北朝鮮・万寿台にある金日成(左)と金正日(右)の巨大銅像。

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北朝鮮といえば、まず頭に浮かぶのは金日成が右手を掲げる巨大な銅像だろう。世襲制の独裁政権の権威の象徴だ。その銅像が今、金脈に生まれ変わっているという。不安定な北朝鮮経済を支える「銅像ビジネス」とは。

北朝鮮が外貨獲得に躍起になっている。2011年に父、金正日の後を継ぎ北朝鮮の最高指導者の座についた金正恩だが、不安定な国内経済や慢性的な食料・エネルギー不足に頭を悩ませ続けている。13年12月には叔父で後見役でもあった張成沢を粛清し国内外を驚かせたが、このことからもいまだ金正恩の独裁体制が盤石でない状況がうかがえる。不足する物資の輸入や自らの独裁体制の維持のために、外貨獲得は必要不可欠な課題である。

しかし残念ながら、北朝鮮にとって外貨獲得方法に選択肢は多くない。武器や麻薬、労働力といった不安定、かつ非合法な商品がほとんどだからだ。

だが近年、そんな北朝鮮が唯一堂々と取引でき、国際社会からも非難されない合法ビジネスが浮上している。それが、銅像ビジネスだ。

そもそも北朝鮮経済のあらましを振り返ってみると、1990年代には一度崩壊寸前にまで陥っている。計画経済が混迷し、国民への配給制度が麻痺したこともあるが、国外との貿易経済が機能しなくなったことも大きい。北朝鮮の重要貿易相手で支援国でもあったソ連が91年に崩壊し、東欧の社会主義国家も次々と消滅していくなか、それまで北朝鮮が頼ってきた物々交換主流のバーター取引から、ドルやユーロなど国際通貨によるハードカレンシー決済へ他国が大きく舵を切ったことも引き金となった。外貨がなくては不足物資も輸入できない状況は、常に外貨不足に悩む北朝鮮にとって死活問題だ。国外から石油も食料も輸入できない事態に陥った北朝鮮の98年の国家予算は、95年の約半分である。これは不景気と呼べるレベルを大きく超えており、餓死者、脱北者が続出した。

その後、国内の通貨改革や市場改革、国際社会からの援助などを通じて、現在の北朝鮮経済はだいぶ回復してきている。だが、それでも国民一人あたりの平均摂取カロリーから推察するに、食料不足は否めず、いまだ戦時下の状態にあるとみなすべきだろう。

さて、そんな北朝鮮だが、外貨を得るのは簡単ではない。この国は長らく軍事優先の先軍政治を敷いてきた。常に国民の生活より軍事が先行する戦時下にあっては、軍需産業は栄えても民間産業は後手に回る。国内向けの民需品や電化製品は生産しているが、とても国外向けに輸出できるようなレベルにはない。勢い、北朝鮮が輸出できる商品は、自らが得意とする武器やミサイルなどの兵器分野となる。

実際にこれまでも北朝鮮は中東やアフリカの紛争地帯に大量の武器やミサイルを輸出してきた。ところが近年このビジネスに陰りが見えてきている。06年に国連安保理決議により、北朝鮮の核実験および弾道ミサイル開発が禁止され、また武器やミサイル、軍艦などの兵器の禁輸も採択されたからだ。国連安保理決議の制裁には罰則はないため、従来通り北朝鮮と武器貿易を続ける国もあるが、特に中東向けへの武器輸出に関しては欧米諸国の監視が強化している。今後も安定して武器貿易が継続できるかは不透明だ。

そのほか北朝鮮には金やレアメタルなどの鉱物資源もある。だが絶え間ないエネルギー不足や資材不足により、本格的な調査や採掘作業に取り掛かれないのが現状だ。あるいは人民を出稼ぎ労働者として他国に出向かせる労働力輸出もあるが、どんなに働かせたところで、一人あたりの月給はせいぜい7000円から多くて2万円ほど。その大半を国が強制的に吸い上げても、国家を支えるほどの収入には達しない。

そんななか、にわかに脚光を浴びているのが銅像ビジネスなのだ。他国から銅像制作の依頼を受け、デザインと制作を請け負い納品する。この商売の最優良市場が実はアフリカ大陸である。

■順調に市場拡大中 アフリカ諸国が銅像をつくるわけ

アフリカにおける北朝鮮の銅像ビジネスは、遅くとも70年代には始まっている。77年にはトーゴの都市ロメでエヤデマ大統領の銅像を、78年にはシエラレオネの首都フリータウンで会館を建造、そのほかエチオピアなどでもビジネスを展開している。90年代に入ると、北朝鮮の経済悪化に伴い件数は一時激減したが、00年代から再び活発化し、北朝鮮の報道から確認されるだけでも、ナミビア、赤道ギニア、アンゴラ、セネガル、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ギニアなどで、順調に市場を拡大している。

