猪口 真 / 株式会社パトス

写真拡大

案は出るのだが決まらない

ある大手企業の戦略策定の会議に参加させていただいたときのことだ。会議では次年度に事業部としてどのような戦略を行っていくのかをテーマとし、ディスカッションが行われたのだが、さすがに頭脳明晰な高学歴な方々がそろっているだけのことがあって、皆さん非常に積極的に参加されており、非常にいい雰囲気の会議だった。

「○○」というスキルを持ったセールスを育成すべきだ、○○の分野で○○の商品をトータル展開すべきだ、重点顧客の絞り込みとターゲティングがまずやるべきことだ、など、様々な案が提案され、日本の企業にしては珍しいほど意見の飛び交うミーティングであった。

ところが、最終的にどの案を採択するかという段階になったとたん、ミーティングの場が怪しくなってきた。なかなか決まらないのだ。悲しいかなそういうときに発言できるのは、ポジション上位の人(もしくは面倒な人)だ。ミーティングは徐々に声の大きい人、発言権のある人(ひと癖ある人)の意見に流れが傾いていき、結局、その人たちの押す案に決定した。

確かに、どの案も悪くなく、成果を出しそうな案であったのは間違いないが、ずっと持っていた違和感は「案」自体のことではなかった。

その違和感の答えは、ミーティングの終わるころに私の中でようやく判明した。それは、「その戦略によって解決できる問題や課題が何か」がまったく分からなかったのだ。

現在、どの企業においても、戦略的な情報には事欠かないし、そうした情報はいとも簡単に手に入る。大手ならばなおさらだろう。様々なパートナー企業(と称する?)が黙っていても持ってきてくれる。

戦略行動を急ぎすぎる管理職

ハーバードビジネスレビューに掲載されたトーマス・ウェデルの論文によれば、「管理職たちは「行動を重視するあまり、問題を本当に理解しているか確かめることなく、解決策を即座に探そうとしがち」であるという。まさにもっともな指摘だ。管理職であっても上司がいて、常に「お前は何をやるんだ?」と行動を求められる。「お前のチームの本当の問題点は何なんだ?」と問う上司はめったにいない。どんな上司も「すぐやる」部下がかわいいのだ。

もちろん何らかの解決策を出すことができるということは、なんとなくの課題感は持っている。先の例でいけば、「セールス活動でつまずくことが多い、スキル不足が顕著だ」「他社が○○の分野に攻勢をかけている、状況を打破しないとまずい」「顧客の規模がバラバラで、効果的なサービスのバリエーションが多すぎる」などといった漠然とした課題を持っているのかもしれない。

しかし、このような課題が遡上に乗ってこないため、それぞれが共有できないし、何を解決するためなのかがあいまいなままだ。とるべきソリューションは明確で、大半の人が賛成しているにしても、その背景にある問題は人によって別のことだったりする。だから全員にそれぞれの優先順位があったりする。

問題はこれかもしれない、という仮説を持つ

問題を定義することは簡単ではない。それは、問題に見えてしまうことが多すぎるからだ。

自分の営業成績が悪いのは、クライアントに恵まれていないことだと決めつけるのは簡単だろう。しかし本当にそうか、どんなクライアントなら問題ないのか、現在の仕事がうまくいかないのはすべてクライアントの問題か、まず、様々な仮説を出すべきだ。

ただし、問題が定義は難しいからといって、むしろ問題はこれひとつだと正解を導き出せることはほとんどない。問題とは相対的だし、ほとんどの場合複雑に絡み合っているものだ。むしろ、真の問題などということ自体、幻想であることのほうが多い。

だからこそ、問題を洗いざらい出すことから始めるべきであって、自分の定義する問題はこれだと、メンバーと共有することが重要なのだ(第三者もいればなお良い)。そうすると、その問題への見方が違うことに気づく。

そこに気がつけば、自分たちが解決すべき問題が見えてくる可能性が高まる。見えてくれば、重要度と緊急度を合わせて考えることができる。つまり、優先順位が明確になるのだ。

やるべき戦略が決まらないのは、問題の定義が共有できておらずあいまいなため、優先順位をつけることができないからなのだ。すべてが大事に見えるし、ある観点から見ればA案だし、ある観点から見ればC案が正解なのだ。

戦略の採択のポイントは問題の見方にある。