2年後のトップデビューに想いを馳せる鷲野(右)。昨季までニューウェルスに所属していた“英雄”マキシとの2ショットだ。

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 紅白戦を終えると、18歳年代のチームを指揮するエミリアーノ・アキーノ監督が全員を集めて話した。
 
「みんな、ハルキのようなプレーを模範にするんだ」
 
 鷲野晴貴が在籍するのは、少年時代のリオネル・メッシが過ごしたアルゼンチンの名門ニューウェルス・オールドボーイズ。ホームスタジアムには、鬼才マルセロ・ビエルサの名が冠せられ、過去にはガブリエル・バティストゥータやアベル・バルボなど同国を代表する数々の名手を輩出している。
 
 アキーノ監督は言う。
 
「ハルキは、非常にテクニカルなパサー。最大の武器は、相手にとって最も危険な場所に、正確で味方が受け易いタイミングで通せること。最初にこちらに来た頃は、アルゼンチンのサッカーや、チームメイトのレベルに慣れなくて戸惑っていたが、時間の経過とともに見事に順応して、いまでは持っている力を出しながら成長してくれている」
 
 晴貴は、アルゼンチンに来てからの1年間が一気に流れたような気がしていた。
 
「充実し切っていたからでしょうね。ニューウェルスには、まず自分より圧倒的に凄いヤツらがいた。でも逆に負けている自分が伸びしろを見つけられて、嬉しいんですよ」
 
 最初はゴール前に顔を出すことが難しかったのに、気がつけばトップ下として決定的な仕事をするようになっていた。
 
「特に言われたのは、守備についてでした。確かに守備は、自分でも遅れているのが判った。でもニューウェルスでは、守備中心のトレーニングをする日もあり、戦術的にも凄く具体的に説明をしてくれます。そのうちに自分でも“ここに来るな”と読んで、その通りに奪えた時の面白さも覚えてきて、守備にも楽しく取り組めるようになりました」
 父の貴司さんは、市立船橋高サッカー部で活躍し、現在も「ファンタジスタサッカースクール」で週1回(木曜日)の指導をしている。だが小学生時代の晴貴は、父にサッカーをやらされているだけで、本人の言葉を借りれば、「カス」だったそうだ。
 
「興味も沸かないし、試合を観ることもなかった。きっと小学生時代の僕を知っている人なら、まだサッカーを続けていることに驚いているでしょうね」
 
 転機は中学時代に訪れた。埼玉県草加市にある「明光サッカースクール」に通い始め、ブラジルでプレー経験を持つ檜垣裕志コーチから徹底して利き足にこだわった指導を受けて開眼する。
 
「自分でもびっくりするくらい変わりました。それまではどっちが利き足なんて気にもしていなかった。でも利き足の左を意識して、右を使わないようにしてから、まったくボールも奪われなくなった。この頃からは、とにかくどうすれば巧くなるのか、よく考えるようになり、もう中学を卒業したら海外に出ようと決めていました」
 
 サッカーに自発的に取り組み、レフティーを自覚してプレーをするようになり、晴貴は急変貌を遂げていく。片道1時間半をかけて、多い時には週に5日間もスクールに通い、帰宅後も父とボールを蹴る日々を送るようになった。
 
「大変でしたよ。だから学校では爆睡。ある時、教室で目を覚ましたら誰もいない。移動教室なのに、先生もクラスメートも起こさなかったんですよ」

 そんなサッカーに浸り切る日々に充足していた。
 
「だって僕にはやりたいことがあって、そこに向かっている。やりたいことも見つからないのに、ただ進学するよりずっといい」
 
 アルゼンチンへの橋渡しをした四方浩文氏は、すでに立っている姿を見た瞬間に「大器だ」と直感したという。
 
「いままでJクラブのアカデミーや名門高校の選手たちを現地のクラブに送った経験がありますが、晴貴は別次元でした。ある名門高校のレギュラーチームとプレーをさせたら、まだ中学生だったのに全然ボールを奪われない。高校生たちが驚いていました」