学校選び、けっこう大事ですよね(写真はイメージです)。
「東京の公立中は、言葉は悪いけど、“しぼりカス”みたいな子が集まるところだから」
以前、都内の公立中学校で教諭を務める知人からそんな話を聞き、耳を疑った。「しぼりカス」という言葉を先生が子供に対して使うこと自体が衝撃的で、聞き捨てならないと憤慨したが、実際、自分の子の勉強は塾任せで、私立中学受験をさせる先生も多いと聞いた。

文科省の「平成24年度学校基本調査」によると、東京の中学校の生徒総数のうち、公立中学は約74.2%で、私立中学は約24.9%。
全国統計では、生徒総数のうち、公立中学が約92.0%、私立中学が約0.7%であることを考えると、確かに東京では私立中学に通う生徒の割合は多い。とはいえ、7割以上が公立中学だ。
また、地方出身者の場合、塾通いの経験もなく、近所の公立の小中高に通い、国公立等の志望大学に合格した人も多数いたと思う。

だが、そうした見解にはこんなツッコミがくる。
「自分たちが子どもの頃とは時代も地域も違うから。東京はちょっと特殊だから」
何が特殊なのか。東京だけでなく、地方大都市でも同様だそうだが、中学受験をする子の多い学校・クラスでは、「地方出身者にはわからない “常識”」が確かにある。
たとえば、小学6年生になると、授業中に堂々と塾の宿題をやる子が多数いること。土曜授業や土曜行事は「塾優先」で学校を休む子が多数いること。中学受験が迫った年明けには、学校をお休みする子が多数いることなど……。
こうしたケースへの批判もあるなか、「理想と現実は違う」「子どもの人生だから、後悔がないようにやらせてあげたい」という保護者の意見も多数ある。

一方、過去にコネタ記事「中学受験、あなたは賛成派? 反対派?」で指摘されていたように、「夢の楽園」のように語られがちな私立中学の「闇」もある。
もちろん地域や学校によっても差はあるし、家庭によっても、また、親と子でも考え方は異なるわけだから、正解をひとつに決めることはできない。
ただ、1人の親として考えなければいけないと痛感するのは、自分が育った時代・地域の物差しではかり、「公立中なんてどこに行っても同じ」「できる子はどこに行ってもできるから関係ない」理論を、東京の今に暮らしながら、子供に押し付けてしまうリスクだ。

公立中学の最も素晴らしいところは、「玉石混交」だということだと、個人的には思ってきた。もちろん「玉」「石」は学力面ばかりではない。優等生もいれば、スポーツ万能な子、絵だけやたらとうまい子、ヤンチャな子、ひたすらヘンなことばかり思いつく発想力豊かな子などもいて、ある一面では「玉」であり、別の一面では「石」であり、それぞれに輝く場面があると思っていた。
だが、少子化のいま、少人数の学校が多く、なおかつ自分で選択できることも多い都内の公立中学では、残念ながら、いずれの分野でも「ライバル不在」になるリスクがままある。地域・学校によっては、優秀な子がごっそり私立中学に行ってしまっているケースもある。「どこへ行ってもできる子はできる」「勉強なんて一人でやるものだから、学校はどこでも同じ」理論はある意味真実だが、一部の「天才」を除くと、学校や先生云々よりも、実はライバルが存在するかどうかは個人の力を十分に伸ばすうえで重要なことだと思うのだ。

地域格差があり、さらに、先生の異動があるため、校長先生がかわるだけで校風ががらりと変わることも多々ある公立中では、「良い学校選び」は正直、至難の業だ。
だからこそ、東京では特に「公立中学なんて近所で十分」と思う場合、通学時間を短縮できるメリットを最大限に生かし、充実した中学校生活を送ること、「井の中の蛙」にならないための努力を続けること、広い視野を持ち続けることは重要なのかもしれない。
(田幸和歌子)