あさは放置プレイに弱かった「あさが来た」115話

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朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)2月15日(月)放送。第20週「今、話したい事」第115話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:中野亮平


115話はこんな話


成澤泉(瀬戸康史)の書いた教育論を読んだあさ(波瑠)は、大いに感動して、彼にもう一度会おうと探しまわる。

あさと千代のいい話にちょっと疑問


ようよう、あさが新たな、そして彼女の人生において重要な分岐点に立つことになる20週の幕開けーー115回では2点の気になる点があった。

まず1点。
あさは、放置プレーに弱い。
少女の頃、許婚・新次郎が会いにこないで手紙だけよこした時、すっかり新次郎のペースにハマってしまったあさ。
またまた三つ子の魂百まで。成澤が教育論を手渡した後、姿を見せないでいると、必死に探しまわる。
そりゃあ、新次郎が、若い、貧乏な、元女学校の先生(新次郎のなかではおなごの扱いに慣れたことと変換されている)で、オトコマエな成澤の存在にやきもきするのも無理はない。
あさ扱いの達人新次郎である。餌をまくだけまいて、ちょっと放置すると、あさは相手をたちまち追いかけたくなることもわかっているのだ。

2点め。
過去に起きた炭坑の落盤事故の件。
千代(小芝風花)の育児で大阪にいたため、九州の炭坑が手薄になって、事故につながってしまったのかもしれないと、あさが反省していたと何かで読んだ宜(吉岡里帆)がそれを千代に伝える。それによって、あさの愛情を千代が感じるという流れになっていて、宜はさらに「きっと子供をもって人並み以上に働くてほんまに難儀なことなんやわ」と続ける。
いい話なのだが、これはちょっと待て。
落盤事故は、松造ことサトシ(長塚圭史)の幼少時の加野屋への恨みが原因で、あさが大阪にいて九州が手薄になっていたせいではない。あさが、それについてエッセイに書かないのは、松造への思いやりとも考えられるが、ドラマの中ではそこまで出てこない。
松造が起こした落盤事故は、はつたちの生き方と同じく、あさのようにグイグイ前に突き進んでいけない、人生の荒波からこぼれ落ちた人間の話だったはず。
そんな出来事まで、仕事と育児の両立や母と娘の愛情話に使うのはいかがなものか。
とはいえ、そこが「あさが来た」のニクいところで、19週112話で、本に書かれたことが微妙に間違っていることは言及済み。
記録に残ることがすべてではない、ということをシニカルに感じさせてもらった。

福沢諭吉とあさ


あさが福沢諭吉(武田鉄矢)の新刊に載っていた著者近影を見て、どこかで見た顔と思いながらやっぱり気づかないすれ違い。
福沢諭吉先生が、明治7年に開校した京都慶応義塾大学は、現在京都府庁の建つ土地の中にあった。あさのモデルの広岡浅子の生家は、そのご近所。
明治7年では、すでにあさは大阪に嫁ぎ、今井家も東京に行ってしまった後で、ここでもあさと諭吉はやっぱりすれ違っていたのであった。
(木俣冬)

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