田舎の「タダ」は「無料」ではない

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若者が都会から田舎へ移住すると、地元の人から「タダ」でさまざまなモノをもらえることがあります。野菜や米だけでなく、バイクや家をもらった人もいるそうです。しかし、慶應義塾大学特任准教授の若新雄純さんは「田舎のタダは、“無料”ではない」といいます。その理由とは。

地方では、いまも近所の人同士でいろいろなモノを分け合う文化が残っています。都会から田舎に移住した人が、「ご近所さんから野菜をタダでもらって、助かっている」という話などもよく耳にします。

ただ、移住者の中には「田舎で受ける“タダ”を“無料サービス”と勘違いし、循環する善意を搾取してしまう人もいる」と、都会で生活していた若者など15人に福井県鯖江市に体験移住してもらうプロジェクト「ゆるい移住」(2015年)などを手がけた若新さんは指摘します。「田舎のタダは無料ではない」とはどういうことなのか? 詳しく聞いてみました。(聞き手は編集部)

田舎の「タダでもらえる」はなぜ?

――都会から地方の田舎に移住すると、ご近所さんに野菜やお米などをタダでもらえることがあるといった話を聞きます。若新さんが企画された移住プロジェクトでも、そのような例はありますか。

【若新】ありますね。全員ではありませんが、地域の方からいろんなモノを譲ってもらったり、無償でお借りしたりして、お金はあまり使わなくても充実した生活が送れるといことがあるようです。食べ物だけではなくて、空き家や、中には、アパート1棟を家賃なしで借りたり、おじいちゃんが乗れなくなった大型バイクを譲ってもらったりといった話も聞きます。

――アパート1棟を丸々ですか!? それはすごいですね。

【若新】もともと使っていなかったアパートだから、しばらく自由に使っていいよ、と。

――特に見返りはナシで、ですか?

【若新】具体的な見返りは求められていません。見返りが明確にされていたら、それは対価を支払うビジネスですからね。でも、それは単に「余っているし、要らないから、無料であげる」ということでもないのです。僕も田舎の山奥で生まれ育ったので、モノを分け合う文化にはなじみがありますが、「なんでも無料で手に入る」という感覚ではありませんでした。それよりも、もっと原始的で、人間社会ならではの独自の有機的なシステム(エコノミー)が機能しているんだということが分かってきました。それは、各々ができる範囲のことを提供し合う「善意のエコノミー」です。

■移住者の「0円」という勘違い

――「善意のエコノミー」とは、具体的にはどういうものですか。

【若新】地域のコミュニティを構成する人たちが、それぞれ必要以上に持て余しているモノを提供することで、お互いに資源をうまく循環させるような仕組みです。これについて、移住政策を実施していく中で、いろいろわかってきたことがあります。

まず、お互いに提供するモノの値段や価値は、均等である必要がないということです。仕事や暮らしぶりによって、地域の人たちはそれぞれ持て余しているモノの量も中身も違います。売れば高い値段がつくようなモノを提供できる人もいるし、そのような余裕はないけれど、例えば誰かからもらったお土産の「おすそわけ」ならできる、という人はそれでいい。モノは提供できないけれど、時間ならあるという人は、近所の子どもの送り迎えを申し出たり、集会所を掃除したりと、自分ができる範囲内で、コミュニティに貢献するということです。

また必ずしも、何かをタダでくれた「その人」に直接、お返しをする必要もありません。モノが提供されている対象は個人ではなく、そのコミュニティ全体であり、誰かに何かを提供してもらった人は、今度は自分がコミュニティ内の誰かに、できる範囲のことを提供します。量も順番もタイミングもバラバラでOK。ちょうど誰かが持て余していたモノを、ちょうど欲しい人がいたならば、そのモノの価値はコミュニティ内で最大化します。

大切なのは、それぞれが善意を持ってこのシステムに貢献しようという気持ち。それがあれば、提供するモノの価値や順番が不均衡でも、誰も文句を言わない。これが、僕が考える「善意のエコノミー」です。

