現在行われている様々な地域でのリーグ戦やカップ戦では概ね上位に進出してくるであろうと思われるクラブはほぼ固定化された感があります。欧州の主要リーグでは毎シーズン同じような名前が並んだシートを見ることに慣らされてしまいました。

それはボスマンルールの浸透や移籍ルールの世界的な統一以外に特にコンテンツビジネスとしての「フットボール」の価値の高騰による恩恵の有無により特に経済的にヒエラルキーが明確化したことによる大中小クラブの線引きが、誰の意思によるものなのか不明のまま極端に行われた結果だと思います。

下位階層に属すると思われるクラブが上位階層のクラブを破る所謂「ジャイアントキリング」が起こる可能性は様々な意味で不確定要素が極限まで除外されている現在では可能性として非常に低く、特にチャンピオンズリーグ等の所謂欧州メジャーカップ戦においては最早第三勢力が栄冠を掲げることが難しくなりました。

長い間フットボールに興味を持ち続け、また過去回帰を起こし歴史を紐解いてみると、現在では然程「強豪クラブ」と見做されていない所謂中下位階層に属すると思われているクラブが一時的にせよ、とてつもないキラメキを放っていた時代があり、そのあり様は現在のクラブの姿とは真逆の「アットホーム」な雰囲気に包まれていたことが解ります。
中下階層のクラブは、監督を家族の長とした集団は、短い黄金期を築き「何か」が切っ掛けでその短い黄金期は終焉を迎えているのです。その場合一時的にせよ強豪クラブとして上位階層に属することになりますが、経済的基盤が脆弱な為衰退を余儀なくされる歴史の繰り返しでした・・・・。

例えば・・・・

ドイツ(西ドイツ)屈指のビッグクラブとして歴史と実績を保持し、長年ドイツの巨人として君臨し他クラブに格の違いを魅せ付けているのはバイエルン・ミュンヘンですが、1960年後半から70年代にかけて欧州最強と崇められていたボルシア・メンヘングラッドバッハは、ヘネス・バイスバイラーという稀代の指導者と、偶然にも同じ時代に同じクラブに属していた個性的で魅力的な選手達の統一された意思により超攻撃的サッカーにて西ドイツのみならず、欧州を席巻していた時代があり、バイエルン・ミュンヘンに対しても真っ向から対抗していた時代があったのです。

私は西ドイツ(ドイツ)に対しては非常に偏った「偏見」を持っていました。
これは皇帝フランツ・ベッケンバウアー氏が監督をしていた西ドイツ代表のイメージによる間違った正に偏見でした。
とある方の情報により過去回帰を起こし、西ドイツの過去を翻ってみると成程!
もし私がこの当時に現役で試合を観戦していれば間違いなく魅了されたであろう歴史がありました!
王道な存在であったバイエルン・ミュンヘンが憎らしいほどの安定感を軸にトップクラブとして君臨していたのに対し、攻撃的クラブの弱点でもある不安定感が逆にバイエルン・ミュンヘンし対するアンチ的感情を刺激し、観衆を魅了していたのです。

メンヘングラッドバッハは世界的にも有数のルール工業地帯に位置する人口約25万人の都市です。
特に変わった観光資源を持たないこの都市にヘネス・バイスバイラー監督と偶然にも若き才能が集結し、数々の伝説的な成功を収めました。

「怒れる芸術家」MFギュンター・ネッツァー、FWユップ・ハインケス、DFベルティ・フォクツらを中心に1シーズン100ゴール以上をあげるなど正に爆発的な攻撃力を背景にファンを魅了することになりました。

「1−0で勝利するよりも5−4で勝ちたい!」

バイスバイラーは口癖の様に語っていたそうです!
その言動の通り、メンヘングラッドバッハは大勝することもあれば下位クラブに取りこぼす様なご愛嬌もありました。何故ならばあまりにも攻撃に集中してしまうため守備が疎かになってしまうと言う非常に解り易い理由の為でした。