休みは週1日、帰宅はいつも深夜0時すぎ。マサキさんの体に異変が表れたのは、勤め始めてから2年ほど経った頃だった(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回取り上げるのは、「働いているけれど、生活保護から抜け出せない」と編集部にメールをくれた、32歳の男性だ。

気がついたときには、幼い息子の首を絞めていた。深夜、布団で眠るわが子にのしかかっているのは本当に俺なのか。自分がしでかしたことが、ただ恐ろしかったという。自ら110番に通報し、こう告げた。「子どもを殺そうとしました」――。


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この日、マサキさん(32歳、仮名)は会社を解雇された。正社員の機械工。月収は30万円ほどだったが、毎日13〜14時間働かされ、休みは週1日あればよいほうだった。帰宅はいつも深夜0時すぎ。異変が表れたのは、勤め始めてから2年ほど経った頃だったという。

胸がざわつく、体に力が入らない、疲れているのに眠れない――。おかしい、おかしいと思いながらも、毎晩500ミリリットルの缶ビールを4〜5本空けては、無理やり眠りについていた。

ついに体が会社に行くことを拒絶した

そんな生活が1カ月ほど続いたある日、ついに体が会社に行くことを拒絶した。初めての無断欠勤。自宅を出た後、公園のベンチで丸1日過ごした。

次の日に出勤すると、役員から「もう来なくていいから」と言われ、工場から締め出された。その後、どこに立ち寄り、どうやって帰宅したのか、あまり記憶がないのだという。われに返ったとき、子どもの首に手をかけていた。もう1人、生まれたばかりの子どもがおり、貯金はほとんどない状態での解雇。マサキさんは「とにかく心中するしかないと思ってしまったみたいです」と、当時の異常な精神状態を振り返る。

結局、この晩の出来事が事件として立件されることはなく、マサキさんは病院で重いうつ病と診断された。妻がすぐに仕事を見つけることは難しく、一家は生活保護を受けることに。しかし、病状が改善することはなく、1年後に処方薬を過剰摂取して自殺を図った。妻から「もうついていけない」と言われて離婚、求められるまま親権は手放したという。

生まれも育ちも名古屋。地元の専門学校を卒業後、外壁塗装を手掛ける会社に入った。仕事は飛び込み営業で、月収は約18万円。上司からノルマについて小言を言われることはあったが、暴言や暴力があったわけではなかった。しかし、契約が取れない期間が続けば、会社には居づらくなる。マサキさんは入社1年で退職。約20人いた同期は半年後には数人になっていたというから、自分はまだもったほうなのではないかと思っている。

この頃、付き合っていた女性といわゆる“できちゃった婚”をした。その後、旋盤加工の技術を身に付け、派遣社員として働いたが、リーマンショックによる派遣切りに遭遇。不況下での就職活動は難航したうえ、家族を養うためには仕事を選んでいる余裕もなく、正社員という条件にひかれ、うつ病を発症するきっかけとなる会社に就職した。

過労死ライン」を大幅に上回る残業

マサキさんの話を基に、この会社の1カ月の残業時間を算出すると170時間近くに上り、厚生労働省が定める月80時間の「過労死ライン」を大幅に上回る。月収を時給換算すると、愛知県の最低賃金を下回る水準。とんでもない「ブラック企業」だが、一方で職場にはタイムカードがあり、実際の出退勤時刻を打刻していた。今思えば、労働基準監督署や、個人加入できるユニオンに相談することもできたが、日々の暮らしに忙殺され、そんなことは思いつきもしなかったという。

うつ病を発症し、仕事も家族も失ってから7年。マサキさんは今も、この病気とうまく付き合うことは難しいという。

「症状も周期もばらばら。脱力感や不眠以外にも、過呼吸になったり、わずかな物音にイラついたり。1日で回復することもあれば、半年ほど無気力な状態が続くこともあります。徐々に落ちていくこともあれば、突然ガクッといくこともある。少しでも兆しがあれば、すぐに頓服するのですが、それでよくなることもあれば、効かないこともある」

両親は息子のうつ病を受け入れかねているようだという。

あるとき、母親は有名芸能人の体験談を持ち出し、「〇〇は『睡眠導入剤をやめようと思ったら、4日間眠れなかったけど、結局それでやめることができた』ってテレビで話してたよ」と言ってきた。また、マサキさんが病状や処方薬について説明しようとすると、不自然に聞き流されることがあるという。面と向かって「頑張れ」とは言われないが、うつ病は服薬ではなく努力で治るはずという偏見や、息子の病気を認めなくないという葛藤が伝わってくるという。

彼自身、かつてはうつ病や適応障害、パニック障害などメンタルの不調に対する理解があったとは言えなかった。「友達と話していて『最近、何にでも病名を付けたがるけど、気持ちが弱いんじゃないの』と言ったことがあります。そのときはまさか自分がうつになるとは思っていなくて……。このつらさは経験してみるまでわかりませんでした」。

