甲子園大会第1回出場校の100年の夏の歴史を振り返る 〜広島中編〜

写真拡大

 広陵、広島商、如水館などの強豪チームが揃う広島。この広島からも、広島国泰寺の前身である、広島中が第1回甲子園に出場していた。現在の広島国泰寺は、多くの政治家や実業家を輩出し、文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールに指定されるなど勉学面での特徴が目立つ一方、スポーツ面に関しても、サッカーで全国大会常連校となるなど、文武両道を貫く学校である。1889年に野球会が創設されてから今年で127年目となる広島国泰寺野球部の100年を振り返ってみる。

幻となった春の甲子園

現在の広島国泰寺のユニフォーム

【第1回大会と幻の春の甲子園】甲子園第1回大会は、山陽代表として出場。初戦で山陰代表の鳥取中と対戦するも、14対7で敗戦する。この出場が唯一の甲子園出場となる。その後は、1928年に山陽大会ベスト8を達成するなど山陽を代表する強豪校であったが、1945年8月6日の原爆投下により学校は被曝。校舎は壊滅してしまい、校長含む教員15名と生徒366名が亡くなる悲劇となる。

 その後、1948年には名前を広島県立鯉城高校として、広島県秋季高校野球大会にて優勝。その功績が讃えられ、翌年の春の甲子園に出場が内定したが、1949年に高校学区制が敷かれたことで、広島県広島国泰寺高等学校に名前が変更される。選手も学区改変により離散してしまったため、春の甲子園出場内定は取り消しとなり、幻の甲子園となった。

【戦後と現在の活躍】戦後、昭和時代には5度の県ベスト8を達成するなど、県内においては強さを誇るも甲子園まではあと一歩手が届かない。そして平成に入ってからは、2004年の第86回広島大会にてベスト4、勢いそのままに2005年の春季大会では準優勝を果たすなど、着実に力をつけ始める。2008年にも、夏の広島大会ベスト8に輝く活躍を見せている。

 広陵をはじめとする甲子園常連校が控える広島大会を勝ち抜くことは、一筋縄ではいかないが、1889年創設以来の伝統を誇る野球部として、広島国泰寺が再び甲子園でプレーする姿を見ることができることに期待したい。

注目記事・夏よりも熱い!全国の野球部に迫った人気企画 「僕らの熱い夏2015」・第97回全国高等学校野球選手権大会特設ページ