1月2日、3日に行なわれた第91回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)。2日の往路4区、駒澤大学の工藤有生が54秒31の区間新で走り、トップで5区の馬場翔大に中継すると、多くの人は駒大の総合優勝を信じたはずだ。

 だがその時、青山学院大学の原晋監督は、まだ優勝への確信を持っていた。

 トップで来たとはいえ、駒大にも微妙な計算違いがあった。まず1区。中村匠吾が好調なら、これまでの実績から考えて数十秒のタイム差をつけてトップに立てると見られていた。だが、「15km以降か六郷橋で仕掛けたかったが、体がきつかった」と中村は明かす。逆に明治大学の横手健や青学大の久保田和真に仕掛けられ、16km過ぎには集団から遅れるシーンもあった。19km手前から本格的なスパート合戦が始まる中、中村は20km手前でスパートしたが、久保田に粘られた。結局、1位でタスキをつないだものの、青学大には1秒差しかつけられず、明大には6秒差、東洋大には11秒差という結果だったのだ。

 2区では駒大のエース、村山謙太が2km過ぎで青学大の一色恭志を引き離し、一気に独走態勢に持っていくかと思えた。だが最初の5kmを14分10秒で走ってきた東洋大学の服部勇馬に並ばれると、持ち前の積極性は消えて牽制し合うような走りになってしまった。そのせいで後続の青学大や明大との差も広げられず、8.3kmの横浜駅前では11秒あった差を、15.3km地点の権太坂では8秒に詰められている。下りに入ってからスパートしたが、これも行ききれず、18km過ぎには服部に追いつかれ、最後は2秒先着された。青学大の一色にも同タイムで並ばれる結果となり、期待されたより1分ほど遅いタイムで終わったのだ。

 2本柱を2区までに使った駒大にすれば、ここで2位に1分半は差をつけておきたいところだった。だが、1区で出遅れた早稲田大学には1分13秒差をつけたものの、東洋大には先行され、青学大とは同着。明大との差もわずか17秒と、ライバルに勢いをつけさせる結果になった。

 そのため駒大3区の準エース、中谷圭佑もリズムに乗り切れなかった。地力で区間賞は獲得したものの、後続を突き放せない。2位に上がってきた明大には18秒差と、完全に抜
け出すことはできなかった。

 駒大は4区でも工藤有生が好走し、明大、東洋大との差は開いた。だが青学大にはここで3秒詰められており、46秒差という微妙なリードしか取れなかった。駒大5区の馬場翔大は確実に山を上ってくれるという自信があったものの、青学大の神野大地がどういう走りをしてくるか、という不安もつきまとう状況になったのだ。

 一方、青学大の原監督は「6区が終わった時点で1分から1分半先行されていても、優勝のチャンスはあると思う」と、1万m28分台中盤の選手を2枚も置いた復路に自信を持っていた。

 その原監督が1区久保田の起用を決めたのは、攻めの作戦をとったからだ。スローな展開で進んでも、15kmを過ぎた六郷橋からのスパート合戦に対応できなければ1分程度の差をつけられてしまう。そこで高校時代には5000mを13分台で走り、明大・横手などとともに日本人トップ争いをしていたスピードランナーの久保田を起用した。

 その久保田からタスキを受けた2区の一色も冷静に走った。「今のチーム状況を見れば自分がエースだといえない」と言う一色は序盤、駒大の村山や東洋大の服部についていきたいという気持ちをあえて抑えた。

「大学に入ってから、最初に突っ込んで最後は粘るというパターンが多かったが、神野(大地)さんから『2区はラスト3kmで30秒ひっくり返せる』と言われていたので......」と、冷静だった。その思惑通りで「ラスト5kmはきつかったけど楽しかった」という走りで、目標の1時間08分切りを実現する1時間07分45秒で走ったのだ。

 青学大の3区は三大駅伝初出場の渡邊利典。原監督は"つなぎ"の意識もあっての起用だったのだろう。そこをキッチリ走らせたうえで、4区の1年生・田村和希には、5区に神野がいるという安心感を持って突っ走らせる。その狙いは当たった。3区は区間5位という堅実な走りとなり、4区の田村は区間記録を塗り替えることになった。