現在は独り暮らし。働きながら、基準に足りない分を生活保護費で補っている。マサキさんは生活保護を利用することにも複雑な思いがあるという。「だって(世間からは)税金泥棒、働かずに楽してると思われてますよね」。

マサキさんには不満がある。体調がよく、勤務時間を増やして収入がアップした月や、ボーナスをもらった月に、連動して生活保護費が減額される点だ。「頑張って働けば働くほど保護費が減らされる。これでは貯金もできず、いつまでも生活保護から抜け出せない」と訴える。私が、生活保護制度の目的は「最低限度の生活」の維持だから、利用者の貯金まで賄うのは難しいと説明しても、いま一つ納得できない様子である。

これまでの取材で出会った人たちの中にも、同様の不満を口にする人はいた。生活保護の利用は恥だという「スティグマ」に苦しみ、自活を望む人ほどその傾向が強いように思う。それは、自活に向けた「助走期間」へのフォローがほとんどなされない現行制度の課題でもあるのではないか。

いま、小学生になる子どもたちはどうしているのか。

子どもたちとは離婚した直後に数回、会ったきりだという。そして数年前、人づてに彼らが児童養護施設にいると聞いた。マサキさんは言葉少なに、元妻が自分に黙って預けたようだと話す。彼女に対しては罪悪感もあるが、釈然としない思いもあるという。

「私がうつ病になったとき、彼女がもう少し頑張って仕事を探して家計を支えてくれたってよかったんじゃないか。離婚はショックだったけど、やむをえないと思って応じました。子どもは育てると言うから親権も渡したのに……」

「私には“前科”がある」

私が子どもたちと一緒に暮らしたいですかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「自信がありません。私には“前科”がありますから。子どもはあの夜のことを忘れていないかもしれない。恨まれているかもしれない。そう思うと、どんな顔をして会えばいいのかわからないんです」

私は何度か児童養護施設を取材したことがある。その経験から、施設は必要な社会資源だが、親戚や里親など受け入れてくれる「家族」がいるなら、それに越したことはないと思っている。とはいえ、わが子を殺しかけた記憶がぬぐえない父親の痛みを、容易に理解することは私にはできない。

元妻からマサキさんに直接の連絡はない。彼は今も月2万円の養育費を払い続けている。

現在の勤め先には恵まれているという。障害者福祉に理解のある企業で、うつを抱えながら働いている先輩もいる。現在は週3回、1日数時間の勤務で、月収は約4万円。

マサキさんは昨年から今年にかけてひどいうつ状態となり、半年ほど休職したという。迷惑をかけたに違いないと思うと、復職の際、1人で出社する決心がつかず、この勤め先を紹介してくれた作業所の職員に付き添ってもらった。すると、社長が「そんなこと、気にしなくてもいいのに」と笑って出迎えてくれたという。「どんなことがあっても受け入れてもらえる。この会社と社長に出会えてありがたい」。

昨年に休職する原因となったうつの症状は「発症したときと同じくらいのひどさ」だった。一方でこのときの回復には、はっきりとしたきっかけがあったという。

昨年末、何となくつけていたテレビから一編の詩を朗読する声が聞こえてきた。産婦人科を舞台とした医療ドラマ「コウノドリ2」の最終回。ダウン症の子どもを育てる母親で、米国の作家エミリー・パール・キングスレイさんが書いた「オランダへようこそ」という詩だった。

ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ

詩の中では、障害のある子どもを授かることを、華やかなイタリアへの旅行を夢見ていたのに、いざ飛行機に乗って到着してみると、そこはオランダだった、という話にたとえる。「あなた」は最初、戸惑うでしょう。でも、オランダは、イタリアとは違うけど、「飢えや病気だらけの、恐ろしく、ぞっとするような場所」ではない。自分がたどり着いたのは「ただ、ちょっと『違う場所』だっただけ」。そんなフレーズが2回繰り返される。

「あっ、そうなのか。自分も人よりちょっと違う人生を歩んでいるだけなんだ」

何日も自宅に引きこもっていたマサキさんの心にこのフレーズが染み入ったという。

彼は、うつは生涯治らないと思うという。子どもにも一生会うことはできないかもしれない。それでも、週2からスタートした仕事は、今は週3になった。将来はフルタイムで働いて自活することが夢だ。いつか、自分の運命や、うつ病になったから得ることができた出会いや縁を慈しむことができる日がくるのだろうか。

詩はこんなふうに結ばれる。

「あなたの周りの人たちは、イタリアに行ったり来たりと忙しくしていて、とてもすばらしい時間を過ごしたと自慢するかもしれません。そして、あなたはこの先もずっとこう言い続けるでしょう。『そう、私もイタリアに行くはずだった。そのつもりだったのに……』。

イタリアに行けなかった心の痛みは決して、決して消えることはないでしょう。だって失った夢はあまりに大きすぎるから。でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダのすばらしさや美しさを心から楽しむことはできないでしょう」

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