日銀政策への疑問(4)ゼロ金利政策を続けていて本当にいいのか/日沖 博道
ここまでの記事では「(1)消費者物価指数2%アップ目標は適切なのか」「(2)消費者物価指数の測定方法は正確なのか」「(3)ゼロ金利政策は何のためか、誰のためか」という疑問を指摘してきた。ここまでで分かるように、日銀の掲げる『ゼロ金利政策』(*)の判断基準と意義はかなり怪しくなってきている。
* 最近はマイナス金利と呼ばれることも多いが、本稿ではあえて「ゼロ金利」という呼称を使うこととする。
では『ゼロ金利政策』を続けることのメリットとデメリットを整理してみよう(若干、前回の記事とカブる部分が出ることはご容赦願いたい)。こうした際には「誰にとって」という視点を定めることが重要だ。ここでは国民生活にとってという視点に定めたい(国内の政府や企業、外国のそれらの利害は間接的に関係してくる)。
まずは国民生活にとってのメリットだが、実はあまり直接的にはない。唯一の例外が住宅ローンなどの借金をしている人たちだ。
とはいえ、『ゼロ金利政策』がもたらす円安と、(アベノミクスのもう一つの矢である大規模公共投資と併せての)景気刺激効果が企業業績期待を高め、株高をもたらしたことは記憶に新しい。その結果、それらの株式を保有する人たち(日本国民とは限らない)や企業には確かに資産効果をもたらした。これがアベノミクスの一番の成果である。
しかし現時点では今の為替水準やゼロ金利がもたらす景気刺激効果は既に株価に織り込み済なので、この先も『ゼロ金利政策』を続けることのメリットとしては特にないと言わざるを得ない。
次に、円安は輸出企業にとって交易条件が有利になって(例えば同じ1ドルの売値から得られる利潤が何円か増え)円換算の利益をかさ上げするので、彼らの業績を上げることにつながることは間違いない(実際、アベノミクスのもう一つの初期成果は、超円高で窮地にあった輸出企業の大型倒産を防いだことだった)。
この輸出企業の利益増分がきちんと従業員の給与増と国内取引先の利潤増に反映されていれば、それは幾ばくかの乗数効果を生むはずだ。だが最近の実態調査によると、大半の輸出企業の従業員の給与増は微々たるもので、物価増をカバーするには足らないようだ。国内取引先との間での取引条件が改善されたという話も聞かない。
実は自動車など代表的な輸出企業の場合、円安に応じて現地価格を下げて台数を増やすのではなく、むしろ円換算の価格を上げて(現地価格は据え置いて)利益を増やす戦略を執るのが今の日本企業のやり方だ。したがって国内の取引先にとっての利潤増にはあまりつながっていないという。
つまりゼロ金利の恩恵を大きく受ける輸出企業たちを潤しても、国民生活には特段のメリットはないというのが最近の経済ウォッチャーたちの結論である。
その次に、(輸出企業に限らず)借入金のある企業の金利負担を減らし、資金活動を有利にすることで企業活動が活発化し、ひいては景気にとって好ましい循環になるという、本来の低金利政策による企業業績下支え効果はなくなる訳ではないはずだ。しかし『ゼロ金利』である必要はない。
大半の企業にとってゼロ金利がもたらす若干の金利低下分は企業業績にとってそれほど大きなものではないし、ましてやそれが従業員の給与や取引先の利潤に影響をもたらしている訳でもない。
『ゼロ金利』を最も有難いと感じているのは、前回の記事で伝えた通り、借金で首が回らなくなっている倒産間際のゾンビ企業である。彼らを無理矢理にでも倒産させないことが国民生活全般にとってよいことかというと、むしろそうではない。経済学的に言えば、資源配分をゆがめてしまうからだ(もちろん、ゾンビ企業の従業員や役員も転職するのに短期的には苦労するのだが、やり直せるうちに早く移ってしまったほうがよいということだ)。
つまり低金利は企業業績の下支え要素の一部にはなっているが、国民生活にとってゼロ金利であるメリットは、住宅ローンなどを抱えている人以外にはほとんどないといえる。
一方、『ゼロ金利』がもたらす国民生活上の最大のデメリットは何か。前回の記事でも指摘したが、預金者が金利収入を大きく失ってしまうことが一番大きい。預金者は一般消費者でもあり、しかも日本の家計部門は高齢化が進んでいるために、この収入減がもたらす消費減退もまたインパクト大である。
ゼロ金利が輸出企業を中心に業績向上を通じて企業投資を促す効果が小さいことを先に示したが、消費者の支出性向は企業よりずっと大きく、ゼロ金利の消費減退効果は今やメリットよりも各段に大きいと言わざるを得ない。
つまり日銀のゼロ金利政策は端的に言って、家計部門から実質所得を奪い、輸出企業(およびゾンビ企業)に渡していることになるのだが、両社の支出性向の差から経済政策としては景気を冷やし、日本経済の潜在成長力を落とす方向に作用しているのだ。
実はゼロ金利政策がもたらすデメリットは他にも大きいものがある。それは政府を通じて国民生活にもいずれ跳ね返るものだ。
その第一は、財政規律の弛みだ。通常、日本のような議会制民主主義で資本主義の国では、政権が野放図な追加財政支出をしようとすると市中金利が上がってしまい、自然と歯止めが掛かるという構造になっている。
しかし現在のニッポンでは、異次元緩和により無理矢理に金利上昇を抑制しているため、自・公のバラマキ政策に官庁が乗っかり財政の膨張にブレーキが掛からない状態になっている。
しかし我がニッポンの国家財政は世界有数の債務超過状態にあり、それらの借金は全て将来の世代に付け回しされるのだ。プライマリーバランスの達成すらどんどん先送りする、今の我が政府・与党のこうした無軌道な財政規律の無視というのを可能にしている元凶が実はゼロ金利なのである。
政府絡みのデメリットの第二は、このままでは次の経済ショック時に本来なら取り得る「金利低下」という政策カードが使えないということだ。既にゼロ金利(いや今はマイナス金利ですらある)状態なので、ドラスチックな市中金利低下を促すことは無理なのだ。
米国のFRB(連邦準備銀行)がトランプ大統領の反対表明を無視して(つまり政治的リスクを取りながらも)懸命に金利を上げている理由がここにある。
次にリーマンショックのような大きな経済ショックがいつ生じるのか、本当に発生するのか、それは誰にも分からない。しかし国民経済に責任ある立場として、景気の良い今のうちにある程度まで上げておかないといけないと判断しているのだ。これこそが良識ある国家の危機管理である。
しかし近い将来にそうした大きな経済ショックが発生した場合、日本が取り得る策はヘリコプターマネー(**)と一段の公共投資ぐらいしかなく、その意味するところは財政再建を諦めることであり、その後は反動としての制御不能なほど急激なインフレが日本経済を襲うことはほぼ確実である。
** 空から現金をばらまくように、中央銀行または政府が対価を取らずに大量の貨幣を市中に供給する政策のこと。
ここまで『ゼロ金利政策』が国民生活にもたらすメリット・デメリットを見てきて総合的に考えれば、さすがに「もう『ゼロ金利政策』は止めたほうがいいな」と判断する日銀の政策委員会メンバーが増えてくるのは自然のなりゆきだろう。日銀の政策転換は近いのではないか。