メーカーとの癒着を断固拒否する花山「とと姉ちゃん」121話
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第21週「常子、子供たちの面倒をみる」第121話 8月22日(月)放送より。
脚本:西田征史 演出:安藤大祐
「人様が命がけでつくった商品を我々は真正面から批評するんだ。
こちらも命がけでやってはじめて責任が果たせるんだ」
(花山/唐沢寿明)
花山は命がけ過ぎて、あらゆることに徹底的に公平であろうとする。
商品(バター)をただでもらってきた社員に、それは受け取れないと言う。いつかその商品の比較研究をするかもしれない。その時のことを考えたら、一部のメーカーに仮をつくるなんてことはあってはならないからだ。
なんてストイックな! 正しいやり方だと思うが、これを実践するのは本当に大変だ。それでもやるのが花山。信念の人だ。
おかげで常子(高畑充希)は、気になる存在・星野(坂口健太郎)が上司に言われて、彼の会社でも調査の手伝いができないかと持ちかけてきたというのに、断るはめになる。
仕方ない。常子の仕事は、花山の理念に共感して、それをなんとか実現させることなのだから。
「茨の道になるかと思います。
いままでなんとかなるさでやってきました。
これからも力を合わせてなんとかなるさでやっていきましょう!」
120回ではこのように覚悟を決めた。そんな彼女のことを、ふたりの妹が気にかける。このまま女ひとりで生きて行くつもりなのだろうかと。
一足先に嫁いだ鞠子(相楽樹)は「好きな人といっしょにいることって幸せなことじゃない?」と言い、現在交際中の美子(杉咲花)もそれを少々実感しているそぶり。
初恋の人・星野(坂口健太郎)の登場で、主人公が恋か仕事かと女の生き方を問う流れにあるように、一見見える。だが、ちょっと待て!
前述の花山の発言は、恋と仕事、どちらをとる? というようなものではない。理念のために命をかけること、たとえ孤立無援になっても信じた道を進めるか、君は? という厳しい問いである。
バターを差し入れてくれる人や、商品試験の手伝いを申し出てくれる人たちの好意に、毅然とノーと言うことだ。
ちょっと話が違うけれど、取材相手とは決して私的に仲良くしない、飲食を共にしない(ビジネスランチ的なものは別)ことを頑として守ろうとする人もいる。中には「◯○さんと飲み友達」などとそういうことをステイタスのようにする人もいる一方で、そうしないのは、相手の仕事を常に正しくジャッジするためだ。
正しくジャッジすることは本当に困難。どうしても好き嫌いや関係性が影響してくる。花山はそれを乗り越えて公平であることに挑んでいる。彼と仕事を共にする常子にも、それだけの覚悟が問われることになるだろう。
恋と仕事という話ではない。ましてや男と女という話でもない。120回の節分で、星野、水田、花山・・・と3つの家庭でそろって父親が「鬼は外」と豆を投げられるという、家父長制への反発? みたいなことを描いたかと思えば、常子に「夫の稼ぎで雑誌を買う」みたいな発言をさせるなど、どちらにもいい顔をするのではなく、1個人が理念を貫き通して生きることができるかという問題だ。
NHKの朝のドラマという性質上、ひとつの考え方に偏ってはいけないのだろう。でも心配は要らない。本気で生きた人間の理念は、たとえ長い時間を経て、その人の記憶が伝言ゲームのようになって変化していったとしても、完全に消えることはない。その人が発した強烈な熱と意思は、必ず残り続ける。そして、こぼれ落ちたそれをキャッチできる人も必ずいる。先人たちはそれを信じて、言葉を発し続けたのだろう。
ある日、水田家に遊びに来た美子(杉咲花)は、鞠子(相楽樹)と、常子と星野の関係について語り合う。
美子は会社に勤務しているはずなのに、なぜ昼間、鞠子の家に? たぶん、たまきにつくってもらったのは昼ご飯だろうと思うが、昼休みにご飯を食べに寄ったのだろうか。
(木俣冬)
脚本:西田征史 演出:安藤大祐
「人様が命がけでつくった商品を我々は真正面から批評するんだ。
こちらも命がけでやってはじめて責任が果たせるんだ」
(花山/唐沢寿明)
花山は命がけ過ぎて、あらゆることに徹底的に公平であろうとする。
商品(バター)をただでもらってきた社員に、それは受け取れないと言う。いつかその商品の比較研究をするかもしれない。その時のことを考えたら、一部のメーカーに仮をつくるなんてことはあってはならないからだ。
なんてストイックな! 正しいやり方だと思うが、これを実践するのは本当に大変だ。それでもやるのが花山。信念の人だ。
仕方ない。常子の仕事は、花山の理念に共感して、それをなんとか実現させることなのだから。
「茨の道になるかと思います。
いままでなんとかなるさでやってきました。
これからも力を合わせてなんとかなるさでやっていきましょう!」
120回ではこのように覚悟を決めた。そんな彼女のことを、ふたりの妹が気にかける。このまま女ひとりで生きて行くつもりなのだろうかと。
一足先に嫁いだ鞠子(相楽樹)は「好きな人といっしょにいることって幸せなことじゃない?」と言い、現在交際中の美子(杉咲花)もそれを少々実感しているそぶり。
初恋の人・星野(坂口健太郎)の登場で、主人公が恋か仕事かと女の生き方を問う流れにあるように、一見見える。だが、ちょっと待て!
前述の花山の発言は、恋と仕事、どちらをとる? というようなものではない。理念のために命をかけること、たとえ孤立無援になっても信じた道を進めるか、君は? という厳しい問いである。
バターを差し入れてくれる人や、商品試験の手伝いを申し出てくれる人たちの好意に、毅然とノーと言うことだ。
ちょっと話が違うけれど、取材相手とは決して私的に仲良くしない、飲食を共にしない(ビジネスランチ的なものは別)ことを頑として守ろうとする人もいる。中には「◯○さんと飲み友達」などとそういうことをステイタスのようにする人もいる一方で、そうしないのは、相手の仕事を常に正しくジャッジするためだ。
正しくジャッジすることは本当に困難。どうしても好き嫌いや関係性が影響してくる。花山はそれを乗り越えて公平であることに挑んでいる。彼と仕事を共にする常子にも、それだけの覚悟が問われることになるだろう。
恋と仕事という話ではない。ましてや男と女という話でもない。120回の節分で、星野、水田、花山・・・と3つの家庭でそろって父親が「鬼は外」と豆を投げられるという、家父長制への反発? みたいなことを描いたかと思えば、常子に「夫の稼ぎで雑誌を買う」みたいな発言をさせるなど、どちらにもいい顔をするのではなく、1個人が理念を貫き通して生きることができるかという問題だ。
NHKの朝のドラマという性質上、ひとつの考え方に偏ってはいけないのだろう。でも心配は要らない。本気で生きた人間の理念は、たとえ長い時間を経て、その人の記憶が伝言ゲームのようになって変化していったとしても、完全に消えることはない。その人が発した強烈な熱と意思は、必ず残り続ける。そして、こぼれ落ちたそれをキャッチできる人も必ずいる。先人たちはそれを信じて、言葉を発し続けたのだろう。
121回の「ほとほと姉ちゃん」
ある日、水田家に遊びに来た美子(杉咲花)は、鞠子(相楽樹)と、常子と星野の関係について語り合う。
美子は会社に勤務しているはずなのに、なぜ昼間、鞠子の家に? たぶん、たまきにつくってもらったのは昼ご飯だろうと思うが、昼休みにご飯を食べに寄ったのだろうか。
(木俣冬)