甲子園大会第1回出場校の100年の夏の歴史を振り返る 〜高松中編〜

写真拡大

 香川県屈指の進学校として、東大、京大を始めとする有名大学への進学率が高い高松高校。この高松高校も、100年前、名前を高松中として第1回甲子園に出場していた。夏の甲子園からは約80年遠ざかっており、近年の活躍はあまり目立たないものとなってしまったが、第1回大会から第20回大会までの間に4度甲子園出場を果たすなど、高校野球黎明期には香川の野球を牽引する存在でもあった。今回は高松の100年の甲子園の歴史を振り返ってみる。

野球殿堂に表彰された三原 脩を擁して第14回大会に出場

現在の高松のユニフォーム

【戦前の高松中の活躍と三原 脩氏】高松中が夏の甲子園に出場したのは、第1回大会を含め4回。当時は、高松中と香川商(現:高松商)が県内二強となっており、両校の戦いは「香川の早慶戦」と言われるほどであった。1915年、第1回甲子園大会出場をかけた決勝はこの2校で争われることとなり、高松中が出場を決めた。しかし、第1回大会では、優勝校となる京都二中と初戦で対戦し15対0と惨敗する。その後は、第12回、第14回、第20回に出場。最高成績は第12回大会と第14回大会のベスト4となる。

 第14回大会には、名監督でもあり、野球殿堂に表彰もされる三原 脩を有しての出場であった。三原氏といえば、監督として3248試合を指揮しており、これは日本プロ野球記録となっている。また、周囲の予想を超える起用などを行い、知将としても知られた。

 三原氏は、もともとは丸亀中(現:丸亀)に入学していたが、高松中に編入。その後、甲子園に出場し、早稲田大学、巨人を経て、監督業に専念する形となる。晩年は日本ハムの球団社長を務めるなど、野球界に多大なる貢献をした。三原氏の監督としての采配にはユニークなものが多く、二番に強打者を置く「流線型打線」や、一芸に秀でた選手を起用する「超二流」など様々なものがあり、深く調べてみると面白い事実がたくさん見つかる。

【近年の高松と香川県勢の活躍】高松が直近で甲子園に姿を見せたのは、2005年の21世紀枠での選抜出場であった。結果としては、初戦で宇部商に敗退。しかし、高松だけでなく、香川県勢全体としての甲子園成績も奮っていない。香川県勢の夏の甲子園優勝は過去二回。ともに戦前の高松商となっており、しばらく甲子園での活躍が見られていない。第1回甲子園出場校を輩出した県として、今後の香川県勢の活躍に期待しつつ、特に第1回に出場した高松には注目をしていきたい。

注目記事・夏よりも熱い!全国の野球部に迫った人気企画 「僕らの熱い夏2015」・第97回全国高等学校野球選手権大会特設ページ