世界がバッジョの存在を認識したのは、グループステージのチェコスロバキア戦。ハーフウェーライン付近からの滑らかで軽快なドリブルと鋭いフェイント、そして素早いシュートによる得点は、同大会のベストゴールにも挙げられるほどの芸術品だった。
 
 自身がスタメンを外れた準決勝アルゼンチン戦でイタリアの世界制覇の夢はPK戦の末に潰えたが、3位決定戦でも活躍したバッジョは、この国の新たな希望となり、背番号10を託されることとなった。
 
 しかし、4年後のアメリカ大会では苦しみが彼を待っていた。よもやの敗北を喫したアイルランド戦の後のグループステージ第2戦ノルウェー戦では、GKジャンルカ・パリュウカがハンドでの決定機阻止で一発退場。代わりのGKを入れるためにベンチに下げられたのはバッジョであり、ここでサッキとの関係が悪化していく。
 
 決勝トーナメント1回戦ではナイジェリア戦で先制を許し、89分までリードされ続けたが、ここで起死回生のゴールを冷静に決めたバッジョ。右足アキレス腱の痛みを抱えながらもここから彼は大活躍を見せ、準々決勝スペイン戦で決勝点、準決勝ブルガリア戦で2ゴールを挙げて、決勝進出の立役者となった。
 
 ブラジルとの決勝では、ふくらはぎも痛めた満身創痍のなかで120分間を戦い、PK戦では最終キッカーとして登場。ほとんど感覚のない右足から放たれたボールは、無情にもクロスバーを越えていった……。
 
 残酷なエンディングとなった灼熱のアメリカから4年後。フランス大会でのバッジョは、ボローニャでの活躍により、滑り込みで代表入りを果たした控えのひとりという扱いだったが、大会前の怪我で不振のデル・ピエロに代わってチームを牽引し、2得点1アシストを記録した。
 
 悔やまれるのは準々決勝フランス戦。スコアレスでの延長後半、難しい体勢で放ったボレーシュートが、わずかにクロスバーを越えたことである。この後、イタリアはPK戦で敗れ、これを制したフランスは後に初優勝を遂げた。
 
 そしてこれが、バッジョにとって最後の大舞台となった。02年日韓大会は、前述の通り同年1月に大怪我を負い、早期回復を果たしたものの、ジョバンニ・トラパットーニ監督は最終メンバーに稀代のファンタジスタを加えることはなかった。
 
 そんなトラパットーニだが、バッジョへの敬意を忘れることはなく、04年4月28日のスペイン戦で彼に花道を用意した。83分間プレーした背番号10は、このジェノバでの試合を「キャリアのなかで最も美しい」と語り、観客は彼のプレーを心に焼き付けた。
 
 そして、それから約半月後の5月16日にはセリエA最終節、つまりプロとしてのラストゲームをミランと戦った。試合はサン・シーロで行なわれたが、入場時、アシストを決めた時にはスタンドから惜しみない拍手が送られ、84分の交代時には全ての観客がスタンディングオベーションで去り行く英雄を称えた。
 
 おそらくは苦しみの方が多かったであろうキャリアを終えたバッジョ。あれから14年が経とうとしている今、彼は故郷に近い田舎町に居を構え、家族とともに平穏な日々を過ごしている。

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