――なるほど、まさに「お互いさま」という気持ちで成り立っているわけですね。では、それらが「無料サービスではない」とは、どういうことでしょうか。

【若新】外から移住してくる人の一部は、これを「0円で販売されている無料商品」と勘違いしてしまうようなのです。都会で生活していると、0円でモノやサービスがやり取りされることは、あまりないですよね。すべてはお金で清算されます。その金額を払えば、誰でも契約は成立・完了です。それ以上は求められません。それと同じように、地域の人たちがエコノミーシステムへの貢献として提供したモノを、0円という市場価格で販売されている「無料のサービス」だと勘違いしてしまうんです。0円で購入するという契約が完了した、と。

■もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまう

――それはつまり、人によっては「もらいっぱなし」ということ?

【若新】「0円」という価格で販売されていたわけではありませんから、もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまいます。彼らは、「善意のエコノミー」という特有のシステムに気づいていません。「タダでいいと言うから、もらったんだ」、「見返りが必要なら、最初から値段を言ってほしい、買うから」などと、売買契約を前提に考えてしまいます。でも、そういう話ではないんです。「善意のエコノミー」は、それぞれが可能な範囲で資源を分かち合う循環型のシステムです。タダだから「0円」という値札がつけられて無料販売されているわけではなく、言ってみれば「プライスレス」の相互扶助なんです。

――なるほど、「0円」での売買だったら毎回リセットされますが、この相互扶助システムはもっと長いタームで「もらう」「あげる」が続く。そこも違うのですね。……それにしても、誰かに何かをもらったり、してもらったりしたら、今度は自分にできることで返そうと思うものです。でも、そう思わない人もいると?

【若新】「0円」という対価を払った、売買契約が完了したと勘違いしてしまうから、そこで終了できるんです。ちなみに、そのように「もらうだけ」の人は、田舎の地域にもたまにいます。かといって、そういう人たちがその地域から追い出されるわけでもありません。別に、なにかの契約に違反したわけではありませんから、近所から回覧版もまわってくるし、地域のイベントにも誘われます。ただし、周りの人たちは「善意が搾取されている」と感じることでしょう。次第に、循環の輪からは外れていってしまうと思います。

■大型バイクのお返しに、菜っぱ?

【若新】逆に、このエコノミーシステムにうまく参加できる人は、みんなで豊かさを高めていくコツをつかんでいます。もらうだけの搾取では終わりません。例えば、大型バイクをタダで譲ってもらったという若者ですが、バイクの所有者は年配の人で、うまく乗りこなせなくなったそうです。それで「自分が持っていてもムダだから、君にあげるよ」と。所有者が変わることで、バイクの価値は一気に上がりました。でも彼は、バイクを「0円」で買ったのだとは思っていません。自分に提供できるモノを、提供しようと考えているはずです。でも、バイクに見合ったお金やモノで返す、ということじゃないんです。バイクをくれた方やその周りの方に、なにか「手伝って」と言われれば、喜んで駆けつけるでしょうし、あるいは、庭で育てた菜っぱを差し入れにいくでしょう。

――大型バイクのお返しに、菜っぱ、ですか?

【若新】“お互いさま”の善意が対等であれば、提供し合うモノは、できる範囲のモノで何でもいいんです。等価交換じゃなくていいのが、このエコノミーシステムの面白いところです。モノが人の手を渡り、価値が最大化するところに循環していくんです。

もちろん、このような“お互いさま”の文化を窮屈に感じる人もいるでしょう。確かに、お店に行って自分のお金で買えば済む話です。でも、モノがあふれていると言われる現代において、この「善意のエコノミー」はとても合理的に富の循環を行っていると思うのです。今風に言えば、「シェアリングエコノミー」の一種でしょうか。そこに参加するには、一定のリテラシーとセンスが求められます。搾取するだけの人間では、移住先のコミュニティに根付く本当の価値を体験できない。そういう人には、なりたくないものです。

(慶應義塾大学特任准教授/NewYouth代表取締役 若新 雄純)