「銅像ビジネス」と一言でいっても、その実態は銅像のみに留まらない。博物館、記念館、国会議事堂や大会堂など、大型建造物建設すべてを含んでおり、取引先はアフリカを超え、ヨーロッパにまで及んでいる。ドイツのフランクフルト市は、町の中心部にある1910年作の古い噴水修復作業を北朝鮮に依頼した。100年前の噴水を修復する技術者がヨーロッパに少ないうえ、価格がまた魅力的だったからだ。修理代は20万ユーロ。日本円でおよそ2800万円だが、同じ作業をヨーロッパの会社に依頼すればおそらくその5倍はするだろう。

北朝鮮が装飾的建造物に高い水準を有するのは、とりもなおさず自国の指導者像や巨大建築物を数多く制作・建造してきた実績があるからだ。国も積極的に職人を育成し、銅像制作専門チームを組織してきた。万寿台(マンスデ)創作社という名のこの国策会社には、芸術大学を卒業したエリート約3000人が集結し、国内外の銅像すべてを制作している。これほど多くの銅像建築専門の職人を抱えている工房は、世界広しといえど北朝鮮以外にはないだろう。

その芸術性はというと、例えば平壌の地下鉄駅構内などの美しさは見る人の目を十分に楽しませる水準にある。ロシアの地下鉄を利用された方なら、各駅構内の壮麗な内装に驚かれたはずだが、それと同じような水準にある。電車は古いのに駅は壮麗。機能より芸術性を重視する傾向は、社会主義国家の共通点といえるだろう。

銅像ビジネスのニーズは現在のところ健在だ。少なくともアフリカ諸国が毎年数件単位で発注していることは確かである。銅像の需要はもともと社会主義国家や独裁国家に多い。アフリカには表面的には民主化を果たしても、内実は独裁国家という国も少なくない。ヨーロッパ諸国はアフリカへの援助の条件に、民主化や人道主義を求めるため、表面上民主化を装いながらも、ウガンダのように民主化して選挙を行いながら、大統領は20年間代わっていないという国も多いのだ。そのような独裁的な国は指導者の権力を誇示するために街中に巨大な銅像を建てたがるものだ。また名実ともに民主化を果たした国も、今度はその民主化、独立の功労者を称える銅像を建てる必要に駆られる。社会不安や不況、高失業率などの国民の不満のはけ口として、ナショナリズムを高揚させるために銅像は必要となる。

北朝鮮がこれまで制作した銅像で最大規模のものは、2010年に完成したセネガルのアフリカ・ルネサンスの像だが、高さ約50メートルで自由の女神より高いこの銅像は、「アフリカの復興」というその名の通り、虐げられてきた黒人を称える像として空高く威容を誇っている。その他トーゴやコンゴ、ナミビアでつくられた銅像も、独立運動家や初代大統領といった英雄像である。またインフラが未整備な国では、新しく国会議事堂などの施設を建設する必要もある。それらの発注先として北朝鮮が注目されているのだ。

■アフリカはなぜ遠い北朝鮮に発注するのか

アフリカと北朝鮮は地理的に遠い。わざわざ遠方の国に銅像制作を依頼すること自体、不思議に思われる方もいるだろうが、一番の理由は前述のとおり高い技術力と価格の安さにある。昨年3月に契約されたジンバブエのムガベ大統領の銅像2体の価格は500万ドル(日本円で約5億円)だ。原料が銅なのでそれなりにするが、欧米の工房に比べれば3分の2以下に抑えられるメリットがある。

だがそれ以外にも理由はある。かつて西欧列強の植民地政策の餌食となったアフリカは、その後の独立発展において大いに欧米諸国から援助を受けてきたが、心情的には常に西欧社会に反発心を抱いている。その点、アジアは政治的、経済的にアフリカと利害関係がなく、友好的なイメージを抱いている。特に北朝鮮とは反西欧主義(彼らの表現では反帝国主義)という点で共鳴しやすい。どうせ銅像を発注するなら、ヨーロッパよりアジア圏の北朝鮮に依頼したいという心情が働くのだ。

さて、実際に北朝鮮は銅像ビジネスでどれほど外貨を稼いでいるのだろうか。北朝鮮が一切の情報を明らかにしていないので詳細は不明だが、仮に労働者輸出で得られる金額が一人当たり1カ月で2万円に満たないとすれば、銅像2体で5億円という数字は、北朝鮮にとってはかなり大きいはずだ。日本の国家予算の感覚からすれば50億から100億円くらいだろうか。

いま、アフリカは新興市場として世界中から熱い視線を注がれている。日本も今後、多くの企業が進出していくことだろう。だが日本からの援助や投資資金が、アフリカを経由して北朝鮮に流入することだけは避けたいものだ。日本からの支援金で北朝鮮が銅像をつくり、その結果として金王朝の独裁体制を強化させるなど笑い話にもならない。

(聖学院大学基礎総合教育部特任教授 宮本 悟=文 三浦愛美=構成 時事通信フォト、AFLO、AP/AFLO=写真)