わかってはいても、なかなか難しいのです(画像はイメージ)。

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以前、方向音痴の人を彼女や妻に持つ彼氏・夫や、逆に方向音痴の彼氏・夫がいる彼女・妻などに、「道案内の仕方」を聞いた(コネタ既出)。
だが、あれから数年、ますます悲しい事実に気づいてしまった。

それは、方向音痴の人が何度説明されても、一向に改善しない一方で、「身内や親しい間柄に方向音痴がいる人」のほうは、どんどん説明の仕方がうまくなっていくということ。

「方向音痴的発想」を熟知し、あらかじめつまずきやすいポイントを避けたアドバイスをくれるようになっていくのだ。

いわゆる「方向音痴」慣れした、対方向音痴上級者たちに、そのポイントを改めて聞いた。

「最寄り駅」が必ずしも最寄りじゃない


都市部では交通が発達しているため、目的地までのアクセスには、複数の路線の複数の駅が候補に挙げられることが多い。そのとき、「駅からの時間の短さ」で路線や駅を選ぶのはNG。また、多くの人は「出発地から目的地までの乗り換えの便利さ」で選ぶと思うが、それも方向音痴ズにとっては無意味の場合がある。
何故なら、方向音痴ズにとっては、駅からの実際の距離が近くとも、迷ってしまうなら、それは「遠い」ということだから。

そのため、方向音痴ズの親切な身内はこんな具合に聞く。
「〇駅おりたイメージって、ある? 改札出ると、△銀行が向かいに見えるよね?」
「□駅って、たしか、以前◎◎のときに行ったよね? 覚えてる?」
そう、方向音痴慣れした親切な身内は、どういうわけか恐ろしく記憶力がある。そのため、方向音痴の人のこれまでの行動をある程度把握しており、駅からのイメージができるかどうかを最初に確認する。そのとき、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたり、会話が噛み合わずちんぷんかんぷんだったりする場合は、そこは方向音痴ズにとっては何度降りた駅であっても、「初めての場所」だ。

できれば頭の中でイメージが広がる駅を選ぶほうが、駅からの実際の距離にかかわらず、結果的には「近い」ということになる。

曲がった道沿いに歩くことは、方向音痴ズにとって「まっすぐ進む」ではない


「〇を渡ってしばらくまっすぐ進む」という説明は多々あるが、方向音痴ズは意外と律儀な性格のため、道がカーブしていると「本当にこの道を進み続けて良いのか」と疑心暗鬼になる。そのため、「〇を渡ると、公園に沿って道がカーブしていくけど、そのまま公園を右に見ながらまっすぐ」などと補足してあげると、安心して「曲がった道をまっすぐ」進むことができる。

上り坂・下り坂も、方向音痴ズにとっては「まっすぐ」じゃない


方向音痴ズは、「まっすぐ=平坦な道」のイメージを強く持つ。そのため、横断歩道を渡った後に上り坂や下り坂になっていると、「果たして本当にここを進んで良いのか」と不安になる。そのため、「〇〇って信号が出てくるけど、そこを渡ると下り坂になるから、下り坂を進んで」などと言うと、非常にわかりやすい。

ふわっとした“似てる”感をとらえる


方向音痴ズはどういうわけか、非常に大雑把でふわっとした感覚的なとらえ方をする人が多いため、思いがけないところで「〇〇町に似てる」「以前行った△△みたいなところね!」といった比喩を使うことがある。それが共有体験の場合、「ああ、高架に沿って進む感じが似てると思うのか」「三叉路にぶつかる感じが似てるのかも」などと過去の記憶から推理し、イメージをふくらませた上で「そうかもね。ただ、高架の下をくぐり抜けてから左折ね」などと具体的なアドバイスをすると、方向音痴ズは腑に落ちた顔をする。

残念ながら、こうした献身的なアドバイスをもらいつつも、方向音痴は一向になおらない。だが、自分なりの正解を導き出す方法(わかる人に教えてもらう)を習得していくので、これはこれでひとつの発達なのかも?
(田幸和歌子)