 もちろん、それ以上に機能したのは5区の神野だった。原監督は「1時間17分30秒くらいで走ってくれる」と期待していた。だが本人は「1時間18分30秒を目標にしていたが、走り出したら思った以上に体が動いたので......」と、抑えていく予定だった最初の5kmを、14分47秒というハイペースで突っ込んだ。そのタイムは東洋大の柏原竜二が1時間16分39秒の区間記録を出した12年より19秒も速いタイムだった。

 原監督はそれを不安視することなく、「タイムが速いのに動きはゆったりしていた」と、安心して見ていたという。

 その後、勾配がきつくなっても神野の動きはまったく変わらず、軽々と坂を上っていく。最後の下りでは加速し、最後まで切れ味のある走りのまま、1時間16分15秒で走りきった。不滅とも思えた柏原竜二の記録をアッサリと、しかも24秒も上回るものだった。本人でさえ「ビックリしている」という大記録。2位に上がってきた明大には4分59秒の大差をつけたのだ。

 それに対して駒大の馬場翔大には力みもあった。昨年以上の記録を期待され、しかも実力未知数の神野が参戦。馬場にとっては前を行く東洋大の設楽啓太をひたすら追いかけた昨年のような、"無欲の挑戦"というわけにはいかなかった。

 結局は自分を追い込み過ぎて、10.5km過ぎで神野に抜かれた時には何の抵抗もできなかった。その後は低体温症になって何度も手をついて止まってしまう状態にまでなり、青学大に7分25秒遅れてようやくゴール。駒大優勝の夢は事実上、途絶えた。

 復路に入っても青学大は攻めの走りをした。最も心配された6区では「前回は区間18位と大ブレーキでチームに迷惑をかけたので、この1年間は箱根の6区のためだけに練習をした」と言う村井駿が区間2位の59分11秒で駆け降り、2位、3位との差を広げた。7区の小椋裕介も「往路で優勝したと言われるのは悔しいから、みんなで復路も優勝しようと話した」という積極的な走りをして、設楽悠太の区間記録にあと8秒に迫る快走を見せた。

 8区と9区は、同区間を走った経験のある4年生の高橋宗司と藤川拓也がともに区間賞を獲得。10区も三大駅伝初出場だった2年生の安藤悠哉が余裕を持って走りきり、復路でも優勝を果たした。10時間49分27秒という記録は、200m距離が長かった前回までの大会記録10時間51分36秒(12年・東洋大)を大幅に上回るものだった。

 終わってみれば2位に順位を上げた駒大も11時間0分17秒。5区の馬場が前回並みに走っていても10時間55分台で、これは大会前に駒大の大八木弘明監督や東洋大の酒井俊幸監督が優勝タイムの目安にしていた記録である。それを遥かに上回ってしまった青学大はまさに「強すぎた」としか表現しようがない。

 原監督は「すべてが予想以上で本当に強かったですね。あれだけ差がついたので、このレースでは涙が出るようなことはなかったです」と、笑顔で初優勝の感激にひたった。

「4年後に箱根駅伝に出場させる」という条件で大学の強化指定部になり、原監督が就任したのは今から11年前、04年のこと。3度目の挑戦だった06年予選会では16位と惨敗し、最初は8枠もらえたスポーツ特別推薦枠を1に減らされる危機もあった。だが原監督就任とともに入学した新4年生が団結し、翌年の予選会では次点の10位に。そして08年には予選会突破を果たした。

 その時期からやっていたのは、「まずは5000mの記録を伸ばして土台作りをしよう」ということ。春先の大会には全員800mに出場させるような取り組みを積み重ねた。さらに今シーズンは専任コーチやトレーナーを2名ずつの体制にして、スポーツメーカーの協力も得てコアトレーニングなども導入した。そんな取り組みは、ほとんどの選手が5000mと1万mで自己新をマークする状況につながった。

 また、春先はまずトラックを重視し、夏合宿では出雲駅伝(10月)や全日本大学駅伝(11月)を目指して1マイル(16km)を走れる仕様にし、11月からさらに箱根仕様に変えていくという原監督独特の仕上げ方もうまく機能した。

 最速で走りきった青学大は来年、今回走った4年生が2名抜けるだけで、主力となる3年生が補欠に回った者も含めて7名残る。5区の神野も6区の村井もいるのだから、優勝候補の筆頭になるのは必然だ。

 そんなスピード軍団に対し、駒大や東洋大などの強豪校がどのように選手たちを鍛えてくるか。大手町のゴールの歓喜が終わった瞬間、来年への熾烈な戦いが始まっている。

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi