃止し、グローバルに使える『西暦』に一本化すべきではないか」という意見が出ているのを耳にする。実際、キリスト教系の私立大学では、願書や授業で使う書類などに記載する日付は、西暦で統一しているところもあるようである。あなたはどう思うだろうか。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/taa22)

元号にまつわるさまざまな議論が活発になっている最中、「運転免許証の期限、西暦・元号併記に」という記事が目にとまった(2018年12月22日付朝日新聞)。

警察庁は、日本で運転免許証を保有する外国人が増えていることを受け、免許証の有効期限をこれまでの「元号」から、外国人にもわかりやすい「西暦」に表記を一本化する方向で検討を重ねていた。

しかし、パブリックコメントを実施したところ、2万件の意見が寄せられ、その8割が西暦だけの表記に否定的だった。この結果を踏まえて、警察庁は西暦に括弧付きで元号を併記することを決めたという。

■「平成生まれです」の方がピンとくる

このニュースは非常に興味深いものだろう。ある意味、最も元号一本化を主張しそうな警察庁のようなところが、西暦一本化で進める判断をしていたというから驚きだ。

だが、市民の間には西暦だけではなく、元号も記してほしいという声も多かったということである。それだけ元号が市民生活に馴染んでいるということであろう。たとえば、「1991年生まれです」と言われるより、「平成生まれです」と言われたほうがわかりやすく、ピンと来る人が多いということだ。元号と西暦が入り交って使われている、現在の日本の状況を象徴している出来事である。

では、西暦ではなく元号に一本化すればいいのだろうか。「歴史的な伝統に基づき、日本古来の元号を大切にするべき」といった意見も聞こえてくる。

■現在の「一世一元の制」は伝統的とは言い切れない

ただ、ここまで説明してきたように、現在の元号制度が日本古来の歴史的な伝統に則したものかどうかと問われれば、明治より前と明治以降で大きく違うものと言わざるを得ない。最大の違いが「一世一元の制」である。

これは近代天皇制の成立とともに定められたものである。事実、明治天皇の父である孝明天皇の在位中には、「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と6つの元号が使用されており、元号の“本家”である中国と比べても、日本のほうが頻繁に元号を変えていたくらいだ。

それらを踏まえると、「一世一元の制」による「明治」「大正」「昭和」「平成」という元号は、日本初の元号「大化」から「明治」までの1000年以上の歴史と比べたときに、古来の伝統に基づいているとも言いきれないであろう。

元号に対する国民の考え方が変わってきている

現在、元号一本化には根強い反対意見もある。明治期以降、「一世一元の制」になってからは、「国民の時間を天皇の生涯で区切るのはいかがなものか」といった論調で反対している人も少なくない。天皇崩御とともに改元することを思えば、そう言えなくもないだろう。

だが、今日、国民の大半は、自分たちの日常生活が天皇の生涯によって切り取られているとは思っていないのではないか。今回、天皇が皇太子に譲位する判断をされたことにともなって新元号に改められることに、あまり違和感を持たずにいる人がほとんどだろう。

だいぶ前のことになるが昭和43年(1968年)に、明治の改元から100年を記念して、政府主催の「明治百年祭」が企画され、さまざまな式典やイベントが行われた。これに当時の文化人、知識人、あるいは民主的な立場の人は反対していた。

ところが、平成30年(2018年)には、明治の改元から150年を記念して同じようなイベントも僅かに行われたが、前回のような反対意見はあまり聞かれなかった。元号に対する国民の考え方も、時代とともに変わってきていると私は感じている。

■「東日本大震災を機に改元したほうがよかったか」

このような現状を踏まえると、「元号廃止!」と切り捨てることも、「西暦禁止! 元号のみを使用!」とすることも、まずありえないし、また、あってはならないと思われる。

元号と日本人』プレジデント書籍編集部(著)、 宮瀧交二(監修)

無理にどちらかに一元化する必要はないであろう。便利な形で双方が使われていけば問題ない。「どちらも使いたい、場合によって使い分けて、好きなほうを使えばいい」というのが多くの国民の心情であり、何か強制されるべきものではないはずである。

それに、元号法が存在するものの、元号はもっと自由でいいと私は思っている。古代の元号のように、2文字にこだわらなくても、また、読みやすさを優先しなくても、そして、頻繁に改元してもいいかもしれない。

たとえば、「東日本大震災が発生しましたが、時機を見て改元したほうがよかったと思いますか」とアンケートを取ったとしたら、未曽有の災害からの復興を願って、あるいは心機一転の出直しという意味で、「改元したほうがよかった」と答える人たちは決して少なくないと思われる。その意味で、現在のような制限のある元号法は、今後の時代の流れと国民意識の変化にともなって見直されていく可能性もあると思っている。

時代によって、人々の元号に対する捉え方はどんどん変わっている。白か黒かの議論ではなく、その時代にふさわしい元号のあり方を考え続けていくことが、重要ではないだろうか。

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宮瀧 交二(みやたき・こうじ)
大東文化大学文学部歴史文化学科 教授
1961年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程から埼玉県立博物館主任学芸員を経て、現職。専門は、日本史・博物館学。博士(学術)。NHK「ブラタモリ(大宮編)」に出演。元号についての講演に多数登壇。

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(大東文化大学文学部歴史文化学科 教授 宮瀧 交二 写真=iStock.com)