野町 直弘 / 株式会社クニエ

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11/19日の夜のことでした。
会社帰りに皇居でも走ろうかと早めにオフィスを出ましたが夕方から雨が降り出したので諦めて帰宅した時のこと。テレビを見ていた際にニュース速報が流れました。
「カルロス・ゴーン氏逮捕」
第一印象は「驚き」。その後「残念」な気持ちになったことを覚えています。「残念」というのは、もし罪を犯しているとすれば、その事実に対して。また尊敬すべき経営者が逮捕ということで経営から退かざるを得なくなったという点に対しても残念な思いを感じたのです。

どのような罪を犯したのか、またそれが事実かどうか、と言う点については私に論じることはできません。しかし平成最後の年に平成時代の象徴とも言える日産自動車の復活に寄与した経営者を逮捕せざるを得なかったということが平成史として語り継がれるものだということ。また、逮捕されたからと言っても忘れられてはならないゴーン氏の経営について触れておきたいと思います。

以前日産自動車の購買の方と交流をする機会がありました。その機会にある方がおっしゃった言葉は非常に印象に残っています。
「日産は1999年、当時金庫のお金がなくなりそうになった。しかし日本では政府、金融機関、企業含め誰も助けてくれなかった。それを助けてくれたのがルノー。」


そう、当時メインバンクであった日本興業銀行も日本の自動車メーカーも経営危機に陥っていた日産自動車を救済しようとしませんでした。一部マスコミで今回の逮捕劇がクーデターであるとか、日本政府が裏で動いている、とかの報道がありますが、私はそれは違うのではないかと考えます。何故なら日産の社員はそれだけルノーや再建を主導したゴーン氏に恩を感じているのですから。

ゴーン氏の経営手法はとてもシンプルなものです。特に購買改革については
1.しがらみを取り払う
2.CFT活動などで優秀な社員の力を引き出す
3.成果を約束させる(コミットメント)
の3点に集約されます。

実際に購買部門に対しては「購買は社内が取引先と癒着することを防ぐこと」「全ての支出は購買を通すこと」「(その代わりに)購買は原価低減を約束すること」という役割を担わせています。

ゴーンショックとか系列排除については負の側面についてマスコミなどが取り上げますが、従来は「なぜか知らないが聖域がある」的なしがらみで「優秀な社員がやりたいようにできていなかったことを、できるようにした」と考えればごく当たり前なことでしょう。それによって優秀な社員の力を引き出すことが可能となったのです。またゴーン経営でよく上げられるコミットメントですが、これもグローバル企業では当たり前(グローバルスタンダード)です。日本企業では、部門には約束成果があるがそれが個人におちていない、とか、成果を達成しても評価や報酬につながらないということも多いものの、当たり前のやり方を徹底させているだけとも言えます。

またゴーン氏のやり方でもう一つ特筆すべきなのは、会社経営にインパクトを持つ機能を改めて重視した、ということが上げられます。ゴーン氏の著書「ルネサンス」の中で「日産は購買部門の地位が低く、成果を上げても偉くなれなかった、それを引き上げることが重要な経営課題であることが分かった」という記述があります。自動車は外部支出の比率が高い産業です。サプライヤのコスト競争力がなければ製品の競争力もなくなります。ですからゴーン氏がやったことは極めて真っ当なことです。

日本の自動車業界の通説(伝説)として、重要であるにも関わらず購買部門と同じように社内での地位が低い機能があります。それはデザイン部門です。車が売れるかどうかは、デザインがいいかどうかなので何故と思われる方もいらっしゃるでしょうが、自動車メーカーのエンジニアには一種のヒエラルヒーがあり、優秀なエンジニアはエンジン部門に行きたがります。ので多くの場合偉くなるエンジニアはエンジン開発出身者です。しかしゴーン氏はいすゞ自動車からチーフデザイナーであったNさんを日産自動車にひっぱり、彼を常務執行役員CCO(チーフクリエイティブオフィサー)として厚遇しました。

多くの企業の調達購買部門の社内的な地位が低いと言われ続けている状況を見ていると、ゴーン氏と日産自動車は日本企業の購買部門改革の象徴としてとらえられます。
ゴーン氏は購買部門の社内での地位向上をうたいましたが、実際に日産自動車の元共同会長の小枝さんや現社長の西川さんも購買部門出身です。ゴーン氏がおっしゃっていることを実現させていることがわかりますね。一方で、今回の逮捕劇で西川社長が注目されていることがとても皮肉に感じられます。これから功罪の罪が暴かれるでしょうが何と言っても希代稀な経営者であり、日産を経営危機から救ったことは間違いありません。