甲子園大会第1回出場校の100年の夏の歴史を振り返る 〜鳥取中編〜

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 鳥取藩校「尚徳館」(1757年設立)を受け継ぎ、1873年に「第四大学区・第十五番変則中学」として開校。その後「鳥取中学校」、「鳥取第一中学校」と名を変え、現在に至る鳥取西高校。今から100年前、その鳥取中学は第1回甲子園に出場していた。

 県内でも有数の進学校であり、春夏合わせての甲子園出場回数27回は山陰地方最多となっている。昨年は春季鳥取県大会を制覇するなど、未だ勢いは衰えない。夏通算23勝23敗、春通算は2勝4敗と夏の甲子園との相性がいい鳥取西であるが、過去100年間はどのような戦いをしてきたのか。

 鳥取中、そして鳥取西の夏の甲子園100年間を振り返ってみる。

戦前は甲子園ベスト4入り4回!

現在の鳥取西のユニフォーム

【戦前】戦前の鳥取中(〜鳥取一中)の活躍は素晴らしいものであった。1915年から戦争のため中止となる1941年までに、13度の出場。ベスト4が4回と素晴らしい成績を残している。この間の甲子園出場者の中には、日本のプロ野球発足時、初ホームランを放った藤井 勇選手、名一塁手として名を馳せ、野球殿堂入りも果している中河 美芳選手などがいた。

【戦後から現代】戦後、鳥取西高校となってからの成績は、甲子園出場10回、最高成績三回戦進出と少し伸び悩んでいる。

 注目したいのは、1981年第63回大会。この年、鳥取西は二回戦まで駒を進めるも、早稲田実業に敗れ甲子園制覇の夢は途絶えた。この早稲田実業も、甲子園第1回大会出場校であり、当時は荒木 大輔時代の全盛期。鳥取西は、エース荒木の前に得点をすることができなかった。当時の投手、田子 譲治さんはその後、ドラフト二位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団することとなった。

 2000年以降は、2005年、2008年に甲子園出場を果たすもののいずれも初戦敗退。今年の夏は、昨年春に県制覇をした際の投手、川上 遥に注目が集まったが、惜しくも今夏の第97回全国高等学校野球選手権鳥取大会では、決勝戦まで勝ち上がるも、鳥取城北に6対9で敗れた。2008年以来の夏の甲子園出場は、また次の世代へと託された。

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